書評ブログ『淡青色のゴールド』

経営コンサルタントのdaisuketによる書評や読書についてのブログです

2022年読んで面白かった本15冊

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2022年読んで面白かった本15冊

こんにちは。書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。本記事は私が今年読んだ本の中から面白かった本をご紹介する記事です。まぁまぁ色々なジャンルの本からのご紹介なのであまり一貫性はないですがよければお読みください。

 

大きく「小説・エッセイ」と「それ以外」に分けて紹介していきます。

小説・エッセイ以外の本10選

まずは小説・エッセイ以外の本から10冊をご紹介。順位はつけられないので紹介順は私が読んだ順番です。

『中動態の世界』(國分功一郎)

2021年の年末から年始にかけて読んでいた本。いやもう抜群に面白かったです。中動態というのは能動態にも受動態にも分類できない概念のこと。現代の社会で生活する私たちにとっては能動態は受動態に書き換えることができる、つまり文章には能動態か受動態しかないというのは当たり前の認識となっていますが、実は言語や言語が規定する私たちの思考にはそれ以外のあり方(中動態)というものが存在します。それにも関わらず、現代において中動態が滅んでしまったように感じることの背景には、行為の責任主体を明確にするための<意志>の存在が大きな役割を果たしていると著者はいいます。誰がやったことなのか、誰の責任なのか、誰のせいなのか。法律や裁判、そして私たちの日常のコミュニケーションにおいても、<意志>の存在を前提とした責任を明確にすることで成り立っていますが、果たしてその前提は本当に確かなものなのでしょうか。著者は言語とその背景にある人間や人間社会の思考のあり方の歴史を史上の思想家たちの研究をひもときながら考察していきます。例えば古代ギリシャ、アリストテレスたちの時代にはそもそも<意志>という概念は存在せず、現代の私たちとは行動の原動力に対しての理解や整理はまったく異なったものだった、などなど。言語学、哲学に関する本ですが、國分功一郎さんの語り口は非常に読みやすく、テーマとして平易な訳ではありませんが、非常に楽しく読むことができます。福祉や教育など対人支援に関わる人には特に読んでいただきたい本です。

書評も書いておりますので良ければお読みください。

 

daisuket-book.hatenablog.com

ちなみに、「意志」や「責任」の問題を考えるという点では同じく中動態の概念を題材にしながら当事者研究の専門家である熊谷晋一郎さんとの共著(対談本)として出版されている『<責任>の生成ー中動態と当事者研究』も絶対に面白いだろうなと考えており手元にあるのですが、4冊目で紹介する『暇と退屈の倫理学』も含めて年間の紹介本があまりに國分さんの本ばかりになりそうだなということで、来年に回しました。まだ読む前ですが2023年の面白かった本リストに入ってくる気がしております。

『21世紀を生きるための社会学の教科書』(ケン・ブラマー 赤川学監訳)

社会学の入門書的な本は社会科学系の学部に入学した大学一年の頃から何冊も読んできていますが、単独著者によるものとしては抜群の出来ではないかと思います。

「社会学とは何か?」というのは答えるのがなかなか難しい問いです。もちろんどの学問分野であっても程度の差こそあれこの「◯◯学とは何か?」の問いに答えるのは簡単ではないかとは思いますが、それでもやはり社会学には独特の難しさがあるように思います。それはその研究対象である社会というもの自体が常に変化し続け、複雑性が非常に高く、一律に定義ができないからです。だとすれば社会を扱う学問である社会学自体も変化を続けていく必要があります。社会に対する基本的な眼差しの持ち方や研究手法としては古典的、代表的な教科書・入門書が読み続けられていくことが必要である一方で、変化を続ける社会の動き自体も包含した教科書・入門書もまた同時に必要だと私は感じます。その意味で本書は後者に位置づけられるものとしては最適なのではないかと。社会学の基本的な眼差しや観点を丁寧に解説しながら、グローバル化・グローカル化、テロリズム、セクシャリティの問題、イスラムなど西欧以外の多元的な視点、ビッグデータやデジタル化などなど現代的なテーマにも触れていきます。著者が社会学という学問に寄せる期待が体系的な視点と著者自身のメッセージの良いバランスの中に表れており、社会学入門書としての高いレベルを保ちながら読み物としても面白く仕上がっています。すごい!

『教育格差』(松岡亮二)

今年の15冊の中では唯一の新書です。教育や子育てという分野は誰しもが自分自身の経験としてそれを通過してきた経験を持つためか、自分の価値観だけから簡単に良い悪いを判断したり、否定したりといったことが起こってしまいやすい分野です。そしてそれゆえ国の政策議論から、地域で子どもたちに向き合う草の根の教育活動に至るまであらゆるレベルでまともな議論ということがほとんど発生しにくい分野なのではないでしょうか。非常に残念なことです。ではどうすれば良いかというと、個人的にはどんな分野であれ、前提となる情報や認識のある程度の共通化を行うことが最低限必要だと感じており、その意味で日本の教育における「現状」をこれでもかという淡々とした視点で整理し伝えてくれる本書のような本を読む方が増えるというのは大切なことなのではないかと感じます。本書でまず強調される重要な点は、歴史上の数ある社会、文明の中で「格差」を完全に克服出来た社会はまだ存在しないという事実と、当然現代の日本もその例に漏れない「凡庸な格差社会」であるということです。歴史上どの社会も格差社会であったなら仕方ないではないか、ということではなく、では私たちはどこまでを仕方のないこととして許容し、どこまでを社会的な仕組みによって是正していくべきと考えるのかという議論ができるようになることが必要です。著者の語り口は日本に対して厳しいように感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、厳しいのではなく、データから読み取れることを冷静に伝えているだけであり、著者は淡々と指摘します。日本は生まれた社会的な階層や地域によって歩む人生が最初から異なる凡庸な格差社会であり「自己責任」で済ますことは統計データからは許されない、と。教育格差を教職課程の必須科目にと言う著者に同意しますし、教育や子ども支援に関わるすべての人はまず本書を手にして、自分たちの活動・事業が対象としている子どもたちをどのように捉え、何を目指していくべきかと考えていけると良いのではないでしょうか。

ちなみに、本書は子どもの貧困対策や教育格差の是正に取り組んでいるチャンス・フォー・チルドレンさんのメールマガジンで紹介されていたのをきっかけに購入しました。毎回丁寧に編集されたメルマガでスタッフの皆さんのおすすめ書籍が紹介されることもあり、楽しみにしているNPOのメルマガの一つです。

cfc.or.jp

『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎)

『中動態の世界』と同じく國分功一郎さんの著作で、今年文庫化したものです。キャッチーなタイトルやテーマ設定が印象的で、哲学や思想に普段馴染みのない人でも興味を引く本だと思いますが、実際中身も非常に読みやすく、歴史上の哲学者、思想家を始め考古学や歴史学に文学、社会科学、心理学や精神分析学、生物学や医学など多様な学問分野を横断しながら少しずつ疑問や謎を深堀りして読者に語りかけていく様子はさながらミステリー小説を読んでいるようでワクワクしながら読み進めることができます。特に本書後半では、ハイデガーが提唱した退屈の第一形式〜第三形式というものを分析しながら國分さんの所見が述べられるのですが、ここは非常に面白かったです。特にNPO等の社会課題解決に取り組むなどのソーシャルセクターで働くことに強いやりがいを感じている方にはぜひ一度読んでみていただきたいと感じました。NPOといっても色々ありますが、例えば社会課題の解決に対する志向性(社会的成果志向)の強さにおいて、より強く社会課題解決を志向する団体と居場所やサークル的に地域内に(所属する自分たちのためという側面も含めて)存在すること自体を志向する団体とあり方の違いを、社会的成果志向を持つことだけを無条件に正しいとみなさない視点から捉え直すことができ、NPOに向き合う姿勢を普段とは別の確度から考えることができました。

『問いかけの作法』(安斎勇樹)

今年の15冊の中では唯一のビジネス書。初めはAudible(オーディオブック)で聴いたのですが、わかりやすさに感動して、紙版で購入し読み直しました。いわゆるファシリテーションや会議術に分類される本かと思いますがタイトルの通りファシリテーションの中でも「問い」に特化している本です。様々な要素があるとはいってもやはり「問い」を置いては考えられないのがファシリテーションですし、なんといっても分かりやすさが段違いなので下手なファシリテーション本を読むよりまずはこの本をお薦めします。この本では「問い」という名詞形ではなく「問いかけ」という動詞で捉え、何を・どのように問いかけ、反応をどう受け止めれば良いかという会議やコミュニケーションの現場における私たちの行為を一つずつ整理してくれます。特に「問いかけ」という行為を「見立てる」「組み立てる」「投げかける」という3ステップに分解した視点は秀逸です。問いを投げかける前に「見立てる」「組み立てる」という2ステップがあること、つまり実際に問いを発する前までの準備が相当に大切であることが端的に理解できますし、各ステップでの細かな視点の持ち方やテクニックも非常にわかりやすいです。これから何度も読み自分のコンサルタントとしての振る舞いをアップデートしていきの足がかりになりそうな本です。ファシリテーターだけでなく、コンサルタントや教師や医師など広く対人支援に関わる職業の方には激しくオススメします。

『生命科学者たちのむこうみずな日常と華麗なる研究』(仲野徹)

「伝記解説エッセイ」というあまり他の例が浮かばないジャンルの本。元々は生命科学専門誌で連載されていたエッセイの文庫化版のようです。野口英世、クレイグ・ベンター、アルバート・セント=ジェルジ、ルドルフ・ウィルヒョウ…など18人の研究者のむこうみずでぶっ飛んだ生活と、各人の見事な研究内容を解説するという作品です。偉人の私生活面のぶっ飛び具合を紹介する本としては『天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』という本があって、自分の知らないジャンルの偉人たちのしばしば破綻している人生を覗くことのできる本という意味では共通しているのですが、個人的には『生命科学者たちのむこうみずな日常と華麗なる研究』の方が読んでいて面白かったです。一人ひとりの文量が多く深堀りがなされていますし、何より生活面だけでなく、やはり各人が名を残すきっかけとなった本領の研究についてもしっかり触れられている方が面白いですね。そして本書を特徴付けるのは単に科学者の人生紹介エッセイなのではなく、あくまでも「伝記解説エッセイ」である、ということです。題材となっている本人に、伝記著者の視点や意図や解釈や装飾が入ってきて、同じ人物でもまったく異なる評価から描く伝記が残されている人物も複数いることは昨今のネット上での炎上等の評価社会のことも連想して考えさせられました。また、あまり積極的に読むジャンルではなかったのですが、伝記というジャンルそのものへの興味も増しました。何より解釈や装飾があるにしてもすべて実在の人物のお話です。まさに事実は小説より奇なり。だからこそどんな出来事も驚きとともに受け止めさせる力があり、元気が出ると言いますか、楽になると言いますか。人生っていろいろあるものですね。

『日本のいちばん長い日』(半藤一利)

2021年に亡くなったジャーナリストの半藤一利さんの有名作。ポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争が終戦となった8月14日から8月15日までの24時間を関係者や関係資料への詳細な取材により丁寧に記述した作品です。1時間ごとに各所で各人物がどのような状況、情報下の中でそれぞれどのような判断、行動を行っていったのかがドラマのように次々と展開していく様子は結末を知っていても「こんなに紙一重の決定だったのか」とドキドキハラハラというよりも薄ら寒くなり、国民国家という得体のしれない(『サピエンス全史』のハラリ風に言えば)虚構の共同体の中で「戦争の意思決定を行う」ことの難しさを考えさせられます。特に今年はロシアによるウクライナへの侵攻が起こり、未だ終結が見えない状況です。もちろん戦争や紛争の発生には個別具体的な固有の事情があるのは当然ですが、それでも本書を読むと、軍部と政治、権威と歴史、そして国民感情や一人ひとりの価値観や感情などあまりにも複雑な要素が絡んでいることが痛感され、ロシアやウクライナ内部で起こっているであろう様々なやりとりや葛藤を苦しさとともに想像してしまいます。忙しい情報社会に翻弄される中で、自分には関わりが薄いと感じてしまう情報には単純な善い悪いを決めつけてしまったり、そもそも情報収集すらも止めてしまったりしてしまいがちですが、自国の歴史を元にまずは「複雑で難しいのだ」ということに向き合うことをやってみても良いのかなと思います。

本書については以下の記事でも少し触れています。

 

daisuket-book.hatenablog.com

 

『コミュニティ――安全と自由の戦場』(ジグムント・バウマン 奥井智之訳)

所属している団体で実施している読書会で私の選定により読んだ本。著者はポーランド出身で、イギリス・リーズ大学で長く教鞭をとった社会学者のジグムント・バウマンです。ポストモダンのグローバル社会やその中で生きる個人について、さまざまな角度から考察を行ったバウマンが2001年に出版したのが本書です(日本語版の出版は2007年、私が読んだのは2017年に出版されたちくま学芸文庫版)。「コミュニティ」というキーワードは近年非常にさまざまな文脈で使われており、年々その注目度は増しているように思いますし、基本的にはどこでも「良いもの」として扱われています。私自身も非営利組織支援を主に仕事にする中で、地域その他さまざまな文脈における「コミュニティづくり」の活動に関わることもあり、コミュニティをつくることや活性化することを目指すことが多くあります。しかし、バウマンはそのような無条件のコミュニティ信奉には警鐘を鳴らします。日本語版の副題に「安全と自由の戦場」とありますが、コミュニティというものは一定の側面から見れば何らかの価値観や規律の元に個人の自由を制限するという側面もあります。もちろんグローバル化が進み、近代社会において個人を包摂してきた国家や企業の枷が緩み、それ以前の地域コミュニティの枠組みもとうに衰退してしまっている中で、新たなコミュニティの構築を個々人が求め、模索することは当たり前のことではありますが、現代社会の中で進むコミュニティ化の中には”エリート”と”ゲットー”の分断を推進しているようなものも少なくないというバウマンの指摘を無視したコミュニティ万能論に依存してはいけないでしょう。コミュニティが大切であることを信じてコミュニティづくりに関わる人にこそ、コミュニティの持つリスクについても考えを巡らせることは必要なことだと感じます。読みやすい本ではないですが、オススメです。

『ダイアローグ――対立から共生へ、議論から対話へ』(デヴィッド・ボーム 金井真弓訳)

『コミュニティ』と同じく所属している団体で実施している読書会で読んだ本です。実は一度昨年もアクティブブックダイアローグ(ABD)で読んでいたのですが、じっくり味わうことができたのは今回だなと思ったので今年のオススメに選出しました。「コミュニティ」と同じく「ダイアローグ(対話)」というキーワードも近年その重要性がよく言われるようになってきていますよね。そして重要性が叫ばれるわりにまともな「対話」の実践にはあまりお目にかかれないというのもコミュニティと共通している、というと言葉が厳しすぎるでしょうか。いや、良い実践の場もたくさん目にしているんですけどね…。

本書は『ダイアローグ』というそのものズバリなタイトルを冠しており、このテーマに関心のある方にはそれなりに有名な本だと思いますが、なかなか難解な本です。副題の「対立から共生へ、議論から対話へ」や帯に書かれている文言を読むと、何かこの本に明確な「対話とはこういうものである」「こうすべきである」というような「答え」が書いてあるような期待を抱いてしまいますが、そういう類の本ではありません。ボームがさまざまなところで書いた小編を後から一冊にまとめた本なので体系的でもありませんし、ボームが理論物理学を主体に心理学や哲学にも精通した人物ということで「コヒーレンス」など独特な用語用法も飛び出てきます。それでも、多くの人に読んで欲しいと感じる本です。対話的な手法に注目が集まる昨今だからこそ、本書を読んだ人同士で「対話とは何だろうか」という対話を行うような場面が少しずつでも広がるならそれは素敵なことなのではないかと思いますし、ボーム自身もそうした対話的な営みやグループがグローバルレベルで広がっていくことが必要だ、と述べています。

ボームはあらゆる社会課題は対話的でない関係や思考から生まれているといいます。ではそれを解決すべき対話的な状態とは、唯一の正解を導き間違っている個人を正すための営みではなく、何か事前に明確になっている答えや目的のために行われるものでもないといいます。集団的思考、参加、保留、意識・感情、そして文化などさまざまな抽象的概念を用いたボームの考えを味わうと、具体的で明確な言語化は難しくとも、自身が対話的な取り組みやさまざまな場に対するときの視座は一段上がるように思います(そういう何か個人として成果を得た、と安易に結論したくなる姿勢に注意せよと言われている気もしますが)

個人的には『中動態の世界』で語られる中動態的なあり方や行為・現象の捉え方とも視点が共通している部分があるように感じました。

『何も共有していない者たちの共同体』(アルフォンソ・リンギス 野谷啓二訳)

『ダイアローグ』の終盤では「思考は一種の運動プロセス」であると物理学者であり、神経心理学に影響を与えた人物らしい記述が出てきたり、個々人の視点やスキル・手法のようなものとは一線を画したコミュニケーションを行う場そのものや前提のようなものからの捉え直しが必要であるという主張を読んでいるうちに、関連しそうなテーマとして浮かんだのが「中動態」の他に「現象学」でした。そこで手にしたのが本書、旅する哲学者アルフォンソ・リンギスによる『何も共同していない者たちの共同体』です。

世界中を旅して、異邦人としてさまざまなコミュニティ・社会に接しながら思索を深めているリンギスが考えるテーマもコミュニティやコミュニケーションに通ずるものです。例えば今にも亡くなろうとしている他者に対して、何か意味を伝えることを意図するわけではないけれども、そこに居るということを、ただ「伝わる」ということを意図した行為とはどういうことであり、社会生活における日常の論理的あるいは感情的なコミュニケーションとは何が違うのだろうか、など具体的な場面やリンギス自身の(しばしば読者にとっては容易に想像ができない)経験を引き合いに出しながら述べていきます。コミュニケーションにおいては言葉そのものだけではなく、言葉を発するという行為そのものや、発声のリズムや表情さまざまな要素が複雑に絡んでおり、しかもそれらが内包され規範化した文化というものの影響もあります。だから言語の意味内容だけには還元できないのさまざまな要素を共有し、交換しているのがコミュニケーションであり、コミュニティですが、一方で必ずしもそれらをほとんど共有していないところにもコミュニケーションは成り立ちうる、と。コミュニケーションや対話って何だろう、自分が今までそうだと思ってやってきたことって何だったのだろう、と色々考えさせられます。

関連する哲学思想に精通している訳ではないので巻末の二編の解説と訳者あとがきを読んだ上でも理解度が十分あるとは思えてはないのですが、それでも多くの硬く難解な哲学書に対して、各章冒頭に写真が掲載され、どこか詩的な雰囲気を感じさせる哲学エッセイという印象の本書は単純に読書としても楽しかったです。

小説・エッセイ5選

続いて小説・エッセイから5冊をご紹介。今年は『鋼鉄都市』『ニューロマンサー』『ディアスポラ』など往年の名作SFをいくつも読んだのですが、オススメとして紹介したい本はどれかなと考えて選んだのはSFとは関係のない5冊でした。

『夏物語』(川上未映子)

乳と卵』で芥川賞を受賞した頃からそのうち読んでみたいと思いつつ、なかなか手にする機会がないまま10年以上経過してしまっていた川上未映子さん、本書が初読書となりました。特に男性に読んで欲しいと感じる作品です。

性や生殖、身体、ジェンダーなどさまざまな「女性」にまつわるトピックと言葉にしにくい感情が丁寧に描かれています。主軸となるストーリー部分では、精子提供による出産という題材に、反出生主義をぶつけつつ対立的に描かれているということもあり、尖ったテーマ設定に感じる方もいるかも知れませんが、本書で問われていることは極端で特別なことではまったくありません。本書で語られている女性たちのさまざまな葛藤や感情は、女性として生きる中では当たり前のように多くの方がそれらに類するものに触れながら生きているのであろうと感じます。そして重要なのは男性の多くはそうではないだろう、ということ。現代日本社会のジェンダー規範の中で生まれ育った私たち男性読者として、現実の社会の中や日常のコミュニケーションの中で考えてみるべき問題が描かれています。

『虫とけものと家族たち』(ジェラルド・ダレル 池澤夏樹訳)

まったく知らなかった作品だったのですが、久しぶりに立ち寄った神保町の古本屋で見つけて一目惚れした作品です。素晴らしい作品でした。

イギリス人のナチュラリスト、動物保護家として活動しながら主に動物や自然に関するノンフィクション作品を書いている作家による自伝的な小説作品で、自身が家族とともに10歳からの4年間を過ごしたギリシアのコルフ島での生活が描かれています。

変わり者ぞろいの母と兄姉たちダレル一家の生活、コルフ島のさまざまな虫や動物、島の人たちとの賑やかな生活はドタバタしつつも多幸感にあふれています。訳者の池澤夏樹が本書の魅力に取りつかれてギリシアに渡ってしまったというのも納得です。著者の動物や虫も含めた他者への愛と信頼に根ざした関わりが根っこにあり、一つ一つの出来事は突飛で乱雑なのに、とにかく全編に渡って優しく幸せな雰囲気が漂っています。そして語り手である主人公が末っ子で幼いジュリー(ジェラルド)だからなのか、児童文学的な雰囲気の文体だからなのか、私自身は島での生活はしたことないし好みも性格もまったく異なるはずなのに、自分自身の子ども時代の感覚を思い出すような瞬間も多くありました。どちらかというと冬ではなく夏前に読むことをオススメします。

『ノラや』(内田百閒)

こちらも神保町の古本屋で購入してきたものです。内田百閒を読むのは『阿房列車』以来。かなりアク強く作り込んだ阿房列車とはまったく異なる雰囲気の、猫にまつわる日常を綴るエッセイ集です。タイトルにもなっている「ノラや」のノラは野良猫のノラ。たまたま居着いて飼うことになってしまった「ノラ」のことは好きだが、別に猫全般が好きなのでない、と語る感覚はペットの話に限らず共感する人も多いのではないでしょうか。詳細はネタバレになってしまうので控えますが、ノラに関わるとある出来事の中で我をうしなっていく百間先生の姿には胸が打たれるというか、よくこの描写を出版物の形に残してくれたなと思います。猫・ペット文学の金字塔と言える作品集でしょう。それにしても、本作で描かれる猫たちもそうですし、例えばボナールの描く伸びをする猫の姿なんかもそうですし、猫の身近に居たことのある人だけがわかる「猫あるある」を見る度に、猫の姿というは時代や文化が変わっても変わらないのだなとしみじみと感じます。猫かわいい。

『コーランを知っていますか』(阿刀田高)

作家阿刀田高によるイスラム解説エッセイ。阿刀田さんは『旧約聖書を知っていますか』『新約聖書を知っていますか』、さらには『ギリシア神話を知っていますか』など世界の古典や神話、宗教をざっくばらんに解説したエッセイを多く出版しています。個人的には『楽しい古事記』以来の阿刀田古典エッセイとなりました。

数々の古典解説エッセイの中からコーランを選んだのはイスラムに対しての知識や理解がまったく足りていないなと感じていたからです。歴史の勉強を進める中でイスラムに対しての理解をもっと深めないと難しいだろうなと感じつつも、キリスト教の聖書の比べてストーリーのようなものがなくとっつきにくそうな雰囲気を感じてなかなか勉強を始めることが出来なかったため最初の一冊としてこちらを選びました。特に時代背景やムハンマド自身の生涯も合わせて解説してくれている点が非常にわかりやすく、コーランやハディースの要点をある程度知ることが出来たように思います。いつかはコーランそのものも日本語訳だとしても読んでみたいなと思いつつもまず全体の雰囲気を感じるには良い選択だったのではないかと感じています。本書に限らず関心のある宗教や世界の古典がある方には阿刀田高のエッセイ、オススメです。

『おかえり横道世之介』(吉田修一)

最後は吉田修一の『おかえり横道世之介』です。映画化もしている『横道世之介』の続編となる作品です。前作が非常に大好きな作品だったので、続編が出たことが非常に嬉しく、これから何度も読み返していく作品になりそうです。

『悪人』『怒り』など負の感情を扱った作品が有名な吉田修一ですが、個人的には本作のように大きなストーリー上の出来事や激しい感情の起伏はないままに登場人物たちの細かい感情の変化や機微や記憶のひだを優しく描いていくような作品の方が好きです。本作の主人公横道世之介はその名前の雰囲気にも表れている通り、少しぬけたところのある青年です。非常に魅力的で、作中でも周囲の人物からいつの間にか好かれているような人物なのですが、何がどう魅力的なのかを言葉にするのが非常に難しい主人公です。昔からの友人たちと集まったときに、その場に本人は居ないのに必ず笑える思い出話が出てくる人物、というような不思議な魅力を持っている世之介の青春を読んでいるうちに、前作では「自分にとっての世之介のような友人」に会いたくなったのですが、「人生のダメな時期」がテーマとなっている今作では難しい事態にもなんとなく過ごしていってしまう世之介の姿を見ていて「世之介のようになりたい」と感じました。今までだって明るく楽しいばかりではなかったけれど、でも人生のその時々の時期をなんとか過ごしてきたからこそ今があるんだよな、とじんわりとあたたかい気持ちになるような作品です。前作を読んでない方は1作目から読むのがオススメ。

 

以上、2022年に読んだ本の中から特に面白かった本をご紹介しました。興味の引かれる本が一冊でもあれば嬉しいです。

 

2021年以前の記事

以下は昨年以前の面白かった本紹介記事です。

 

daisuket-book.hatenablog.com

 

daisuket-book.hatenablog.com

 

2018年以前の分は以下の本業の方のブログにて公開しています。(2019年は記事未作成)

www.daisuketsutsumi.com

 

最後までお読みいただきありがとうございました。