こんにちは。書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。本記事はマイケル・スロート『ケアの倫理と共感』の書評記事です。倫理学の専門書でもありやや難しい書籍ではありますが、ケア、支援と被支援、自由・自律と配慮や共感・支援の関係、自由意志と責任など関連するキーワードに関心のある方にはオススメしたい一冊です。
- 内容紹介
- ケアの倫理の微妙な立ち位置と本書の意義
- 規範倫理学とは
- スロートが考える「共感」
- 功利主義(効果的利他主義)への批判
- ケアの倫理の「個の自律」に対する考え方は現代社会の歪みに向き合うヒントになるのではないか
- 『ケアの倫理と共感』を読んだ人にオススメの本
内容紹介
本書はタイトルの通り「ケアの倫理」について扱った書籍です。ケアの倫理は近年注目度合いを増しているようで「ケア」のキーワードを冠した書籍もよく見かけるようになりました。そのような中で2021年に日本語訳が出版された本書ですが、あまり本屋で気軽に平積みされているようなとっつきやすい本ではありません。著者であるマイケル・スロートは英語圏で著名な倫理学者です。倫理学の議論に「ケアの倫理」の観点を取り入れ、さらに共感というキーワードから捉え直すことによって、ケアの倫理はジェンダーに関わらず広く道徳や倫理について説明する規範的な理論になりうることを示す意欲作です。倫理学の専門的な議論が含まれるため、関連する議論に慣れていないとやや難しい部分もありますが、「ケア」や「共感」「配慮」「自由」といったテーマに関心のある方にとっては、自身の考えを深めていく土台を強化したり、思考の幅を広げてくれるような議論を提供してくれる非常にオススメできる一冊です。
Amazonの内容紹介から引用します。
ギリガンやノディングズが立ち上げたケアの倫理を、道徳を包括的に説明しうる規範理論として提示。共感という概念を軸に据える。
感情主義的な徳倫理学の提唱によって現代倫理学に新たな道を拓いたスロートが、本書では「成熟した共感」という観点を掘り下げることでケアの倫理を義務論や功利主義と並び立つ規範倫理学として展開。発達心理学に依拠しつつ共感概念を洗練させ、人間の情緒や関係性に根ざした道徳理解から行為や制度の正/不正、自律と尊重を論じる。
本書の構成
本書は以下のように構成されています。
序文
謝辞
序論
第一章 共感に根ざすケア
1 ケアの倫理
2 共感の本性
3 共感と妊娠中絶をめぐる道徳
第二章 他者を援助する責務
1 直近性と距離
2 共感と責務の限界
第三章 義務論
1 共感と加害
2 所有・約束・真実性
第四章 自律と共感
1 尊重
2 自律
第五章 ケアの倫理と自由主義
1 論争点を確定する
2 自由主義への反論
3 パターナリズム
第六章 社会的正義
1 正義における共感
2 分配的正義
第七章 ケアと合理性
1 道徳的であることは必ず合理的なのか?
2 実践的合理性についての諸見解
3 合理的な自己配慮と道具的合理性
4 ケアか、自己配慮か
結論
原注
訳注
訳者解説――感情主義的徳倫理学から共感的なケアの倫理へ[早川正祐]
訳者あとがき
事項索引
人名索引
本書をオススメする人
本書は以下のような方に特にオススメです。
- 「ケア(の倫理)」の概念に関心のある方
- 「共感」「自立と尊重」「意思と責任」といったテーマに関心のある方
- 倫理学や道徳哲学に関心のある方
ケアの倫理の微妙な立ち位置と本書の意義
本書がタイトルにも冠している「ケアの倫理」とは元々発達心理学者のキャロル・ギリガンが著書『もうひとつの声で』の中で提唱した概念に由来し、その後教育研究者ネル・ノディングスが体系的に論じたことで発達してきた規範倫理学の学説の一つです。従来の代表的な規範倫理学である功利主義や義務論(カント倫理学)、徳倫理学が議論する「正義の論理」は男性的な視点が強いものであり、道徳に対して男性的な視点とは異なった見方があることを提示しました。
その後ケアの倫理はフェミニズムの理論としても取り入れられてきました。社会の中でケア的な仕事(例えば育児や介護など)の多くは女性の仕事であり、社会的に低く価値づけられてきたことを批判的に論じ、従来女性が発揮してきたケア的な姿勢や観点の価値を社会的に捉え直し、かつ男性もまたそれを学ぶべきであると提唱してきました。
また、グローバリズムが進展し、多くの社会問題の要因や解決策が世界的に複雑に絡まり合い、絶対的な基準による正しさや唯一の正解を求めることが多くの分野で難しくなってくる中で、相互の人間関係の中で個別に柔軟に応答していくことを重視するケアの倫理に対しての注目はフェミニズム的な観点からだけでなく幅広い分野から年々高まってきました。
一方で、ケアの倫理の発想は女性特有の視点や仕事という伝統的なステレオタイプの中に女性を閉じ込めるものであるとして、同じフェミニストの中からも批判を受けることも少なからずありました。
このような複雑な経緯や状況にあるケアの倫理に対して、本書の著者であるマイケル・スロートが改めて倫理学の観点からケアの倫理を捉え直す哲学的な議論を丁寧に行い、その結果ケアの倫理を規範倫理学の重要なアプローチであり、ジェンダーに関わらず広く参照されうる規範的な理論であることを示したというのが本書の意義です。
ケアの倫理の祖であるキャロル・ギリガンやネル・ノディングスも従来の規範倫理学との違いについては独自に論じていましたが、二人が発達心理学や教育学など他分野の専門家であったのに対してマイケル・スロートは倫理学者であり、例えばトロッコ問題など規範倫理学の各学説が伝統的に検討し、論じてきた議論に対して、従来の学説との違いや意義がどこにあるのかなどを論じることができたのは倫理学の専門家であるマイケル・スロートならではの貢献といえます。
規範倫理学とは
規範倫理学は、社会における道徳的な判断の根拠について論じる倫理学の主要な分野であり、社会のさまざまな場面における道徳的判断の前提となる以下のような論点に関する道徳上の整理を扱います。
行為の正/不正(例「ヘイトスピーチは不正にあたる。そう言えるのはなぜか。」)
責務の有/無(例「目の前で苦しんでいる子どもを助ける責務がある。そう言えるのはなぜか。」)
慣習や制度の正義/不正義(例「性差別的な慣習は正義に適っていない。そう言えるのはなぜか。」)
これらの論点に対する道徳的は判断がどのような根拠によってなされるのかを論じるのが規範倫理学であるということです。
規範倫理学の代表的なアプローチは以下の3つです。
- 義務論(カント倫理学)
- 功利主義
- 徳倫理学
スロートはここにケアの倫理学が第4のアプローチとして位置づけられるものであることを示しました。
スロートが考える「共感」
スロートは共感的な視点こそがケアの倫理の道徳的な意義を考える上での鍵となる概念だと考えています。
スロートの共感概念のポイントを訳者の一人である早川正祐は以下の3点に整理しています。
①共感(empathy)と同情(sympathy)の区別
共感には、相手の視点から世界がどう見えているかを感じ受け止めることが要求されるが、同情には、必ずしもそれが要求されない。つまり、相手の状況を考慮することなく相手に対して「かわいそうだ」と同情することはできるが、共感にはならない。共感していると言えるためには相手の置かれている状況を相手の関心に照らして、理解し、感じ受け止めることが求められる。
②共感は共感する者と共感される者との「分化」「差異」を前提にする
共感は相手との一体感・一体化や相手への同調といったものを要求しない。また、意見の一致やニーズの一致と言ったものも要求しない。相手の苦しみに共感するとき、私たちは、相手の苦しみを感じるのだが、それは相手と全く同一の感情を抱くということではなく、相手との差異に配慮しつつ相手の苦しみを感じ受け止めるということ。スロートによれば、私たちが相手に共感するとき、相手は自分とは異なる関心やニーズを持つ別個の存在であるという感覚が保持されていなければならない。
③共感は認知的能力や概念的能力とも不可分である
赤ちゃんが大声で泣いている他の赤ちゃんに遭遇して泣き出してしまう、というように情動感染という形での共感が示されるのが人生の初期における共感だが、ケアの倫理において重要となる成熟した共感は成長していくにつれて発達していく認知的・概念的能力を前提としている。
以上3点です。
私の書評ブログの読者にはNPO等の非営利組織に関わる方も少なくないと思いますが、共感はNPOの広報や各種情報発信においてもしばしば強調される重要なキーワードとして扱われています。例えば寄付集めなどのファンドレイジングの文脈においても、共感してもらうことが寄付等の支援獲得の前提だと言われることも少なくないですが、何に対してどのように共感してほしいのかをしっかり考えた上で言葉を使うことができているのか、今一度立ち止まって考えて見る上でも参考になる共感についての整理だと感じます。本書においてはこのように整理した共感が、倫理的な問題や事象を考えていく上での重要なキーワードであり概念になっていることが丁寧が議論で示されていきます。
功利主義(効果的利他主義)への批判
第二章「他者を援助する責務」では、「責務の有/無」について論じられます。「目の前で苦しんでいる子どもを助ける責務があるか」という論点に対して、現代の代表的な功利主義者であるピーター・シンガーの議論を引き合いに出し、目の前で苦しんでいる他者の逼迫したニーズに背を向け、「間接的にしか知らない人々に援助することに決める」のは「冷徹」であり「非人間的なこと」と断じます。
功利主義(効果的利他主義)においては、行為の正しさは「社会全体の幸福の総和を増大させるような結果をもたらすかどうか」によって判断されます。目の前にいる他者の個別の感情やニーズによっては判断を下すべきではない(目の前の他者のニーズに応えることに時間や労力や資金をつかうことによって、より多く生み出せたかもしれない幸福への寄与をおろそかにしてしまうことは正しくない)ということであり、スロートは成熟した共感の持ち主であればそのような態度を取ることは道徳的に正しくないと判断する、といいます。
一方で、スロートのこのような考え方は、遠く離れた地で苦境にある多数の人びとに対しての社会的な責務を疎かにするものではないかという批判も考えられますし、この観点は目の前の他者の個別の感情やニーズを重視するケアの倫理ではこの点は論じることが難しいとされてきたものなのですが、スロートはこの点についても積極的に取り組みます。
異文化の文学・映画・ドキュメンタリー等に触れることや留学等で国際的な交流の経験を積むことによって、異なる状況に置かれた他国の人びとの苦境に対しても共感的な感受性を養うことが重要であり、可能であるとスロートは考え、そのために必要な資源やエネルギーを私たちの社会は惜しむべきではない、といいます。
最近はインパクト投資などの盛り上がりもあり、一方で非営利の事業・活動の実践に関わる立場で培われてきたプログラム評価の学びや手法が積み上げられてきたこともあり、活動の成果(アウトカムやインパクト)が何かを定義し、測定し、示していくことが求められることが様々な場面で増えています。私自身も評価士の資格も持っており、インパクト評価やマネジメントに関わることもあります。ピーター・シンガーが言っていることはやや極端ではありますが、インパクト評価の文脈で培われてきたことを活用しているという側面も大いにありますので、シンガーが言っていることもわかりますし、特に経済界の資金の出し手側の視点から効果的利他主義的な立場に賛同を示すことが多いのもわかります。ただ、受益者に近い立場に立ち、事業・活動を実践する立場のNPO側の人間が資金の出し手のその論理に安易に賛同してしまうことにはずっと違和感を持っていたのですが、私の違和感がどこにあったのか、その違和感をどのように言語化すれば良かったのか、迷っていたのですが、本書を読んで少し整理できた気がしています。あくまでも受益者の側で実践を行う側の立場としては共感に根ざしたケアの倫理的な視点でもって支援の必要性や成果を伝えることを諦めて欲しくない、という感覚が強いのだと思います。効果的利他主義の立場が、あらゆる課題や当事者に対して等間隔に距離を置けるあまりに純粋な第三者(誰に対しても共感を示さない)としての立場からの論理であるという部分に対しての違和感、という言い方もできるでしょうか。その人の生きてきた環境や歴史の中で、特定の問題や当事者に共感してしまったり、あるいは共感せざるを得なかったり、という個人の感情や事情への眼差しを考えることがやはり必要なのだと私は思いますが、この辺りは個々人の経験や人生にもよると思いますので、いろいろな方のお話を伺ってみたい部分です。
ケアの倫理の「個の自律」に対する考え方は現代社会の歪みに向き合うヒントになるのではないか
ケアの倫理に限った話ではなく広く「ケア」に関わる議論の中では「個の自律」との関係をどのように考えるか、という問題に向き合うことが求められます。自己と他者、あるいは主観と客観の明確な分離は近代西洋哲学の多くの議論において出発点ともなるような命題であり、そして哲学から離れたとしても現代社会はその命題を基礎とした、合理的な個人を前提としたルールや制度によって成り立っています。
例えば裁判の場面においてしばしば「責任能力の有無」が論点となるのは、近代社会がそもそも物事の善悪を合理的に判断することのできる自律・自律した個人によって成り立っている(成り立つべきである)という考えによって運用されているからです。
一方で、近年の脳科学や発達心理学など様々な関連する分野の研究が進む中で、近代西洋哲学が立脚してきた「合理的な個人」が持つとされる「自由意志」は従来考えられてきた程には、合理的なものでも、自由なものでもないのではないかという捉え直しや疑問も提示されるようになってきています。
こうした中で社会の様々なルールや制度、あるいはその運用を合理的で自律した個人だけを前提として続けていくことには(すでに様々な場面でその歪みの影響がでてきていると個人的には感じていますが)、様々な悪影響があるように思います。先程例に出した裁判などの公的、社会的な仕組みだけでなく、労働などの社会的な場面における個人のあり方や関係性であったり、友人や家族との関係などの人間関係やそこから影響を受ける人格形成など、社会のあらゆる場面において影響する問題です。
私が仕事で関わることの多いNPO等でも例えば社会的弱者を支援するような活動において、当事者や受益者の目指す状態として「自立・自律」といったキーワードはしばしば登場しますし、それを目指す際に対人支援の一つ一つの現場の実践の中で相手にどのように関わるべきか、どのような関係性であるべきかといった問題は、まさにケアと個の自律の関係をどのように考えるべきかということです。また、私は個人的な性質・特性としてケアの倫理的な発想がかなり強く、個の自律と対立するものとして捉えているわけではないけれど、状況や関係性によってはケア的な眼差しや関係の方を重視したいという感覚を強くもっていたのですが、(多くの面でマジョリティ的な属性を持つ)男性としてケア的な性質や視点を強く持っているということを表明してもうまく受け取ってもらえない場面が多くあったり、そもそも社会全体の傾向として「個の自律」を無条件に目指すべき理想状態とされていることへの違和感をどのように考え、表明していくべきか、ずっと悩んできたのですが、本書で著者が展開している議論はこうしたことを考える一つのヒントを私に提供してくれました。
著者は第四章「自律と共感」において以下のように主張します。
カント主義者は、個々人に対する尊重を、その人の自律の尊重という次元で捉えることになる。…だが私はカント主義者による説明の順序を逆にすることになる
カントの道徳哲学の考えというのは、あらゆる理性的な存在に普遍的に妥当するようなルールに基づいて自己を律するできることが重要な前提であり(自律への尊重)、そうした自律を確保できている人間が尊重されるというもので、裁判の例も含めまさに現代の社会が立脚している考え方です。(自律への尊重が先にあり、個々の人間の尊重よりも根源的であるという考え)
一方でスロートが順序を逆にするというのは、自律の尊重よりも先に個々の人間そのものを尊重することの方が根源的であるという考え方です。理性的であるという人格をもっているから個人を尊重すべきなのではなく、しばしば理性的でなく傷つきやすい生身の人間そのものを尊重すべきということです(この文章だけを見ると当たり前のことを言っている、と感じる方も少なくないかもしれませんが、これまでに述べてきている通り現代社会の多くの仕組みやルール、そして慣習的な文化などあらゆる側面はカント哲学的な論理が根本にあります)。対人支援などのケアの実践の経験が豊富な人は感覚的に理解できるかもしれませんが、スロートが提要するのはこうしたケアの視点や眼差しが、ケア的な特定の場面や関係においてのみ重要なのではなく、それ自体が私たちの社会の基本的な倫理学的規範として採用すべき根本的なものである、ということを主張しており、個人的には私はこの議論には非常に励まされるものがありました。
本書のような倫理学・哲学規範の議論は社会に広く浸透しやすいものではありませんし、すぐに社会的な制度や人間関係等の社会的な文化や慣習が変わっていくこともないとは思いますが、少なくとも私自身が自分自身の感覚や価値観を持って、周囲の人との人間関係を考えていく上でだったり、あるいは対人支援等を始めとして人に関わる多くの事業・活動とご一緒させていただく仕事を今後もおそらくしていくだろう中で、思考や実践を考えていくうえでの強力な立脚点をもらえた気がする重要な書籍となりました。
他にも考えたポイントはいくつもあるのですが、いい加減長くなりましたのでこのぐらいにしておきます。本書をお読みになる方がいらっしゃればぜひお話しましょう。
『ケアの倫理と共感』を読んだ人にオススメの本
最後に本書を読んだ方や興味を持った方にオススメの本をご紹介します。
キャロル・ギリガン『もうひとつの声で──心理学の理論とケアの倫理』
一冊目はケアの倫理の提唱者であるキャロル・ギリガンの著作です。ケアの倫理という概念自体に関心を持った方はぜひギリガン自身の言葉でどのようなことが語られていたのかを知ってみていただければと思います。
小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』
二冊目は小川公代さんの『ケアの倫理とエンパワメント』です。小川さんは文学研究(英文学)を専門とする方で、本作品も文学作品の中で「ケアの倫理」というものがどのように描かれてきたのか、そして文学に描かれているもの語られているものから、その本が執筆された当時の時代や社会の状況についても考察しています。哲学・倫理学という難しいテーマでケアの倫理と向き合ったスロートの議論とは異なり、文学という比較的とっつきやすい世界からケアの倫理について考えを深めることができます。
村上靖彦『ケアとは何か-看護・福祉で大事なこと』
三冊目も「ケア」のキーワードをタイトルに冠した本です。著者の村上靖彦さんはインタビュー等の質的調査を専門とする研究者で、本作品でもテーマになっている看護・福祉などの対人支援専門職の視点や思考について多くの著作を執筆されています。医療や福祉などの現実の対人支援という場において、ケアという概念はどのように扱われ、どのように実践されているのか、ケアという眼差しや関わり方の意義はどこにあるのかといったことを考えることができます。
渡辺一史『なぜ人と人は支え合うのか』
四冊目は渡辺一史さんの『なぜ人と人は支え合うのか』です。渡辺一史さんは映画化もした『こんな夜更けにバナナかよ』の著者であり、本書の前半3章は「夜バナ」の要約的な印象もある障害者の自立やそこにボランティア等の支援(ケア)で関わることの意義や課題が描かれています。また、障害者を「障がい者」と表記するべきかといった問題についても扱っているのですが、この辺りのテーマも誰に対するどのようなケア・配慮なのだろうかといったことを考えながら読んでみると面白いかと思います。
九段理江『東京都同情塔』
最後は文学から。芥川受賞作品の『東京都同情塔』、執筆に一部生成AIを活用したということが話題になった作品ですね。作中で重要なキーワードとなるのがタイトルにも冠されている「同情」。犯罪を犯した人に対して「同情すべき人である」という考えが広く受け入れられるようになり、その考え方の元で新たに建設された刑務所の名称が「東京都同情塔」です。本記事でも述べたように同情と共感は意味が重なる部分と異なる部分がありますが、本作品の中で風刺的に描かれている社会の歪さや向かうべき方向を、ケアの倫理の観点と考え合わせながら読んでみるのも面白いかと思います。
別途本作品の書評も書いておりますので良ければお読みください。
最後までお読みいただきありがとうございました。