こんにちは。本日は小説ではなく文化人類学、民俗学の本をご紹介します。講談社学術文庫から出版されている『魚食の民』です。
内容紹介
内容はタイトルの通り、日本における魚食文化についての話です。魚や魚食に関することがいろいろな角度から考察されています。カバー裏の内容紹介から引用します。
日本人は、魚を酒菜とよび真菜とよぶほどに遙かな昔から魚に親しんできた魚食の民であり、現代に伝わる豊かな魚食文化を築きあげてきた。魚食の民は漁りの民であり、魚食の歴史はすなわち漁りの歴史でもある。しかしかつて多彩な魚貝を育んできた豊饒の海はいまや危機に瀕し、魚貝は数も種類も少なくなった。日本人と魚のかかわりを、日本人‐魚食‐漁業という構図の中で考える。
講談社学術文庫から出版されたのは2001年ですが、元々は1981年に出版された本を文庫化したものということで2020年現在からすると約40年前の本となります。古い本ということで漁獲量などの各種統計データ自体には古さがあることに注意して読む必要はありますが、日本の食文化を切り口として、文化について考えることの面白さを教えてくれるという点では今読んでもその面白さは変わりません。
文化を理解するための「食」という切り口
日本の文化を理解する上で魚は欠かせないものだという認識は多くの方が共有しているのではないかと思います。海に囲まれた島国ですし、世界に誇る和食においても刺し身や寿司を始めとして魚は欠かせないものです。
と、このような形で「食」という切り口から考えるとその文化について具体的なイメージはいくつも湧いてきます。一方で、「日本文化」というものを「食」などの具体的なイメージなしで捉えようとすると、対象とするものが大きすぎると言いますか、曖昧としすぎて捉えにくいところがあります。大きな言葉や概念のまま考えるよりも、それらを構成する要素として認識しているものを分解して、その分解されたパーツ一つひとつに注目する方が分かりやすい部分はあるように思います。
一つ何かを切り取ってみると、そこには具体的な人の生活のイメージが表れてくるので、人々の生活というミクロな視点から歴史を感じてみたり、統計的なデータの推移からその時代の経済的・社会的な様子を考えてみたりといったことがしやすくなります。
生活を切り取る視点といえば例えば「衣・食・住」などが代表的なものですが、特に食文化は面白いですよね。私たちは食べないと生きていけないですし、食べるという行為に辿り着くまでのあれこれや食べることの周辺には生活や社会における様々なものが関わってきます。何を食べるのかということは当然のこととして、どう食べるかということには調理法だけではなく、例えば盛り付け方や器には美的な視点も入ってきますし、保存法であれば気候や環境の要素が影響したり、あるいは誰がどのくらい食べることができていたのかという経済的な観点であるとか、あるいは食べてはいけないものという宗教的なことまで、とにかく生活上のあらゆるものが関わってきます。そういう生活上のあらゆるものを規定するものを私たちは文化と呼ぶのでしょうし、文化の影響の元で構成されているのが社会というものなのだと思います。
大きく、曖昧なものを考えていくにはまずはそれを切り取る視点を考えてみたり、その切り口の中から何か一つを選んで具体的に考えてみるというのは何かを理解したいときに広く通じる考え方ではないかと思います。
ここ数年本屋では『○○全史』など、すべてを概観するという形式の本が増えていて、私もそういう本大好きなのですが、特定のテーマで深く潜ることで全体が見えてくるという考え方も大切だしとても面白いということを思い出させてくれます。
日本人は魚を食べてこなかった
さて、では本書を読みながら特に私が面白いと感じた点や色々と思考が進んだ点について書いていきます。
まず1つ目は、そもそも日本人はそれほど魚を食べてはこなかった、という話です。
先にも書いた通り、日本文化と魚は切り離せないものであるということは誰もが認めるところでしょう。日本食と言えば「寿司」というのは世界的に通用する回答ですし、地理的にも四方を海に囲まれた日本が昔から漁業を行ってきたのは誰もが知るところです。
でも、本書は指摘します。ほとんどの日本人は魚を食べてこなかった、と。
食べたかったけど、食べることができなかったのだ、と。
一番の問題は流通です。今でこそ山地の旅館に泊まってもお刺身が出てきたりしますが、生の新鮮な魚が海から離れた内陸部でも食べられるようになったのは現在のように物流網が発達してからです。それ以前の長い歴史においては、海や川から離れた場所に魚を輸送することはとても難しい問題でした。
もちろん塩干しなど保存食加工に関する知恵は昔からありますし、その状態での輸送も同じく昔からありますが、どこでも大量にというわけにはいきませんでした。誰でもいつでもどこでも食べれるぐらいに普及するほどの経済的な余裕を持つ時代はありませんでした。
日本食を代表するものとして魚の他にお米もありますが、お米については昔は生産する米の多くは年貢に取られていて、貧しい多くの農民は米を毎日好きなだけ食べられる訳ではなかった、という話はよく聞きますね。米を誰でも食えるようになったのは、わりと最近の話だと。魚について同じような状況だったのだ、ということです。言われてみれば納得です。
そして、日本食と言えば魚というぐらいにその文化が発展してきたのは、あまり自由に食べることはできなかったけれど、だからこそお米と同じように憧れの対象であり続けてきたからだ、ということです。面白いですね。
ニシンはなぜ減ったのか?
もう一つ面白くて色々考えることになった観点をご紹介します。それは、ニシンのお話です。
ニシン漁の盛衰というのは高校の日本史でも出てくるので多少は知っていることがありました。例えば江戸時代における東北や北海道でニシン漁が盛んであったことや、それが廻船で各地に運ばれ肥料として利用されていたことであったり、あるいはそうしたニシン漁が戦後の高度経済成長期の中でその漁獲量が拡大し、衰退していったということなど。学生時代に北海道を車で旅していたときには海沿いの道路脇に鰊御殿を改修した資料館のようなものを見学したこともあり、ニシン漁というものが盛んだった地域にとって重要なものであったことは元々の知識としても持っていました。
そうした表面的な知識は持っていたのですが、本書を読むまで知らなかったし、考えてもいなかったなと気づいたのは、ニシンの漁獲量の衰退の原因がはっきりとは解明されていないということです。
高度経済成長期に漁獲量の拡大と衰退があったということでなんとなく、漁獲過剰により減ってしまったのではないかと認識していましたが、単純にそうとは言い切れず海流や海水温の変化、海ではなく陸側の森林伐採による影響などさまざまなことが推測されてはいるが、はっきりしたことは分かっていないそうです。
このニシンの漁獲量の盛衰というのは日本だけでなく世界的にも例がある現象であるという点からも、なるほど乱獲以外の可能性もありそうだというのも納得です。
ここまででもなるほどな、と感じたのですが、さらに考えさせられたのは、この先もその原因は解かれにくくなるだろうという指摘です。
なぜなら、ニシン漁自体が衰退すればそこに関わる研究者も減っていくからです。研究者が減れば、そこから新たな事実が見つからないというのは当たり前のことです。
この本は元々1981年に刊行された本ですが、残念ながら最近もこの状況にそう変化はないようです。
超高度な情報社会に生きていると、個人として知らないことがたくさんあったとしても、大抵のことは調べればすぐに分かるし、たとえ人類全体としてまだ知らないことがあったとしても、それはまだ調査中なだけであって、大抵のことはいずれ分かってくるのではないか、という風に考えてしまいがちなのですが、考える人・調べる人がいない分野というのもたくさん存在するし、そこには経済を含む構造的な問題もあるということを理解しておくことは大切なことのように感じます。
ニシンについては日本だけでなくヨーロッパの話も比較対象として出てきたのですが、これもまた面白かったです。ヨーロッパにおいてはニシンはかなり親しみ深い魚であり、特に北欧を中心とした沿岸国では重要な魚種の一つなんだそうです。ヨーロッパ風の街が舞台となっている『魔女の宅急便』では「ニシンのパイ」が登場しますが、あれも文化的な背景を反映したものだったのですね。
ヨーロッパにおいてもニシンの盛衰は激しいものでした。13世紀以降ニシン漁業の中心地はあちこちと移動しており、どこか特定の地域で永続的に生産を維持してきた例はほとんど見られません。そして魚群の消長と漁場の移り変わりは、中世・北西ヨーロッパ各地に多くの新しい町を造っていくことになりました。例えば、ハンザ同盟の最も中心的な都市であったルーベックはニシンによって栄えた都市でしたし、アムステルダムは「ニシンの骨の上に築かれた町」とも呼ばれています。ニシンはヨーロッパの各地に富と栄耀をもたらしたが、それはあまりに変動的で不安定なものでした。栄華を誇ったハンザ同盟の解体の遠因ともなっていた可能性があります。
『魚食の民』を読んだ方、興味を持った方にオススメの本
以上。本記事では『魚食の民』の感想や本書を読んで考えたことをご紹介してきました。
こうして見てくるとやはり、「食」から考える文化やその歴史というのは非常に面白いものですよね。日本の文化や歴史について考えるために読んだ本でしたが、ヨーロッパの歴史にも興味が深まりました。
ちょっと長くなったのでもうやめますが、鯨の話も面白かったです。鯨漁の歴史について、近世より前の話も面白いですし、幕末周辺の歴史と鯨というのも関係深いものだし、そこら辺から昨今の捕鯨論議へのつながりなどなど。興味のある人は考えてみるのも面白いと思います。
最後に、本書を読んだ方や本書に興味を持った方にオススメの本をご紹介します。
宮本常一『塩の道』
同じく日本の文化、民俗学の本から一冊。タイトルの通り「塩」から考える日本文化の話です。「魚」が食べたかったけど食べられなかった憧れの品だったとすれば、塩は食べないわけにはいかない必需品です。私たちは塩分を補給しなければ生きていくことができません。そのような生活必需品が歴史を通じて、どのように生産され、流通してきたのか、そこにはどのような工夫や困難があったのか、といった点が丁寧に解説されており非常に面白いです。
マルク・レビンソン『コンテナ物語』
『魚食の民』は魚、つまり食という切り口で生活や社会を分析する本でしたが、『コンテナ物語』の主役はタイトルの通り「コンテナ」です。コンテナという器が登場したことで、経済が、世界がどのように変わったのか、ということが書かれている本なのですが、学術書ではないので読み物として圧倒的に面白くワクワクしながら読めます。オススメです。
レイモンド・P・シェインドリン『ユダヤ人の歴史』
衣食住などの生活に必須の何かを切り口にするという視点ではなく、特定の民族自体の歴史を紐解くというアプローチも面白いです。『ユダヤ人の歴史』は読んで字の如くユダヤ人という民族の歴史についてユダヤ人歴史学者の手により著されたものです。世界各地にバラバラに住みながら共通の民族アイデンティティを維持ししているユダヤ民族について知ることで、民族や歴史や文化とは何だろうかということを考えることができます。
後藤明『世界神話学入門』
続いて紹介するのも歴史や人類の理解につながる本ですが、その切り口は「神話」です。神話や宗教というのも私たちの社会に欠かせないものですが、それが欠かせないのはなぜなのか。あらゆる場所であらゆる宗教があるようでいて、遠く離れた場所でも同じような教えがあるのはなぜなのか、人類の広がりと神話の関係を分析するという本です。
山本一力『だいこん』
最後に小説からも一冊ご紹介。『魚食の民』が日本における食文化について考える本だったということで、食に関わる小説をご紹介します。江戸・浅草で一膳飯屋を営む主人公とその家族のお話。山本一力さんは江戸の町人物の作品が多いのですが、その特徴は料理が登場する作品が多いということ。本作も料理の描写が丁寧でものすごく美味しそう。楽しく読めます。