淡青色のゴールド

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レビュー『虚空遍歴』人間の真価は何を為したかではなく、為そうとしたか

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レビュー『虚空遍歴』人間の真価は何を為したかではなく、為そうとしたか

書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。当ブログとしては最初の書評記事となります。書評ブログに書く最初の書評をどれにしようかと少し悩んでいたのですが、話題の本や新しい本にとらわれず好きな本について好きなように書いていきたいということで、私の読書人生の中でも特に印象の強い山本周五郎の『虚空遍歴』の感想から初めていきたいと思います。
虚空遍歴(上) (新潮文庫)

虚空遍歴(上) (新潮文庫)

 
虚空遍歴(下) (新潮文庫)

虚空遍歴(下) (新潮文庫)

 
 

内容紹介

主人公は中藤冲也。江戸時代の武士でありながらその身分を捨て、浄瑠璃作家という「芸」の世界に生きていくことを選びます。
冲也はその道を選ぶだけの才能を持っています。彼が作る端唄の節回しは独特の魅力を持ち、江戸はもちろんのこと遠国でも評判を呼ぶようになります。
ただ、冲也はそこで満足し奢るようなことはなく、「冲也節」という自分だけの新たな芸術の完成だけを目指し生きていきます。
自分がこれと決めた道を突き進む人生。自分が成し遂げるべき仕事を自ら選びとる覚悟。才能をもってしてもその生き様は虚空を遍歴するようなものであり、その行く末は確かではない…。
 
 

山本周五郎三大長編の一つであり、周五郎のテーマをつきつめた作品

『虚空遍歴』は山本周五郎の長編作品です。歴史小説の作品が非常に多い山本周五郎ですが、割合としては短編小説が非常に多いです。刊行されている本の大半は短編集で、何十冊も周五郎を読んでいると周五郎の短編の小気味いいリズムに慣れてくるのですが、それでも「周五郎の作品で印象に残っているものは?」と聞かれれば強く印象に残っているのはやはり長編の作品です。名作がいくつもあるのですが、特に有名なのが三大長編と呼ばれる『樅ノ木は残った』『虚空遍歴』『ながい坂』の三作品。『樅ノ木は残った』は昔大河ドラマ化もされているということで周五郎の作品の中では最も有名なのではないかと思います。
 
その三作品はいずれも周五郎らしい作品なのですが、周五郎的小説世界のテーマを最も純粋につきつめた作品は『虚空遍歴』なのではないかと感じています。
そのテーマとは「人生における価値とは何を為したかではなく、何を為そうとしたかによって決まるのである」というもの。いくつもの短編、長編でこのテーマは何度となく描かれるのですが、この作品ほど強烈な、あるいみ残酷なまでの純粋さで描ききった作品はないのではないかと思います。
 
 

人間の真価は何を為したかではなく何を為そうとしたか

主人公が最終的に何かを成し遂げるゴールに向かって、その課程の大切さを描く、というような単純なハッピーエンドに向かって進む作品ではありません。様々な困難を乗り越え苦労を経た末に、冲也が念願の冲也節を打ち立ててその努力が報われるという分かりやすい話ではないのです。かと言って、ただひたすらに報われずに終わってしまう悲惨な話ということでも、ありません。
 
そこが本作品の印象を強烈にしている要因であり、非常に強い読後感で感じることはきっと読者それぞれが「人生の価値」というものをどう考えているか、この作品を通してその考えにどのような揺さぶりを受けてきたか、によって様々なものとなるのでしょう。
 
報われない、ということでいえば確かに冲也は報われないのです。上下巻の約800ページに渡って、なぜこんなにも厳しい人生を描くことができるんだと、特に下巻では徐々に自分を見失っていくような冲也を見ていて読むのが辛くなることもあるほどでした。
 
ただ、じゃあ冲也の人生は失敗だったのか、価値のないものだったのかというと、そうではない!という強い否定の気持ちを感じざるを得ません。
 
もちろん客観的にとか、社会的にとか、そういった視点でもって芸術家として大成した成功者になることができたわけではないので、その視点で言えば冲也は誰の目にも明らかな「失敗者」なのでしょう。自信の才能に溺れてしまったのだ、と。
 
でも例えそうであったとしても、そうした世間的な評価を冲也が知ったとして、彼が違う生き方を選ぶかといったらそれは違うでしょう。そうしたことを知らされた上で生き直しをしたところで、きっと彼は同じような生きる道を選ぶのではないかと思わせるし、そうすることが「人生の価値」なのではないかと読者に感じさせる強さがあります。
 
なぜならきっと冲也は後悔をしていないから。冲也自身が後悔をしていない、自分の生きる道に確信を持っているというその一点をもって、きっと彼の人生は報われなかった訳ではないのでしょう。
 
「報われない人生」とは何を表すのでしょうか。「人間の真価は何を為したかではなく、何を為そうとしたか」という本書を紹介する言葉に依るとすれば、何かを為すがために突き進んだ冲也は「その生き様を選ぶことによって彼自身によって報いる」という生き方だったのでしょう。
 
 
 

私たちは冲也のように生きることができるのか?

自分が見定めた為すべきことのために生きていく。そこにこそ人生の価値がある。
本作品の、冲也の人生からはそのようなメッセージを受け取ります。そしてその生き方、生き様は魅力的なものだとも思います。言ってしまえば、そのような生き方は、カッコいい。そんな風にいきられたらいいな、とも思います。
 
でも、それは容易に選び取ることはできないのではないか、という難しさ、いや辛さのようなものが先に来てしまいます。それほどに、冲也の生き様なすさまじい。
 
がんばったのに報われないのはやっぱりキツいでしょうよ、とか
自分の成し遂げたことをやっぱり人に認めてもらいたいよ、とか
成果まで見えてなくてもせめて光明ぐらいは見失わずにいたいよ、とか
光明さえも見失うとしたらそれはきっとどこかで何かを間違ったのではないか、とか。
そういうことをやっぱり考えてしまいます。
 
冲也は何かを間違えていたのでしょうか。
冲也が成功する方法はどこかにあったのでしょうか。
成功とは言わないまでも、あれほどまでに辛い生き様を辿らずに住む道もあったのではないでしょうか。
 
自分の才能を見誤ってしまったのでしょうか。
自分の力でできることを弁えて、その範囲でできることを少しずつ広げなら…と、せめてそうした着実な動き方をすべきだったのでしょうか。
流行り、持て囃された自分の端唄を嫌悪するのではなく、うまく付き合っていくところから進んでいけばよかったのでしょうか。
 
いやいや、そういうことではないのかもしれません。
 
じゃあ、だとしたら、どんなに才能を持っていたとしても、自分ひとりの力でなんとかするということに拘りすぎたのがいけないのでしょうか。
私たちが社会の中で何事かを為すには、独りの力では足りません。才能や技術といった面だけではなく、人間関係や経済などさまざまなつながりの中で生きていくことが必要であるにも関わらず、そこを上手に受け止めることができなかったのが間違いだったのでしょうか。
 
などと、どうすればよかったのか、をついつい考えてしまいます。でもきっとそこに意味はありません。冲也はきっとどうしたって同じように生きたのだろう、と感じます。
そう感じてしまうことが読者としては辛いし、もどかしい。そしてそうでありながらそこにこそ憧れもするし、自分の生き方を顧みざるを得なくさせる部分でもあります。
 
 

読者を代弁する「おけいさん」という存在

と、そんな風に、冲也の超人的な強さに息苦しさを感じつつも引き込まれるものを感じるのは、彼に寄り添い見守り続けるおけいさんの存在に依るところが大きいのではないかと思います。
 
おけいさんは作中で、冲也に対して唯一無二の理解を示し、彼の志向や目指すところに通じる特別な人物として描かれています。一方で彼女は性質としては冲也のような強い人間ではなく、むしろ私たち読者にも通じた姿であり、読者の気持ちを代弁してくれる存在でもあります。
 
彼女が冲也を思い遣る視線や立ち居振る舞いがあるからこそ、より一層冲也の生き方がその辛さに置いて引き立ちます。冲也の理解者でありながらも、常識的で温かい感情の目線があることで、一層冲也の厳しい生き様は孤高で真似し難い、そしてだからこそ魅力的なものになります。
 
読者の仮のすがたであるからこそ、おけいさんは知人たちに冲也との仲をいくら訝られても恋仲にはならないし、冲也の死後に後追いをしたりもしません。「終わり」の独白で吐露される置いてけぼりをくったような感じはまさに読者の気持ちに近いものでしょう。
 
 
 

まとめ

以上、本ブログでの書評としては初の記事となります。
本のジャンルも色々なので小説メインになるかどうかは分かりませんが、読書や本は私の人生に奥深さを与えてくれるものだと考えていますので、数々の読書人生の中でもストレートに「人生の価値」について考えるきっかけをくれた本書を最初に取り上げてみました。
 
お読みいただきありがとうございました。