淡青色のゴールド

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書評『海と毒薬』宗教的軸のない日本人は「罪の意識」とどう向き合うのか

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書評『海と毒薬』宗教的軸のない日本人は「罪の意識」とどう向き合うのか

こんにちは。書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。本記事は遠藤周作の『海と毒薬』の書評記事です。「良心とは何か」という問題について考えたい方にオススメの作品です。

 

 

なぜ読んだのか?遠藤周作の小説として初めて手にした一冊

遠藤周作は先にエッセイを何冊か読んでいたのですが、小説を読んだのはこの作品が初めてでした。確か実家の母の本棚に『沈黙』が置いてあって、小学生ぐらいの頃から「遠藤周作読んでみたら」と言われて育ちました。読書習慣自体は子どもの頃からあったものの(私がどのようにして読書幅を広げてきたかについては以前にこちらの記事に書いております)、実家にいた高校卒業までの私は好んで読むのは大衆小説ばかりで、そのうち読みたいなとは思いつつも結局読まないまま実家を出て、大人になってしまっていました。その後大学、就職を経て小説に限らず読書の幅が広がっていく中で、それまで読んでいなかった作家に触れてみたいと考えたときに真っ先に頭に浮かんだのが子どもの頃から母に薦められ続けていた遠藤周作でした。遠藤周作の作品として『沈黙』を手にするか『海と毒薬』にするか、小説の最初の一冊をどちらにするか少し迷ったのですが、あらすじを読んで気になった本書を選びました。

どんな本か?あらすじ紹介と作品のテーマ「良心の呵責」について

太平洋戦争末期の1945年の8月に九州(帝国)大学の医学部で発生したアメリカ兵捕虜の生体解剖事件をモデルにした小説です。題材からして大分重いですよね。この事件、Wikipediaにも記事があるのですがそれを読んでるだけで気が重くなります。(九州大学生体解剖事件 - Wikipedia)

 

では実際の事件をモデルにした『海と毒薬』はどんなお話なのか。あらすじを簡単に紹介します。

 

とある街で医院を開く医師。腕は良いが陰鬱で得体のしれないこの医師・勝呂には曰くつきの過去があるらしい。

事件の顛末は回想として描かれる。主人公は、F市の大学病院に研修生として勤める勝呂医師。彼の担当患者である「おばはん」が、実験に供されることに対する葛藤。そして学部内で展開している橋本・権藤の教授同士の派閥抗争に対する空虚な嫌悪感。抗争の最中に行われた橋本教授による田部婦人への手術の失敗とその隠蔽。そして橋本教授が巻き返しを図るために引き受けた米兵の生体実験への誘い。生体解剖実験の様子へ。という流れで話が進み、勝呂医師の他、研修生の同僚である戸田医師や看護師など周囲の人物それぞれの葛藤が描かれる。

 

本作品のテーマは「良心の呵責」。遠藤周作はクリスチャン作家ですので、「罪の意識」といった方が適切でしょうか。キリスト教徒にとっては必然であるところの「罪の意識」が、そうした宗教的、精神的な軸を持たない日本人の個々人の中ではどう処理されいるのか、というところが主題です。

 

「良心」は文学の重要テーマであり続けている

日本人の、と書きましたが、この良心の呵責というものは文学にとっては非常に大きなテーマの一つですね。日本に限らずこのテーマを扱った作品はとても多くあります。まだまだ浅い私の読書歴の中でもいくつも思い浮かびます。

ドストエフスキー『罪と罰』

例えば、タイトルに罪の文字の入ったドストエフスキー『罪と罰』なんかは言わずもがなでしょう。優れた人間は社会道徳なんてぶっ飛ばしていいんだぜという独自理論に則り、殺人を計画するが、予期せぬ殺人まで追加せざるを得なかったことから良心の呵責が始まり…、というお話です。

カミュ『異邦人』

その他にはカミュの『異邦人』。「昨日、ママンが死んだ」という印象的な一文から始まるお話。ママンが死んだのに海に泳ぎに行くし、「太陽のせい」で人を殺すし、人生に意味も感じない倫理観のすっとんだ男の話。ストレートに良心とは何ぞやとか、理性って一体何だっけといったことを問いかける作品ですね。

太宰治『人間失格』

日本の文学作品で私の中で最も強烈に思い浮かぶのは太宰治の『人間失格』です。周囲のすべてを恐れ、自分が暴かれることを恐れ「道化」を演じ続ける男の話。『海と毒薬』を読みながら強烈に思い出した作品です。

 
 

なぜ「良心」は文学の重大テーマとなるのか

ではなぜこのように「良心」や「良心の呵責」はこれほど繰り返し文学の重大テーマであり続けているのでしょうか。

他人の心を覗くことはできないから

なぜ「良心の呵責」はこれほど大きなテーマとなるのでしょうか。そしてもっと大きな問いにしてしまえば、世界的に成功している宗教であるキリスト教はなぜ基本原理として「罪の意識」なんてものを必要とするのか

この難しい問題にスパッとした答えはとても出せないのですが、一つの考え方として、「他人の心は見ることができない」という問題が挙げられるのではないかと思います。それはつまり、相手の心が分からないということでもありますし、同時に、頭の中で何を考えていようとも自分の心は人には絶対に知られない、ということでもあります。

「人を殺してはいけません」

これは大抵の社会において広範に共有されるルールです。なぜなら自分たちの社会を守るために必要だからです。先頭に「自分たちの共同体内の」と付けても良いかもしれません。そしてこれらのルールを守るために、さらにその手前に道徳的なストッパーが置かれることになります。

「人を殺そうと思ってはいけません」であったり、「人を殺してしまった場合、悪いことをしたと感じなければなりません」といった倫理的なルールが出てきます。

こうした個人の内面に進んでくると、「まぁ確かに普通にそういう風に感じていれば人を殺すことはないよね」と理解できます。ただその一方で、そもそも人を殺してはいけないというところからスタートしてるのであれば、「実際に殺したりしなければ心の中で何考えていたって問題ないよね」という考えも出てくる訳です。

「もちろん、そう考えることも危険である。だから道徳が必要なんだ」というような反論も可能ですが、これに対しても、「じゃあちゃんと悪いことは悪いと感じているようなふりをすれば済むな」という思考が出てきます。いたちごっこです。結局が心が見えないのであれば、内面はコントロールしようがありません

自己の道徳的逸脱と自分だけでは向き合えない

社会的にはきちんとした道徳的なふるまいをしながら、内面では何かしら踏み外したような思考をしている人がいたとして。社会の側が道徳やら何やらを掲げても究極的にはコントロールできないのだから、内面の自由を保つことができて万々歳なのかというとまた別の問題が登場します。

 

「俺ってば心の中ではこんな悪いこと考えてみたりしてるけど、これって俺が変なのか…?」

 

このように思考した人間がいたとしても、非道徳的な考え方は自分の外に出すことが憚られますので、周囲の人間と価値観のズレを確かめ合うことは原理的に難しいのです。みんながみんな表面上道徳的にふるまっているとなると、もしかしたら内面でおかしなことを考えてるのは自分だけで他のみんなは内面でもきちんと道徳的に考えることができているのではないか、という観念にとりつかれます。これは非常に怖い観念です。自分が気持ち悪く、他人が気持ち悪く、もうただただ恐ろしくなります。

実際に私は思春期にこの観念にとらわれまして僕はきっと世の中で一番汚い人間なんだろう」などと考えては夜も眠れなくなるほど恐怖したものです。

「良心」をテーマとした作品は道徳的に逸脱する内面の呪いを解く

こうした思考にとらわれた人にとって「良心の呵責」をテーマにした小説というのは、ものすごく大切です。

「あぁ、良かった。俺だけじゃなかったんだ」

そう感じることができるのは、これはもはや一つの救いです。私の場合は太宰治がそれでした。先に挙げた『人間失格』は中学か高校に入ったぐらいで読んだのですが、まぁとても極端な話です。極端な話、というか太宰自身がとても極端な人なんですね。

『人間失格』について聞いた話で面白いと感じたのは、

この主人公は自分のことだと感じる人と、こんな理解不能な人間いるわけない感じる人と、きれいに2種類に別れるらしいという話です。私の場合は完全に、あぁこれは自分のことだ、と感じた人間でした。もう自分以上にこの主人公に共感できる人間はいないだろうと思った程に。その後、幸いにも『人間失格』に共感する人にもまったく共感しない人にも出会って、お酒を飲みながら喧々諤々議論をできるような機会に恵まれました。そうした経験を経た結果「まぁいろいろな考え方があるのだな」というものすごくありふれて常識的な思考を手に入れて現在に至っております。まったく大人になったものです。

さて、少し話がズレましたが、「良心」という道徳的には基礎や前提とされるけれども、その本当のところはお互いに見せ合うことができないものについて考えることや、自分以外の視点から追体験するという役割は文学だからこそできることだと考えます。だからこれだけ繰り返し繰り返しテーマに選ばれるし、きっと今後もテーマになり続けていくのでしょう。

「良心」を軸に持つ『人間失格』と『海と毒薬』の視点の違い

さて、『人間失格』に少し触れましたので、同じ日本作家による「良心」を扱う作品として、両作品にはどのような違いを感じるかという点についても少しお話しましょう。全然違う作品ですし、そもそも同じ文脈で語る本でないかもしれませんが。

極端に振り切って見せる『人間失格』、荒れる感情を中庸の中に抑えつける苦しさを描く『海と毒薬』

私個人は『人間失格』に共感しすぎるぐらいに共感しているのですが、共感できない人がいる、というのも分かるのです。だって壊れてますもんね、あの主人公。そして太宰も。太宰をすごいと思うのは、ある種の人間に共感させるポイントを描き惹きつけておきながら思いっきり振りきってぶっ壊れてしまう様を見せること。そして太宰の小説や彼自身の行動が極端を振りきっているので、逆に共感しすぎるほどに共感しまくっている自分はそこまで壊れずに生活していけそうだな、と思えること。

では本記事で紹介する『海と毒薬』はどうかというと、対極と言えるほどに異なります。「壊れ」とか「極端」というのとは程遠い不気味なほどに落ち着いた作品です。

葛藤や、恐れ、迷い、躊躇い、憂鬱さなど様々な感情が描かれます。ぐるぐると考え、気持ちが揺れる様子が非常に丁寧に描かれていきます。その過程はある意味淡々と進んでいきます。あくまで常識的な範疇に居続ける登場人物たちの葛藤を追体験することによって、自分の似たような記憶が呼び起こされる人も居るのではないでしょうか。それぐらいリアルさがあります。

読者の過去の体験を呼び覚ますリアルさを持つ戸田医師の回想

私自身は戸田医師の少年時代の回想によって色々過去の経験を思い出してしてしまいました。戸田医師の独白は常識的な感覚だと感じさせるからこそ私たちの記憶や感覚をえぐります。

そのくせ、長い間、ぼくは自分が良心の麻痺した男だと考えたことはなかった。良心の呵責とは今まで書いた通り、子供の時からぼくにとっては、他人の眼、社会の罰に対する恐怖だけだったのである。勿論、自分が善人だとは思いもしなかったが、どの友人も一皮向けば、ぼくと同じだと考えていたのだ。偶然の結果かもしれないが僕がやった事はいつも罰をうけることはなく、社会の非難をあびることはなかった。

 

醜悪だとは思っている。だが醜悪だと思うことと苦しむこととは別の問題だ。それならば、なぜこんな手記を今日、ぼくは書いたのだろう。不気味だからだ。他人の眼や社会の罰だけにしか恐れを感ぜず、それが覗かれれば恐れも消える自分が不気味になってきたからだ。不気味といえば誇張がある。ふしぎのまだピッタリとする。ぼくはあなた達にもききたい。あなた達もやはり、僕と同じように一皮むけば、他人の死、他人の苦しみに無感動なのだろうか。多少の悪ならば社会から罰せられない以上はそれほどの後ろめたさ、恥しさもなく今日まで通してきたのだろうか。そしてある日、そんな自分がふしぎだと感じることがあるのだろうか。

この問いかけ。えぐられますね。「日本人的良心」をこれ程的確にえぐる言葉はないのではないかと思います。リアルでもネットでも「空気を読む」ことがより強力に求められるようになっているように感じる最近の日本社会の背景にあるのは、こういった心理傾向なのかもしれません。

昨今の新型コロナウィルスの流行の中では「自粛警察」と呼ばれるような行動を取る人もいます。コロナに限らず「人に厳しく」社会的な制裁を課そうとする態度の背景にも本書で扱われる「良心(善悪の感情、判断)」があるように感じます。

物事の善し悪しを自分自身がどう考えるか、考えていることに対しどのようにふるまうか、自分以外の第三者にどのようなふるまいをもとめるのか。そうしたことの重なりがどのような社会の空気を作っているのか、作っていくのか。一人ひとりが考え続けていきたいテーマが描かれた名作です。あなたはどのように感じるでしょうか。

 

 

『 海と毒薬』を読んだ人にオススメの本

最後に本書を読んだ方や興味を持った方にオススメの本をご紹介します。

太宰治『人間失格』

本記事で『海と毒薬』と比較してご紹介した『人間失格』。「私と他人の違い」について少しでも思い悩んだことのある方にはぜひ一読をおすすめします。特に若い人。太宰は10代のうちに読むのがオススメです。どの作品も短いのですぐに読めます。

 

遠藤周作『悲しみの歌』

本記事で紹介した『海と毒薬』の続編にあたる作品で、主人公は同じく戸田医師です。『海と毒薬』終了後の戸田医師の姿が描かれますが、終始戸田医師の視点を中心に進んだ『海と毒薬』に比べると登場人物が多く、複数の目線から戸田医師の姿や内面があぶり出され、『海と毒薬』とはまた違った印象のある作品です。

 

カミュ『異邦人』

『海と毒薬』と同じように「良心」を テーマとして扱った作品です。主人公の感覚の常人との離れ具合でいうとどちらかというと『人間失格』に通じる作品とも言えますが、その極端さの中に私たち自身のとの感覚との共通性を感じ、考えながら読める作品です。

 

山本七平『空気の研究』

『海と毒薬』のテーマは「良心」でした。個人の内面の中だけで留まる問題ではなく、人間関係や社会関係の中でも考えていかなければならないテーマです。個人の内面から少し脱して人間関係や社会のレイヤーで考えたい方にオススメなのが本書。日本人の人間関係にどのような感情の、関係性の力学が働いているのかを研究した本としては外せない一冊です。