本から本へつながる書評ブログ『淡青色のゴールド』

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書評『「カッコいい」とは何か』新しいカッコいいをつくり、見せることの意味

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書評『「カッコいい」とは何か』新しいカッコいいをつくり、見せることの意味

こんにちは。書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。本記事は平野啓一郎さんの『「カッコいい」とは何か』の書評記事です。「カッコいい」という言葉のさまざまな意味や語源、社会文化的あるいは宗教的な使用の文脈、政治利用されてきた経緯など非常に丁寧に掘り下げる本です。単純に「カッコいい」という言葉について考えたい方はもちろんのこと、マーケティング等において自社・自組織の製品・サービスを「カッコいい」とブランディングしたいと考えたことのある方にも非常にオススメです。

 

 

内容紹介

タイトルの通り「カッコいい」という言葉やそれが表す概念について丁寧に考察した本です。語源の「格好いい」と「カッコいい」との意味の違いというところから、他の似た概念を表す言葉を日本語、他の言語も含めて考察を重ねています。言葉の使われ方や表すものを理解する上では当然文化や社会の歴史についても考えることが必要ですが、なかなか自分でそこまで調べることはできないので、なるほど!と感動しながら読み進めました。非常に面白かったです。個人的にはタイトルの時点でビビッと惹かれたのですが、特に内容紹介でも触れられている「「カッコいい」は、民主主義と資本主義とが組み合わされた世界で、動員と消費に巨大な力を発揮してきた」というテーマについて考えを深めたく、新書にしては分厚い本ではあるのですが、楽しみながら考えながらあっという間に読んでしまいました。

Amazonの内容紹介から引用します。

本書は、「カッコいい」男、「カッコいい」女になるための具体的な指南書ではない。そうではなく、「カッコいい」という概念は、そもそも何なのかを知ることを目的としている。

「カッコいい」は、民主主義と資本主義とが組み合わされた世界で、動員と消費に巨大な力を発揮してきた。端的に言って、「カッコいい」とは何かがわからなければ、私たちは、20世紀後半の文化現象を理解することが出来ないのである。

誰もが、「カッコいい」とはどういうことなのかを、自明なほどによく知っている。
ところが、複数の人間で、それじゃあ何が、また誰が「カッコいい」のかと議論し出すと、容易には合意に至らず、時にはケンカにさえなってしまう。

一体、「カッコいい」とは、何なのか?

本書の構成

本書は以下のように構成されています。

はじめに
第1章 「カッコいい」という日本語
第2章 趣味は人それぞれか?
第3章 「しびれる」という体感
第4章 「カッコ悪い」ことの不安
第5章 表面的か、実質的か
第6章 アトランティック・クロッシング
第7章 ダンディズム
第8章 「キリストに倣いて」以降
第9章 それは「男の美学」なのか?
第10章 「カッコいい」のこれから
注釈
おわりに
参考文献

『「カッコいい」とは何か』の画像

約480ページ、新書にしては異例の分厚さ。充実の読み応えです。

「カッコいい」の条件整理と本書での掘り下げ方

本書はタイトルの通り「カッコいい」という言葉、概念について考察していく本ですが、多くの人がご想像の通り「カッコいいとは何か」を一言で語ることは簡単ではありません。そもそも人によって「カッコいい」対象は異なります。人によってカッコよさを感じる対象も違えば、その言葉からイメージしているものも違います。例えば見た目・外見的なカッコよさを重視する人や文脈もあれば、内面や本質的なカッコよさを重視する人や文脈もあります。

考慮すべきことがさまざまあることに触れつつも、さまざまな言説や社会的な減少などを紐解きながら著者は「カッコいい」の条件を以下のようにまとめます。

  • 魅力的(自然と心惹かれる)
  • 生理的興奮(「しびれる」ような体感)
  • 多様性(一つの価値観に縛られない)
  • 他者性(自分にはない美点を持っている)
  • 非日常性(現実世界から解放してくれる)
  • 理想像(比類なく優れている)
  • 同化・模倣願望(自分もそうなりたいと自発的に感じさせる)
  • 再現可能性(実際に、憧れていた存在の「カッコよさ」を分有できる)

「カッコいい」という言葉が使われる場合、文脈によって上記のいずれかの意味、あるいはその組み合わせの意味が持たされていると理解することができます。この文脈は自分自身が「カッコいい」と思うものや経験をあれこれと思い浮かべたり、「カッコいい」という言葉を使う文脈を思い返してみてもそれなりに腑に落ちるものです。この「カッコいい」の条件の提示は第1章のまとめ的に提示されます。正直この条件整理をしただけでもかなりの労作だと感じていますが、むしろ本書はここからが始まりです。

第2章以降では語源や歴史的背景など言語的な考察は当然おさえつつ、上記の「カッコいい」のさまざまな条件を確度を変えて特に音楽や映画、服飾に宗教、あるいはそうした各種テーマを取り上げるメディアなど文化・社会的な側面から具体例を挙げつつ掘り下げていきます。

例えば音楽については、マイルス・デイビスやロック、あるいはクレージーキャッツなどが取り上げられますが、もちろんそれら題材に取り上げられる対象自体が万人にとって「カッコいい」対象であると解説しているわけではありません。それらを「カッコいいと感じる人にとってどういう感覚なのか」「そのように感じる人が多くいることの背景や意味は何か」といったことが一つ一つ丁寧に解説されますので、取り上げられる題材自体へのカッコいいという感情を共有できていなくても内容を理解し、楽しむことができますし、著者とはまったく相容れない感性を持ちながら読むことができるとしたら、むしろより楽しめるのではないかと感じます。

一つの言葉について考えを深める視点の広さを学ぶ

私は本書を読む前から「カッコいい」という言葉や概念、その使われ方などに関心があり、個人的に考えてきたこともあったので、本屋で本書を見つけたときにはすぐに購入を決め、本書のテーマ自体に非常に強い関心を持ちながら読み進めたのですが、本書を読んで最も勉強になったと感じるのは本書のテーマそのものよりもむしろ、本書の構成や「カッコいい」という一つの言葉についてさまざまな確度から掘り下げる視点の広さや深さです。

例えば「カッコいい」と「格好いい」では微妙に意味や定義も異なりますし、歴史的な背景や文脈も異なります。「カッコいい」という言葉が使われる場面も様々で、前述の通り音楽や映画、文学や服飾などさまざまな文化的な側面があります。文脈にも寄りますが「カッコいい」と似た意味で使われる言葉として例えば英語には「クール(Cool)」という言葉があったり、日本語にも「粋」という言葉があります。そして社会文化的な背景だけでなく、生理学的な側面や心理学的なにも注目し多様な視点から語られます。また、こうした様々な文脈でポジティブに使われる魅力的な言葉、概念であるからこそ政治利用されることやマーケティング利用されることなどネガティブな側面や注意すべき点などもあり、そうした観点についても触れられています。

ということで、本書は新書にしては異例の分厚さ(最近特に講談社現代新書では分厚いものも増えていますが)の約480ページとなっています。

ここに述べてきたようなさまざまな観点について、すべてを論じ切るには480ページでもまだ十分ではなく、語りきれていないと感じる観点もあるにはあるのですが、それでもこれだけの視野を広げて調べ、書籍にまとめる構成力に感銘を受けました。

例えば「共感」という言葉

個人的にも気になった単語や概念については、複数の書籍を読みながら考えを深めていくことをよくやります。例えば最近(この一、二年程)は「共感」という言葉について考えています。現在主な仕事としてコンサル支援をしている非営利組織においては「共感」という言葉が非常によく使われる重要キーワードになっており、自分自身もその重要性を強調する言葉だからこそ、意味合いや背景について自分なりの考えを確立した上で使っていきたいと考えていたからです。「共感」という言葉がテーマとなった書籍をいくつも読んだり(例えば『共感経営』『反共感論』『共感資本主義を生きる』など)、共感の対象となり得る要素として「物語(ストーリー、ナラティブ)」という言葉・概念についての書籍を読んだり、といった具合です。そもそもこうした言葉や概念について考えを深めるときは、自分が考えたいことの全体像が自分でもつかめておらず、つかめていないからこそ考えたいというところもありますが、それでも情報収集をしたり視点を飛ばす方向性の広がりについて、本書を読んで自分のやり方ではまだまだ圧倒的に足りなかったなと反省しつつ、今後の参考になるなと感じ入ったポイントでした。

若者の新たな「カッコいい」は成り立ち得るか?

本書の中で気になった点です。「カッコいい」という言葉は、20世紀後半の高度経済成長の消費経済の中で一気に普及してきた言葉(本書では「カッコいい」と「格好いい」は別の言葉として扱われています)であり、その言葉や文化の担い手は古い文化に対抗する新しい世代だったといいます。そして、人口構成がピラミッド型であった時代はそれで良かったが、ピラミッドが釣鐘型となった今(要は少子高齢化が進んでいくこれからの時代)からは、若者の新たな「カッコいい」は古い世代に取って代わることができないのではないか?もしそうだとしたらそれは社会的に何を意味するのか、という指摘が行われています。

この指摘には確かに、と感じる点もある一方でいくつか考えたい点があります。

経済の成熟化という背景をどう考えるべきか

まず、経済社会の成熟が進み、人々の趣味・志向が多様化していることをどのように捉えるべきかという点です。著者の文脈では若者の人口比率が減っているから世代として文化的な新たな「カッコいい」を生み出し前の世代のものに取って代わっていくことができないのではないかということになりますが、そもそも趣味・志向の多様化・細分化が進んでいるので、もし現代の若者の人口比率が大きかったとしても世代的な新たな「カッコいい」は生まれにくいのではないか?ということです。ただし、これにはもう少し考えるべき点があって、そもそも少子高齢化が進む背景(の一つ)には女性の社会進出の進展による晩婚化・少子化・未婚化などがありますが、そうした女性の変化やそれを受けての男性の変化、あるいは平均寿命の伸長による高齢化の進展など経済的に豊かな方向への変化があったからこそ、経済の成熟化が進んだとも言えますので、これは表裏一体の問題とも捉えることができるかもしれません。新たな世代の「カッコいい」はありうるのでしょうか。

「インフルエンサー」と「老害」

一方で、SNSなどを始めとして「インフルエンサー」と呼ばれる人がさまざまな分野で登場し、影響力を持つようになっています。こうした方たちはまさに「カッコいい」の対象と捉えることができますし、若者世代において十分に成り立っていると言えます。だとすると、著者の言う「古い世代に取って代わる」とはどういう意味で、そもそもそれは必要なのか?という点を考えてみる必要もあるかもしれません。社会的なムーブメントやパワーの中で社会が動かされていくということを考えるとしたらそのような動きやパワーが起こりにくくなるという点は憂慮すべき点、文脈と言えるかもしれません。

あまり良い言葉ではないと感じていますし、そもそも世代論でものごとを捉えることがあまり好きではありませんが、例えば「老害」という言葉があります。これは主に若い世代が上の世代で(若い世代にとってあまり好ましくない)影響力を発揮し続ける人に対して嘲笑的に使われる言葉ですが、若者世代の新たな「カッコいい」が上の世代のそれに取って代わることができない場面が増えている中でこうした言葉が使われる場面が増えているのでしょうか。

グローバルに捉える世代論

「カッコいい」の世代論についてもう一つ考えたい点は、「若者世代が減っている」というのは日本においての文脈であるということです。日本以外にもいわゆる欧米諸国も多かれ少なかれ少子高齢化が進んでいるので日本と似た文脈にはありますが、世界規模に視点を移すと話が変わってきます。世界全体ではまだ人口増加傾向は進んでおり人口ピラミッドは現在もピラミッド型です。

ミレニアル世代(1980ー2000)の人口比率は約77億人の人口の31.5%、そしてひとつ下の世代であるZ世代(21世紀生まれ)は2019年にミレニアル世代の人口を超えたと見られており32%と言われており、世界規模で見ると若者世代の方が多数派です。グローバルな文脈では若者世代の「カッコいい」が古い世代のものに取って代わることが可能であると言えるということですが、果たしてそれはどのような文脈のどのようなものとして表れうるのでしょうか。

社会貢献や社会課題解決への参加が「カッコいい」という考え方について

続いて、最後になりましたが、個人的にはこの点について考えたくて読んだという部分も大きい点です。ただし、本書においては「ノブレスオブリージュ」の視点からの考察しか触れられていなかったのは少し残念でした。

慈善活動や環境運動への取り組みを「カッコいい」とするメンタリティも、「アンドレイア(古代ギリシア以来の西洋の中心的な4徳目の一つ、勇気)」にはなかったものである。
所謂「ノブレス・オブリージュ」は、社会的分配の機能不全が意識された一九世紀以降の比較的新しい伝統であり、あ¥また慈善活動の主体となったサロンの女主人たちが依拠したのは、キリスト教の伝統だった。
(中略)
また、マザー・テレサやアフガニスタンの不毛の荒野に様子虚を建設して緑地化したペシャワール会の中村哲などは、かつての感覚では「カッコいい」という言葉で表現するのは不適当だっただろうが、今日では、そう評して違和感を覚えない、という人も少なくあるまい。
彼らには、勿論、立派だとか、素晴らしいといった称賛の言葉も似つかわしいが、自らの感動と憧れ、尊敬を含んだ「カッコいい」という言葉には、より能動的な意味が込められ得よう。彼らは、人間のあるべき姿として、個人が理想像と見做し得る人物であり、その活動の映像に「鳥肌が立った」人も少なくないだろう。

著者がこれを述べているのは「「カッコいい」の対象は様々なで多様である」ということを述べる文脈であり、社会貢献活動をカッコいいと捉えること自体についてはこれ以上の言及や掘り下げはありません。

ミレニアル世代以降の世代の社会貢献意欲、社会課題解決志向の強さはよく指摘されますが、この世代的な志向特性の背景にあるのは「ノブレスオブリージュ」的な発想とは少しずれるところもあると感じます。むしろ前述の上の世代との対決、という文脈で捉えて得るものに近いと感じています。

「カッコいい」には「マネしたい」と思わせる同化・模倣願望を引き立てる力があり、だからこそしばしば政治利用される可能性が常に存在するということが本書では注意深く指摘されてきました。第二次大戦期のファシズムを始めとして、日本でも他国でも、戦争動員のために「カッコいい」が利用されてきたことは本書の解説を待たずとも知っている方は多いでしょう。

そう考えた時に、NPOやソーシャルビジネスの担い手がその活動への参加や寄付の呼びかけを行う時に「カッコいい」を活用することにどういう意味があるのでしょうか。社会課題を放置することや、それを拡大する文脈に意識的・無意識的に加担することはカッコ悪いことであり、社会課題解決に能動的に関わることはカッコいいことである、とそのようなイメージやムーブメントを起こしていきたいと考えている方は少なくないでしょうし、私自身もそのように考えることもあります。何より私自身は自分自身がNPO等の社会課題解決を推進する人たちをコンサルタントという立場で支える仕事を行っていることを「カッコいい」ことだと考えているという自覚があります。社会課題解決のスピードを高めていくために、こうした文脈の活用を考えていくことは無駄ではありませんし、大切なことだと考えていますが、同時にその危険性や懸念点についても忘れてはいけません。

本書では「倫理性を問い続けること」と軽く触れられていましたが、この点について担い手自身が自覚的であり続ける必要があるのだと思います。みなさんはどのように考えるでしょうか。

『「カッコいい」とは何か』を読んだ人にオススメの本

最後に本書を読んだ方や興味を持った方にオススメの本をご紹介します。

平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』

平野啓一郎さんは小説家ですので、小説作品の方がオススメではありますが、『「カッコいい」とは何か』から派生して、ということであれば同じく講談社現代新書から出版されている『私とは何か 「個人」から「分人」へ』がオススメです。『「カッコいい」とは何か』の中でも少し触れられていましたが、分人主義というコミュニケーションやアイデンティティについての平野さんが提唱する非常に分かりやすい考え方です。

書評も書いておりますので、よければお読みください。

 

daisuket-book.hatenablog.com

 

アンソニー・プラトカニス、エリオット・アロンソン『プロパガンダ:広告・政治宣伝のからくりを見抜く』

本文中で「カッコいい」が政治利用されてきたことについて少し触れましたが、この点について政治や広告の側の視点からより詳しく考えたいという方は本書に限らず「プロパガンダ」に関する書籍を手にしてみることをオススメします。

グレアム・ロートン、 ジェニファー・ダニエル『New Scientist 起源図鑑 ビッグバンからへそのゴマまで、ほとんどあらゆることの歴史』

最後は少し視点を変えたご紹介です。私は『「カッコいい」とは何か』を読んだ際に、一つの言葉・概念の背景や経緯を丁寧に調べ、解説する姿勢そのものに感銘を受けましたし、面白味を感じる点でもありました。そのように色々なものごとの背景を知りたいという好奇心をお持ちの方は多いのではないでしょうか。そんな方にオススメなのがこちらの本。大人が楽しめる図鑑です。

最後までお読みいただきありがとうございました。