淡青色のゴールド

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書評『人生なんて無意味だ』世界は多様で、不条理で、残酷で、無意味だ。

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書評『人生なんて無意味だ』世界は多様で、不条理で、残酷で、無意味だ。

こんにちは。書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。本記事はヤンネ・テラーの小説『人生なんて無意味だ』の書評記事です。児童文学ではありますが、大人にも読んで欲しい作品です。

 

 

あらすじ

ある日クラスの男子ピエールが「意味のあるものなんて一つもないんだから何をしたって無益だ」と気付き、学校へ来るのを辞めてしまう。ピエールはスモモの木の上に腰掛けてみんなに人生に意味なんてないと声をあげる。そのピエールの言葉で「何か」に気づいてしまうことのないようにクラスのみんなは必死にピエールの声に耳を背けようとする。「私」たちは大きくなって成功しなくちゃいけないからだ。だからみんなは「意味のあるもの」があることを証明することにする。みんなの大切な意味のあるものを持ち寄って…。

「意味のあるもの」は見つかるのか。ピエールの考えは、そして私たちの考えは変わるのか。人生に意味はあるのだろうか。 

 

こんなお話です。 

意味について考える本の結論を言うというのも無粋な話なので筋についてはこれ以上は書きませんが、決して軽い話ではありません。

とはいえ児童文学です。カンタンに読めます。 

決して軽くはないけど、大人ならその重さを流してしまうことも難しくはないでしょう。でも、何かお腹のあたりで引っかかっているような、気がする。そんなじわっとした読後感を残す作品です。

 

『人生なんて無意味だ』の写真

新書サイズです。装丁もかわいい。

大人は本当のことを言わない

この作品が問いかける最たるものはタイトルに表されています。

 

人生に意味はあるのか?私たちはいずれ死んでしまうのに。

 

これは哲学における根本的な問いです。歴史上の数多の哲学者たちはあらゆる角度からこの問いに挑んでいます。それでも確固とした答えは誰も知りません。おそらく哲学者以外のすべての人も、この問いを考えたことがない人というのはいないのではないでしょうか。一切考えたことがないという人がもしいるのなら、その人はもしかしたら一番何かしらの答えに近いのかもしれません。

でもたぶん答えは出ないのです。なぜなら私たちは誰も「死」を知らないから。死を知らないから死の意味を知ることはできないし、死に向かって進む人生の意味を知ることもできません。でもそんなこと学校では教えない。学校で、社会で、執拗に語られるのは「お前たちは『成功』しなくてはいけない」というメッセージなのです。

 

作中の「私」の言葉でいうと、

私たちは大きくなって成功しなくちゃいけない。
成功というのは、有名になるのと同じ意味。だれもそんなこと大きな声で言ったりしなかった。小さな声ですら言わなかった。でも四六時中空中に漂っていた。学校を囲んでいたサクにも、枕にも、用立たずになって放り出され天井裏や地下室でほこりをかぶっていたマスコット人形にも染みこんでいた。それまで気づかないでいたけれど、ピエールの出ていったドアのほほえみが教えてくれた。頭ではまだ良くつかめていなかったけど、私にはわかった。

というメッセージです。 

そう、誰も言わないんです。誰も言わないのに強力に発せられるメッセージ。こういうものが私たちの周りには実はたくさんあります。子どもはそれに気づきます。当然に。そして同時に、もう一つのことにも気づくことになります。

 

大人は本当のことを言わない、ということ。

 

こういう暗黙のメッセージやルールが私たちの周りにはたくさんあるし、それを作っているのは大人たちのはずなのに、大人たちはそれがあるとは言わないし、むしろときにはそんなものはないと言ってみたりします。そうしたメッセージの最たるものは少なくとも先進国社会(先進国、という言い方は最近ではあまり適さないかもしれませんね。私がここで言いたいのは”WEIRD - Western, Educated, Industrialized, Rich and Democratic - な”社会)では世界共通ナノではないかと感じます。もちろんメッセージの内容は社会や文化により色々異なるのだとは思います。

例えば、日本的な文化のあれこれもこういった暗黙のメッセージで刷り込まれることになります。日本の「本音と建前」なんかもそうでしょう。口では「成功しなくてはいけない」と言いつつ実際には「成功なんて誰しもができるものじゃないししたところで」と考えていたりする、とか。子どもはその本音と建前のギャップに自然と気づき、そして「かつてそれに気づいた」ことを押し隠した大人になっていきます

なぜ大人は本当のことを言わないか?

ではなぜ大人たちは本当のことを言わないのか?

なんでなんでしょうね。いろいろあるんでしょう。人によっても言わない理由が違うということもあるでしょう。

意味なんてない、とみんなが気づいてしまい、誰もがピエールのように空を眺めて何もせずに過ごしてしまえば社会は崩壊します。生物は本能的に「生きよう」とプログラムされていますし、ヒトはその生きる過程で社会を構成し、それを維持・発展させようとします。「人生に意味がある。成功を目指して活力的に生きよう」というのは社会的な動物である人間としての群れとしての生物学本能からくるメッセージなのかもしれません。 

でも、いくらでも逆に考えることはできてしまいます。そんな生物学的本能に抗うような問いを立てることのできるヒトにとってはそちらの問いの方が大事なのではないか?と。

たぶん人は昔からこんなことばかり考えていたんでしょうね。多くの宗教には「死の意味」や「死後の世界」に対する答えが用意されています。これはたぶん一人ひとりが心の平穏を手にし、コミュニティを維持していくためにとても重要なことなのだと思います。 

私はイタリア旅行に行ったことがあるのですが、イタリアは世界有数のカトリック国です。街中いたるところに教会がありました。歴史ある教会にはモザイクによる宗教画がたくさん残っています。識字率が低かった時代には絵で宗教的なお話を伝えたからです。多くの人が字が読めるようになっても、私たちの考えることは同じで、教会はいまでも大切な場所であり続けています。 

多様で、不条理で、残酷。

作中の「私たち」は意味のあるものを見つけるために、それぞれの一番価値のある大切なものを持ち寄ります。この過程がこの作品のすごいところです。

外野から見ている読者からしてみると、とても不条理なルールでその過程は進んでいきます。不条理で、残酷。残酷ではあるけれど、この周囲から隔絶した狂気的な「子どもたちの世界」もまた、誰しも覚えのあるものなんじゃないかとも思います。きっといまも子どもたちのLINEのグループなんかではこの本なんて目じゃないぐらい残酷なことが平然と繰り広げられています。

物語が進んでいくと「私たち」は「何かを失い、何かを手に入れ」るのですが、その失う「痛み」は人によってさまざまです。一人ひとりの考えも違えば、大切にしているものも違うから。「私たち」は多様です。そして「痛み」の多様さはフェアじゃないようにも見えます。簡単に言ってしまえば再生可能なものと不可能なものを失う痛みは違うんじゃないだろうかと。

そんな不条理さも含めての多様さだとしたら、世の中はなんて残酷なのでしょう。でもたぶんそういうとこまで全部込みでなるべく本当のことを言いたいのが作者の意図なのではないかと感じます。それが優しいことなのか、酷なことなのかは分かりませんが。 

子どもたちが無意味さについて考える意味

作品の内容をあまりバラさないようにと気をつけていたらかなり抽象的な書き方になってしまいましたが、本書は素晴らしい本だと思います。中学生ぐらい(思春期ぐらい)で読んだら良いんじゃないでしょうか。本書は世界16カ国で翻訳されているとのことだけど、日本でももっと読まれて良い本だと感じます。デンマークでは文科省の児童文学賞を受賞しているらしいです。文科省ってところがすごい。こんなむき出しのニヒリズムを子どもに推奨できるなんて。デンマーク、やるな。

なんとなく道徳的なことばっかり言われても白けちゃうというか、もっとストレートに「人生の意味は?」とか考えている子に取って付けたような道徳的な、建前的なことばかり言っても次元が違いすぎてそれこそ意味ないと思うから。 

中学校あたりからは受験というものを意識して、成績とか、容姿とか、経済力とか色んなものの意味を知りながらなんとなくその後の人生についても考えたりするけれど、学校やメディアでは「みんながんばれ。がんばればうまくいく」みたいなメッセージがやたらと語られたりするわけです。そこに対して疑問を持っているときに、その疑問に剥き出しな真摯さで向き合う物語と出会えることは子どもたちの精神衛生上とても良いと思うのです。 

とくに昨今は中高生、場合によっては小学生のうちからインターネットに触れるのが当たり前で、そこでは剥き出しの悪意みたいなものに出会ってしまいます。同じ剥き出しさでも悪意と人生の無意味さ(哲学的な問い)ではまったくの別物で、傷つきやすい年頃に悪意に無防備に触れてしまうとその影響をとても受けやすいのではないでしょうか。 

「大きな物語」がなくなった、と言われてもはや久しい現在において、人生の意味は自分で考えなくては誰も与えてはくれません。人生100年時代とも言われますし、働き続ける意味を見出すには、自分が何者なのか、自分の生きる意味は何なのかを自分で考え答えられるようにならなければなりません。とても難しい問いではあるけれど、人生は無意味だ、ということに真正面から向き合う。まずはそこからだと思うのです。

『人生なんて無意味だ』を読んだ方にオススメの本

最後に本書を読んだ方や興味を持った方にオススメの本をご紹介します。

ヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』

「一番やさしい哲学の本」として世界中で読まれている哲学ファンタジー小説。西洋哲学史を非常に分かりやすく学ぶことができる作品ですが、単に西洋哲学、西洋思想史が説明されているだけではなく、ミステリー小説としても非常に良くできており、ソフィーとともに謎を追いかけ始めるとページを捲る手が止められなくなります。

中島義道『人生を<半分>降りる』

この書評記事で「人生に意味はあるのか」や「死」について考えることは哲学の根本的な問いであると述べましたが、その問いに向き合うとはどういうことかを本書を通して知ることができます。それは楽なことではないし、幸せを目指すことにもつながらないかもしれません。それでもその問いに向き合い続ける必要のある人もいるでしょう。

永井均『<子ども>のための哲学』

哲学をすることは誰かの思想を学ぶことではなくあくまで自分で考えること、と説く哲学者永井さんによる著作。タイトルは子ども向けの哲学ということではなく、「子どもが考えるような純粋な問いを考え続けることこそが哲学である」という著者の考えを表しています。本書では「なぜ悪いことをしてはいけないのか」「なぜぼくは存在するのか」の2つの問いが扱われます。

書評も書いていますのでよければお読みください。

daisuket-book.hatenablog.com

仲正昌樹『いまを生きるための思想キーワード』

正義・善・決断主義・暴力・アーキテクチャ・カルト…などの政治哲学や倫理学における捉えにくいキーワードを、仲正昌樹さんが非常に分かりやすく解説してくれる一冊。哲学史上の位置づけから、現代社会における捉え方まで幅広い視点を提供しながら、ユーモアも交えつつの解説となっており楽しく読むことができます。

大澤真幸『社会学史』

哲学からは少し離れて社会についての興味がある方にオススメなのがこちらの本です。社会学の思想家、思想の内容を学びつつ、そうしたことをテーマとする社会学とはいったいどのような学問なのかという問いにも触れる意欲作です。新書でありながら非常に分厚く読み応えのある一冊です。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。