本から本へつながる書評ブログ『淡青色のゴールド』

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書評『人間科学におけるエヴィデンスとは何か』現場の成果を定量的ではなく、それでも明証的に示すためにできること

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書評『人間科学におけるエヴィデンスとは何か』現場の成果を定量的ではなく、それでも明証的に示すためにできること

こんにちは。書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。本記事は『人間科学におけるエヴィデンスとは何か』の書評です。医療、福祉や教育などの分野で、特に対人支援に関わる方にはぜひお読みいただきたいです。また、対人支援以外の分野でもソーシャルセクターを中心に注目されている社会的インパクト志向の潮流やその実践に関心のある方にもぜひ読んでいただきたい本です。

 

内容紹介

本書のテーマはタイトルの通り「人間科学におけるエヴィデンスとは何か」という問いに向き合うことです。そしてこの問いに向き合う中心軸として「現象学」が扱われており、哲学的な理論側面から医療や福祉の現場における実践まで、5人の研究者・実践家がそれぞれの領域からの研究成果や論点を学術的ではありつつもわかりやすく紹介している本です。特徴としては副題として「現象学と実践をつなぐ」と冠されている通り、対人支援の現場における現象学的な視点の有効性や活用方法を理論的な背景も含めて検討する視点であり、特に鯨岡峻氏の保育現場での実践や小林隆児氏による精神療法へのアプローチなどは現場の実践者の方には興味深いものでしょう。

個人的には看護分野では現象学の知見が活かされていることは以前から知っており、その関心からこれまでにも現象学の本は何冊か読んでいましたが、対人支援の現場での活用を考えるという点では本書はこれまで読んできた本と比較しても圧倒的に示唆に富むものでした。まず、第1章の竹田青嗣氏によるフッサール解説が抜群にわかりやすく、現象学自体を捉え直すことができ、対人支援を始めとする人間科学分野において現象学の視点が有効であることに確信を持つことができました。また、現場の実践という点では鯨岡峻氏の「接面」の考え方が非常に気づきの大きいもので、これまで言語化できていなかった感覚についての確信や自信を持つことにつながりました。

本書の構成

本書は以下のように構成されています。

プロローグ(西研)
第1章 人文科学の本質学的展開(竹田青嗣)
第2章 質的研究における現象学の可能性(山竹伸二)
第3章 人間科学と本質観取(西研)
第4章 「接面」からみた人間諸科学(鯨岡峻)
第5章 精神療法におけるエヴィデンスとは何か(小林隆児)
エピローグ(小林隆児)
索引

第1章は竹田青嗣氏による現象学の解説です。「本質学」を名乗る現象学の基本的な視点の持ち方やそれが近代社会の理解においてどのような意味を持ちうるのか、そしてそのような視座を持つ現象学がこれまであまり注目を浴びてこなかった背景として現象学がどのように「誤解」されてきたのかなどについてもわかりやすく解説します。

続く第2章では山竹伸二氏によって「質的研究」という人文科学・社会科学の一部分野では非常に重要な研究領域であり、現場での実践とも関わりの深いテーマについて、現象学がいかに関わるのか、特に「事実」を観測・測定し数値化・デジタル化する自然科学のアプローチと現象学の視点がどのように異なるのかが解説されます。

第3章では西研氏が、現象学の重要な視点である「本質観取」について具体例を交えて解説します。複数の人間が感じている「なつかしさ」という感覚が「同じものかどうか」を本質観取の手法で明らかにする例が紹介されています。

第4章は鯨岡峻氏による保育現場での実践が解説されます。「本質観取」の手法を応用した「接面」という概念が紹介されます。保育現場において子どもの言動が感覚的に「わかる」という感覚を、複数の支援者(保育者)の間で共通認識とするアプローチは対人支援の現場で広く応用できる可能性を持つものだと感じました。

第5章は小林隆児氏による精神療法の分野における適用例の解説です。自閉症の児童や乳幼児期の母子関係等と関わる際の視点の持ち方やエヴィデントであることをどのように考えるのかが述べられています。

 

西洋哲学の思想や用語に慣れていないと読みにくい部分もあるかもしれませんが、総じて現場での実践につなぐという姿勢が貫かれており、そこまで難解な本ではありません。また執筆者は5人にわかれていますが、全体の構成や各章の内容は一貫した視点からよく検討されているように感じ、現象学を人間科学(医療、福祉、教育などの対人分野)の実践に活かすという観点である程度網羅的に学ぶことができます。一方で当然ながらひとり一人の文量は少なくなるので、各執筆者の研究テーマをさらに詳しく知りたい方は本文中でそれぞれに紹介されているそれぞれの著者の書籍へとさらに読み進めるのが良いでしょう。(私自身は本書の読了後に竹田青嗣氏のフッサール解説をもっと読みたくなり『超解読! はじめてのフッサール『現象学の理念』』を読みました)

『人間科学におけるエヴィデンスとは何か』表紙画像

本文は270ページほど。5人の論文をコンパクトに読めます。



人文科学は自然科学の実証主義に依存しすぎている?現象学の視点とは

現象学とはそもそもどのような視点を持つものなのでしょうか。現象学自体の解説は私が書評記事の中で一言でまとめられるようなものではありませんので、ぜひ本書を手にとっていただければと思いますが、フッサールが創設した現象学は人文科学における議論の立脚点を提供するものだといえます。

近代科学の基本的な視点の前提として「主観」「客観」という概念があります。もう一歩踏み込んで言えば、数値化するなどして客観的に認識できる事象は私たちが主観的に認識しているものと一致する(主観ー客観の一致)という考え方が前提となっています。しかし、自然科学においては疑いようのないこの主観ー客観の一致という図示式が、人文科学においては十分には成り立ちえません。なぜなら、人文科学においては常に「何が良いのか」という価値の問題がつきまとうからです。

何が良い政治なのか?あるいは歴史的事実をどのように解釈するのか?といった問題は、自然科学のようにすべてを数字化して捉え、再現性というゆるがない客観性の中に取り込んでいくことはできません。

意味や解釈が必然的に必要になる人文科学においては、自然科学のような形で事実を捉えることだけでは十分ではありません。現象学が指摘するのは、事実として、定量的に、何が起こっているのかを把握・測定することが無意味であるということではありません。そのようなアプローチ自体にも価値がありますが、それだけでは十分ではないし、そもそも人文科学が解き明かしたかった中心的課題(例えば政治であれば「どのような政治が良いのか」などの価値を含む問題)にはそれだけでは答えられないだろう、ということです。

現象学は人文科学的な領域の課題について自然科学的なアプローチを否定したからといって、唯一絶対の真理を見出すことを提唱するものではありません。人文科学ならではの視点の持ち方というものを提唱します。その際に持ち出すのが「主観ー客観」という図式から脱却した人間の「認識」についての別の捉え方です。

第1章で竹田青嗣氏は現象学の「認識の謎(人間の認識はどのようにあるのか)」へ以下のようなステップでアプローチすると解説します。

第一に、人間の認識の本質構造を明らかにすること
第二に、そのことで、なぜ自然科学には客観的認識が成立するのに、人文科学の領域ではそれが不可能だったのかを解明すること
第三に、さらにここから、人文科学の領域での普遍認識の可能性は、自然科学の実証主義的方法の適用ではなく新しい普遍的認識の方法、すなわち現象学的な「本質学」の方法にあることを明らかにすること

ここで「本質」という言葉が出てきますが、これは形而上学的な「真理」を指すものではありません。

竹田氏の以下の解説が非常にわかりやすかったです。

どのような社会が人間にとってよい社会なのか、あるいは社会はどのような方向へ進むべきか、こういった問いは「本質」の問いです。本質の問いには、あらかじめ存在する客観的答えや真理はないが、しかしこの問いについての「正当性をもつ合意」ならば、われわれはそれを取り出せる可能性をもっている、ということなのです。

この「正当性をもつ合意」という捉え方は非常に重要なものだと感じます。

唯一絶対の、客観的に正しい正解の答えがそもそも存在しないのが人文科学の分野であり、それらの実践の場である対人支援の場です。その中で、どのように自分たちの実践の「あるべき姿」を合意し、日々の実践の中でそのあるべき姿に近づいているのかどうかを「正当性をもつ合意」という観点を立脚点に議論していくというアプローチは「良い支援とは何か」を言葉にすること、議論することの難しさに悩む多くの実践者のヒントとなるものだと感じます。

対人支援の現場で「良い支援がなされているかどうか」はどのように議論可能なのか

本記事は要約ではないので細かな内容紹介は省きますが、この「正当性をもつ合意」を現象学では「本質観取」という手法によってアプローチするのですが、重要な点は単に解釈の問題や決めの問題と妥協することではないということです(単に合意できればなんでも良いわけではない)。本質観取のステップを進めていくことで「誰にでも可能」で、これしかないと「合意」できるといいます。だからこそ「正当性を持つ」と冠しているのです。

実際、本質観取の手法が詳しく解説される第3章を読むと、確かに難解な思考が求められているわけではないことは理解できます。

ただし、福祉や教育といった支援の現場で容易に実践ができるかとか、その手法を(私が普段非営利組織の方を対象に仕事をしているような形で)講座やコンサルティングの形式で伝達できるかということを考えると、なかなか容易ではないな、というのが第3章までを読んでいる時点では正直な感想でした。

ただ、第4章で解説される鯨岡峻氏の「接面」の手法を読むと大きく印象が変わりました。

「接面」とは鯨岡峻氏が提唱する用語です。本書の中では保育の現場での実践を例に解説がなされています。

午睡のときの例でいえば、Aくんと目が合って、Aくんの来てほしいという思いが保育者に伝わり、保育者の行ってあげるよという思いがAくんに伝わる裏には、まずもって両者のあいだに独特の空間や雰囲気が生まれていることを指摘できるでしょう。
そのような人と人とあいだに成り立つ独特の空間や雰囲気をさしあたり「接面」と読んでみましょう。

このように対人支援の現場において支援者と被支援者の間でお互いの考えや思いが「わかる」という感覚は現場での実践経験を多少でも持つ人であれば誰しも肌感覚として理解できるでしょう。ただし、その感覚や確かに思いを「わかって」いるということを、客観的に、自然科学的なエヴィデンスをもって説明したり証明したりすることは非常に難しい問題です。でも、だからといってそうした支援者の感覚は当てにならないものなのかというとそうではないですし、むしろ現場においてはそうした熟達した支援者の感覚にこそ依拠して活動が成り立っていることが多くあります。

鯨岡氏の「接面アプローチ」はこのような人と人のあいだで起こっていることやそこで感じ取られる思いを記述し、読み合うことで第3者に対しても感覚として伝えることは可能であり、その伝達可能性をもって「明証的(エヴィデンスがあること)」になりうるといいます。

対人支援の現場において、支援者のどのような言動が被支援者に良い影響あるいは良くない影響を与えるのか、良い支援とはどのようなものかは、なかなか議論の拠り所を見つけにくいものですが、記述(つまりは言語化)によって議論の拠り所ができ、それにより感覚の感主観的な共有も可能であるという接面アプローチは元々対人支援の現場からソーシャルセクターに入ってきた私としては非常に興味深いものでした。

このアプローチ方法が容易に伝達あるいは実践可能なものなのかどうかはまだはっきりと確信が持てていませんので、鯨岡峻氏の別の著作をさらに読んでみようと思っていますが、少なくとも大きな可能性は感じています。

中小の現場における安易な定量調査・評価の危険性と評価への向き合い方

私がこの本の知見を最も活かしたいと感じたのは中小のNPOの活動現場です。2015年ぐらいから日本でも社会的インパクトを志向する動きが注目を集めており、特にここ2、3年は社会的インパクト評価を強く志向する休眠預金の活用が始まったこともあり、中小のNPOにおいても社会的インパクト評価への注目が集まっています。注目が集まっている、というよりも助成金等の申請書でロジックモデルの作成が求められたり、成果指標の定義やその測定が求められるようになったりということを受けて、注目せざるを得ない状況になっている、というところでしょうか。

私自身もこれまでいくつかの現場で社会的インパクトやロジックモデルに関する研修講師を務めたり、個別団体のロジックモデル作成に関わったりしてきておりますが、強く感じるのは「評価」が”定量評価”に偏りがちであるということです。いや、それも語弊がありますね。実態としては定量評価とは名ばかりの粗雑なアンケートの氾濫、といった状況なのではないでしょうか。

定量評価にしろ、質的評価にしろ、そこには学術的な知見の積み上げがあり、実践のための方法論があります。ただし、その実践にはそれなりに人手やお金や時間が必要となります。中小の現場でそうした手間をかけることが可能かというと難しい場合が多いですし、そもそも事業の規模やフェーズ的にその手間をかける必要性がない場合も多いと感じています。

一方で評価を数値化、デジタル化としか捉えず、過度の反発だけをしているのもよくありません。「本当に成果が出ているのか?」「この活動を続ければ課題解決につながるのか」といった疑問には真摯に向き合わなければならないからです。

こうした矛盾や困難に対して、この本で議論されているような支援の現場における「正当性のある合意」を見出すアプローチは、一つの落とし所になる可能性を持っていると感じています。下手なアンケート調査を設計してありもしない変化を吹聴するのではなく、評価や議論を頭から否定して現状維持に居直るのでもなく、真摯に活動の中で、支援者と被支援者の間で何が起こっているのかを言語化し「良い活動」「良い支援」を見出していくことができるようになるはずです。

それはつまり、自分たちの活動の成果・アウトカムが何かや、それが確かに起こっている変化なのかといったことを見極めるために、定量調査あるいは定性調査の二者択一だけではなく、日々の活動やその振り返りの中で(例えば対人支援におけるケース会議の中で)スタッフ同士で話す言葉や方法論になる、と感じます。その意味で本書は、対人支援における(狭い意味での対人支援だけでなく、市民の「参加」を伴う幅広い活動に適用可能だと感じます)実践とその言語化を結びつけるための豊富な材料を提供してくれる本といえるでしょう。

ぜひ多くの人に読んでいただき、現場での実践に繋げる方法について議論していきたいです。

『人間科学におけるエヴィデンスとは何か』を読んだ方にオススメの本

最後に本書を読んだ方や興味を持った方にオススメの本をご紹介します。

榊原 哲也『医療ケアを問いなおす』

『人間科学におけるエヴィデンスとは何か』の中でも伝統的に看護の分野において現象学の視点が取り入れられてきたことが触れられていますが、「疾患」を患者の目線における「病の経験」として捉え、ケアを行うという医療・看護の実践における現象学的アプローチについて解説する本です。

谷岡一郎『データはウソをつく―科学的な社会調査の方法』

「社会調査」のウソ』で有名な谷岡さんがちくまプリマー新書から出版している本。『「社会調査」のウソ』がメディアや学者、種々の団体から発表されている実際の社会調査事例をもとにその誤りを見出すことに重きが置かれているのに対して、本書では社会調査を企画する側の視点として、自分たちが「ウソ」を作り出すことにならないために、社会調査を企画・実施する際に気をつけなければことをわかりやすく解説してくれます。

ジェリー・Z・ミュラー、松本裕(訳)『測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』

書評の中で定量評価への偏重の弊害について触れましたが、プログラム評価が失敗に陥るメカニズムを丁寧に解説した上で、健全に活用していくための視点を提供してくれます。

岸政彦、北田暁大、筒井淳也、稲葉 振一郎『社会学はどこから来てどこへいくのか』

定量調査・定性調査や理論研究など多様な視点から社会学という学問の発展の経緯や現状について4人の社会学者が対談形式で語る本です。『人間科学におけるエヴィデンスとは何か』で扱われていた「人間科学」と重複する部分と異なる部分の両方を持つ社会学という分野についての本ですが、学問と実践の関係を考える上で示唆に富む本です。

最後までお読みいただきありがとうございました。