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書評『傲慢と善良(辻村深月)』自由な選択縁で生きる私たちの"善良さ"という傲慢な態度

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書評『傲慢と善良(辻村深月)』自由な選択縁で生きる私たちの善良さという傲慢な態度

こんにちは。書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。本記事は辻村深月さんの『傲慢と善良』の書評記事です。小説作品として優れているのはもちろんのこと、人間関係やコミュニティといった側面から現代日本社会で生きる私たちに多くのことを投げかける作品でした。ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。

 

内容紹介

辻村深月さんはミステリーをベースに、登場人物の心理描写を丁寧に行い読者がドキッとさせられたり心を揺さぶられるような魅力的な作品作りに定評があり人気の作家さんですが、2022年9月に文庫化された本作は辻村さんの作品の特徴のすべてを最大限に凝縮したような作品で、SNSなどでも話題となっています。以下に引用しているあらすじの通り、失踪した婚約者を探す中で婚約者の過去と自分自身の過去や価値観に向き合うことになっていくという恋愛ミステリー小説なのですが、婚活や出会い、結婚、家族、職場や友人など現代の日本に生きる私たちの人間関係のあり方をタイトルになっている「傲慢」と「善良」というキーワードに集約しながら問いかけてくる作品です。

Amazonの内容紹介から引用します。

婚約者・坂庭真実が姿を消した。その居場所を探すため、西澤架は、彼女の「過去」と向き合うことになる。「恋愛だけでなく生きていくうえでのあらゆる悩みに答えてくれる物語」と読者から圧倒的な支持を得た作品が遂に文庫化。《解説・朝井リョウ》

『傲慢と善良』の写真

辻村深月作品の魅力が凝縮された作品

本作はなかなか一言で説明するのが難しいように思います。それぐらい様々な観点が丁寧に織り込まれています。本作品の単行本版の内容紹介では

2018年本屋大賞『かがみの孤城』の著者が贈る、圧倒的な"恋愛"小説。

と紹介されています。ただ、本作をすでにお読みの方であれば、恋愛小説とだけ紹介されることには違和感を覚える方もいるでしょう。本作の主な登場人物である西澤架と坂庭真実は婚活アプリを通して出会った二人であり、単なる恋愛ではなく「婚活」というテーマも含まれています。さらに本作のあらすじとして架がストーカー被害の中で行方がわからなくなった婚約者真実を探すというミステリ小説的な展開が軸となっています。つまり、恋愛ミステリ小説、あるいは婚活ミステリ小説。一言でまとめるならそんなようなところだと思うのですが、やはりまだ何か足りない。

その何か足りない感じはおそらく、なぜこの小説が面白いと感じるのかという肝心なところが「恋愛」「婚活」「ミステリ」といったキーワードだけではすくい取れないからでしょう。本作に限らず辻村深月作品の多くに共通する著者の魅力かと思いますが、やはり登場人物の丁寧な心理描写にこそ本作品の真髄があります。しかもその心理描写が単に小説の登場人物の造形を細かく立体的にしているというだけでなく、現代社会で生きる若者にとって身に覚えのある感覚があぶり出されているところがすごいのであり、数ある辻村深月作品の中でもその魅力の凝縮度合いはトップクラスではないかと感じます。

この辺りを文庫本版の解説を担当した小説家朝井リョウさんが素晴らしい言語化をしてくださっていました。

ジャンル分けするならば本作は、やはり”婚活”小説、”恋愛”小説となるのだろうが、私たち読者はいつしか、二人の婚活や恋愛の行く末と同等に、いやそれ以上に、自己の内面を見つめさせられる。自分の中にある無自覚の傲慢さを探らされる。真実の疾走の理由を探るというエンターテイメント的な輪郭の内側で、実はとても思索的な内容が繰り広げられているという構造が非常に巧みだ。著者の作品の魅力のひとつは間違いなくそのエンターテイメント性だろうが、作中で繰り広げられているのは人間心理のうちへうちへと進む思索なのである。

 

(以下はややネタバレを含みますので未読の方はご注意ください。)

『傲慢と善良』は現代日本版の『高慢と偏見』

本作のタイトル『傲慢と善良』は作中でも触れられている通り、ジェイン・オースティンの小説『高慢と偏見』のもじりタイトルです。オースティンの『高慢と偏見』も『傲慢と善良』と同じく結婚や恋愛がテーマとなっている作品であり、コンセプト自体の下敷きになっている作品といえるでしょう。(『高慢と偏見』については本記事下部のオススメ本でも記載しています)

『高慢と偏見』は18世紀末から19世紀初頭にかけてのイギリスの片田舎を舞台に、結婚や恋愛について個人のあり方や結婚や恋愛への向き合い方を社会的な背景も含めて登場人物の「高慢」「偏見」という態度に凝縮して表現した作品です。

一方の『傲慢と善良』は舞台を現代日本社会に移しており、女性の社会的な立場や結婚が持つ意味合いが大きく変わっている中ではありますが、それでも個人や家族、あるいは社会的な価値観としていまだ大きな影響を持つ結婚を題材に、現代日本社会の人間関係のあり方の重要キーワードを「傲慢」と「善良」に集約して表現しています。

特にポイントとなるのは「善良」です。高慢さや偏見を持つことは一見して「良くない」ことだと私たちは直感しますし、『高慢と偏見』ではそうした自分の態度に気づいていくことで自分自身や相手との関係を見直していくという流れになるのですが、一方で「傲慢」と「善良」についてはどうかというと、傲慢であることはともかくとして、善良であることは基本的には良いことであるとされています。しかし実はその「善良さ」にこそ問題があると喝破したことが辻村さんの凄さですし、本作が多くの人に”刺さった”要因でしょう。

本作を読み進めて真実や架の過去の婚活に対する態度や家族や友人との関わり方が少しずつ明らかにされていく中で多くの登場人物の中にそれぞれの「傲慢と善良」が同居している様子や、あるいは「善良であるという態度の傲慢さ」を突きつけられると同時に、私たち読者自身の似た態度や思考に向き合わざるを得なくなってきます。

私は主人公の架や真実、真実の家族、架の友人など本作の多くの登場人物の”善良さの皮をかぶった傲慢な”言動にイライラしてしまう場面が少なからずあったのですが、恐らくこの同族嫌悪的な感情は少なくない人が感じるのではないでしょうか。なぜ多くの人が自分にも経験があると感じてしまいやすいかというところにも「善良」というキーワードの特徴があると感じます。何しろ「高慢」「偏見」「傲慢」は態度や行動ですが、「善良」であるというのは態度や行動そのものではなくその背後にあるような性質のことだからです。しかも本来そうあるべしとされるような。その性質の中にこそ傲慢さがあるという指摘に対して「自分には関係ない」と高みの見物を決められる読者はどの程度いるのでしょうか。特に結婚相談所の小野里が結婚相談所を利用する人たちに対して述べる結婚に対する考え方、結婚相談所に対する偏見、相手の選び方や自分自身に対する評価などの思考にはドキッと恋愛や婚活、あるいは友人関係などで悩んだことのある方にはドキッとさせられる部分が多いのではないかと感じます。

自由で選択的な人間関係としがらみと孤独と

先にも述べた通り本作の主人公である架と真実の二人はともに婚活を行っており、婚活アプリを通して出会ったことが明かされていきます。婚活アプリは若い世代では学生のうちから利用する方も少なくないような形ですでにかなり市民権を得ていますが、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか。そのイメージの持ち方の中に潜む”傲慢さ”についても本作品を読み進めていくと気付かされる、なんていうこともあるかもしれません。

結婚や恋愛というのは社会の中で人が出会い関係性を築いていく一つの形ですが、本作品が問いかけるのは結婚や恋愛だけではありません。友だちづくりや就職先の選び方など現代社会の人間関係やコミュニティ形成のあり方自体に対して広くそのいびつさを指摘してきます。

現代の日本社会は恋愛や結婚、あるいは友人関係、職場選びなどの多くが個人の自由な選択によって形成されていくという考え方がなされています。自分が好きな人や場所と選択的に築いていくこのような関係性を選択縁といいます。関係を築くことも、あるいは関係を解消したり、そのコミュニティから脱退することも個人の自由意志に任されているような関係性です。対比されるのは地縁や血縁など個人の意思に関わらず結ばれているような関係性です。

もちろん、現代日本社会においてもすべての関係性が選択縁で構成されている訳ではありませんし、そもそも選択縁が上で、地縁や血縁が下ということでもありません。単なる性質の違いです。ただ、血縁や地縁には個人の意思で選択できないという要素があることからそれが個人にとって居心地の悪いものである場合には「しがらみ」になってしまうという場合があります。本作においては真実の母から真実に対する関わりや地方都市特有の論理や文脈は真実にとってしがらみになってしまっていた部分がありました。(選択縁は都市的で、地縁や血縁は農村的であるということもでき、実際本作では東京と真実の地元である群馬の文化や文脈の違いが対比的に描かれています)

一方で、個人が選択したり探したりといった行動をするしないに関わらずに無条件で居場所が与えられるのが地縁や血縁であり、個人の居心地の良さにつながる限りそれは「安心」をもたらすものになります。逆に選択縁は自分自身で選べる自由さはありますが、裏を返せば自分自身も同時に選ばれる側であることも意味しており、選ばれない孤独の恐怖に常にされされるということでもあります。恋愛において、友人関係において、あるいは就職活動において「選ばれない」ことの怖さは感じたことがない人の方が少ないのではないでしょうか。

本作においては主人公の架と真実のそれぞれが、自由な人間関係の中で選ぶことや選ばれること、選ばれないこと、自由であることやしがらみに絡み取られること、家族という安心の関係を築くことをどのように考えてきたのか、考えていくのか、まったく違った方向からそれぞれに向き合っていくことになり、その内面が少しずつ揺さぶられていく旅路の中で読者も同時に自分自身の態度を見つめ直していくことになります。

真実と架という主人公二人に著者は何を託したのか

ここまで述べてきた通り本作主人公二人は、それぞれの視点で恋愛や結婚、家族や友人といった人間関係を見つめ直していくのですが、個人的にはこの二人は著者から読者に問いをつきつける役割を任されて作り込まれているようにも感じました。

例えば真実という名前もそうです。本作を読み進めていくと、真実には秘密というか嘘が隠されていたことが明らかになっていくのですが、その主人公の名前が真実(しんじつ)であるということやその行動や態度が真実の”善良さ”に根っこがあると感じられるというのはある種の皮肉のようにも感じます。作中後半では真実は東日本大震災の被災地でのボランティア活動に参加する様子が描かれています。自分自身が長年非営利の活動に従事してきている立場からすると、ボランティア活動と自分探し的な側面が安易に繋げられすぎているように感じてしまうところもあるのですが、まぁそれは良しとしましょう笑

一方の架はどうでしょうか。架という字自体の意味は、何かの間を架け渡すことや架け渡すための物を乗せたり支える台というものです。学生時代から友人関係や女性関係で不自由をしたことはなく、結婚や家族を持つことに対して、つまり縁や絆を架け渡すことに対して大きな意義を感じていなかった架が家族という安心な場所を求めるようになった変化が描かれている中で、関係性を架け渡す(築く)ことの価値を伝える役割が期待されているのでしょうか。みなさんはどう感じるでしょう。

結局「容姿の良い」勝ち組の話なのではないかという疑問

長くなってきてしまいましたので、最後に一つやや疑問を感じた点です。本作品は現代日本社会に生きる私たちの人間関係のあり方やコミュニティ形成における問題点やいびつさを指摘する作品として、非常に優れていると感じます。恋愛や婚活という個人の重大事として関心を持つ人の多いテーマでミステリー仕立てのエンタメ小説としてこれだけ揺さぶりをかける心理描写を織り込んだ作品はなかなかありません。”善良な”私たちが恋愛相手や友人を探し選ぶ態度に潜む”傲慢さ”を、多くの人が考え直すきっかけになるでしょう。

一方で、一つ疑問というか不満が残ったのは架や真実の持つ属性が結局「勝ち組」のものであり、勝ち組だけに当てはまる話になってしまっているのではないかという点です。架は学生時代から女性関係に不自由したことがなく女友達も多くいるいわゆる「モテ」の存在として描かれています。一方の真実は恋愛的には経験の少ない奥手な女性として描かれてはいるものの、その容姿は可愛らしいものであり、育ちも地方都市の比較的裕福な家庭で不自由なく育てられたお嬢様のような存在です。もちろん真実はその苦労を知らずに育ってきたところに真実の問題点があるとされていたり、架も恋愛相手の意思や立場、男性と女性の違いなどに無頓着無理解であったことの問題点が指摘され、それぞれその更生・再生が描かれているのですが、客観的に見ればふたりとも「勝ち組」的な属性を多く所有しています。

本作の中では架も過去の失恋経験の傷を持っていることや、真実のパートでも、真実が選ばなかった相手が別の素敵な女性と幸せな結婚生活を築いている様子が描かれ、単なる属性の勝ち負けではなく、相性や考え方の問題であると読者に捉え直しを迫ってくる部分もあるのですが、では架や真実が例えば容姿や体型に恵まれなかったり、職歴や年齢で「選ばれにくい」属性を持っていたとしたら、この物語はどうなっていたのでしょうか。おそらく婚活アプリにおいては、それぞれの「検索条件」から除外されており、そもそも出会うことすらできていなかったでしょう。その意味では架と真実が出会えたことはお互いに婚活市場において選ばれる条件を持つ者同士の話であり、本作が問いかけた婚活や友人関係のいびつさの中には、この構造では選ばれようがない、負け続けるしかない多くの存在の上に立った二人の話であった、という見方をすることもできます。例えば真実が架以前に出会っていた二人のうちの一人はその後別のパートナーを見つけすでに幸せな家庭を築いていることが描かれていましたが、コミュニケーション能力に乏しいもう一人は未だに独身でした。コミュニケーション能力に乏しく会話が続かないことが真実に「選ばれなかった」理由とされていましたが、この人物ですら堅実な企業に勤めていたり、失踪した真実のことを気遣う優しさを持っています。そうした人物であっても婚活市場においては相手を見つけることが難しい状況なのですが、この人物以上に職(収入)や性格上の難点があり”買い手がつきにくい”存在は男女ともに大勢存在するはずで、そうしたひたすらに”選ばれない”孤独な経験を積み重ねている人はこの物語から何を感じるのだろうかと考えてしまいます。この辺り、著者はどのように考えていたのか気になるところですし、現実問題としてこうした問題に向き合って生きていかざるを得ない私たち一人ひとりはどのように考えていけば良いのでしょうか。

『高慢と善良』を読んだ人にオススメの本

最後に本書を読んだ方や興味を持った方にオススメの本をご紹介します。

ジェイン・オースティン『高慢と偏見』

本文中でも触れましたが、『傲慢と善良』の下敷きとなっているのがオースティンの『高慢と偏見』です。オースティン自身の代表作であり、イギリス文学や恋愛小説の傑作としても名高い作品ですので未読の方はぜひ手にとって見てください。

辻村深月『島はぼくらと』

続いては辻村深月さんの作品です。『島はぼくらと』には『傲慢と善良』後半の真実視点のパートに登場する地域活性デザイナーの谷川ヨシノが登場します。当ブログをお読みの方には地域活動、市民活動に従事されている方も少なくないかと思いますので、辻村作品自体に関心を持って次の作品を探したい方はぜひこちらを。

花田菜々子『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』

続いては少し変わった書籍です。内容はタイトルの通りで、ノンフィクションというか私小説のような作品です。『傲慢と善良』で語られる婚活や出会いの難しさや過酷さ、あるいは残酷さをまた別の側面から感じることができます。眺める側面が違うだけで同じものである、ということも考えながら読むとなお味わい深いかと思います。

石田光規『孤立不安社会』

続いては社会学の本です。本文中で、選択縁の自由さとしがらみがないことの不安さについて触れましたが、本書は「孤独や孤立」という問題について扱った研究書です。日本でも孤独・孤立は社会課題として認識され始めており、政策議論などもなされるようになってきていますが、実際にどのような課題なのか、何が問題なのか、解決や対処のためのどのような取り組みがあるのかといったことを知ることができます。婚活の観点について考察されている章もあり、特に結婚相談所や婚活サービスで「選ばれない」ということが個人の尊厳や認識にどのような影響があるのか、利用者の声も紹介される記述は『高慢と善良』を読んだ方であれば尚更考えさせられるでしょう。

ジグムント・バウマン『コミュニティ』

最後も社会学の本です。『孤立不安社会』に比べるとやや難易度の高い本ではありますが、タイトルの通りコミュニティについて歴史的な意義や経緯、現代的な課題などをさまざまな観点から提起しています。コミュニティは人々に安心や安全を与えるものである一方で、自由を抑え込む側面を持っていたり、ある特定のコミュニティが強化されることがコミュニティの外側に対しての分断を発生させることにつながったりするといった課題を、グローバル社会の中で生きる私たち一人ひとりとして考える視点を与えてくれます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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