淡青色のゴールド

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書評『走ることについて語るときに僕の語ること』"走ること"にまつわる素晴らしきメモワール

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書評『走ることについて語るときに僕の語ること』"走ること"にまつわる素晴らしきメモワール

こんにちは。書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。本記事は村上春樹さんのランニングに関するエッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』の書評記事です。 ランニング・ジョギングを趣味としている方にはぜひ読んで欲しい一冊ですし、「読書が好きだけど村上春樹はちょっと苦手」という方にも手にとってみて欲しい本です。

 

 

どんな本か?

走る作家、村上春樹によるエッセイ集

本書は村上春樹によるランニングに関するエッセイです。

村上春樹は走る作家。そのことは知っていたのですが、この本を読んで認識を改めました。

村上春樹は「ものすごく」走る作家、でした。

彼の走ることに関する習慣を抜き出すと、以下のようなものになります。

  • 最低年に1度はフルマラソンに出場しており10年以上前の本書執筆時点で23回の出場経験がある。
  • 100㎞超の距離を踏破するウルトラマラソンへの出場・完走経験を持ち、トライアスロンもやる。
  • 月に300㎞以上も走っているし、フルマラソンの完走タイムは3.5hを目安にしている。

いやはや。これは相当なランナーです。 市民ランナーとしてはかなり完成された部類に入るでしょう。 (私の基準はサブ4達成できたら市民ランナーとしては完成レベル。サブ3達成者は市民ランナーの次元を超えている、というもの)

そんな走る作家、村上春樹によるエッセイ。本人曰く、メモワール、です。

読んだきっかけ

私が本書を読んだのは2017年の東京マラソンに向けたトレーニングをしている時期でした。私は仕事関係の上司や知人と一緒にチャリティランナーとして出走権を獲得しており、練習なども一緒に行っていたのですが、その中でオススメの本として紹介いただきました。

春樹ほどのランナーではないにせよ10年以上ランニングの習慣を持っている一人の市民ランナーとして共感できる部分も多く、非常に楽しい読書となりました。

先日書評を書いた『マラソンは毎日走っても完走できない』は、マラソントレーニングという観点から書かれた非常に実際的な内容だった一方で、本書はエッセイですので本書を読むことで早く走るためのコツを得るようなものではありません。それでも、走ることの楽しさや走る習慣のある生活についての作家視点での洗練された言葉を楽しんでいるうちに、自然と自分もまた走りたくなります。マラソン大会に向けたモチベーションを上げたい方にとってはぴったりの本になるでしょう。

村上春樹のエッセイは「村上春樹の小説が苦手な人」でも楽しめる

実は私は村上春樹作品はそれほど多く読んでいないのです(『ノルウェイの森』と『海辺のカフカ』という偏ったリスト)が、この人の書くエッセイはなかなか好きです。 大学の頃に『ポートレイト・イン・ジャズ』(ジャズの名盤紹介的なエッセイ)もとても楽しく読みました。

この人は自分の好きなものへの没頭具合がすごいですよね。本人はただ好きなものを好きなように楽しんでいるだけなのでしょうけど。

本書『走ることについて語るときに僕の語ること』は「春樹が好きでない人でもこの本は好きという人が多い本」だと聞きました。すごくよく分かります。それはエッセイというジャンルや「走る」というテーマ故に楽しむための切り口が多いからなのではないかと思います。

ランナーが読んでも楽しいですし、 走る舞台(そして「書く」舞台)として登場する世界のあちらこちらの様子も楽しいし、 作家の生活や考えていることを知る文章としても面白いし、 と彼の小説作品に比べ読む人を選ばない作品なのは間違いないでしょう。

 

走っているとき人は何を考えているのか

走る習慣をまったく持たない人からよく聞かれる質問の一つに「走っているときに何を考えているの?」 というものがあります。

村上春樹もやはり同じようです。というか、私程度でもわりとよく聞かれるので、きっとものすごくたくさん質問されているのではないかと思います。

この質問に対する村上春樹の回答が、秀逸です。多くのランナーが共感するのではないかと思います。 3段落に渡ってあまりに共感できる文章が続いていて、どこを引用すべきか迷いますが、一部だけご紹介します。 これに続く数段落は同じことを少しずつ言い方を変えながら語っています。何度も同じ質問を受けて、そのたびに考え答える中でできあがってきた回答だからこれだけの語りになるのではないかなと想像しています。

走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空はあくまで空のままだ。雲はただの過客(ゲスト)に過ぎない。それは通り過ぎて消えていくものだ。そして空だけが残る。空とは、存在すると同時に存在しないものだ。実体であると同時に実体ではないものだ。僕らはそのような漠然とした容れ物の存在する様子を、ただあるがままに受け入れ、呑み込んでいくしかない。(P35)

すごく、よく分かります。 

走っている時にはわりと色々なことを考えています。仕事のこととか、人間関係とか、趣味のことや、あるいは天気やその日の食事のことだったり。色んなことを考えるけど、その「いろいろ」は自分が意識して選んでいるわけではなく、まさしく雲のようにやってきて、過ぎ去っていきます。何か特定のことを考えたいと思っていても、いつのまにか流れていってしまうということもよく起こります。

ただ、それでいて走り終わった後は頭がとてもすっきりする。 そのすっきりとした感じが欲しくて走っているというのも走ることの大きな理由の一つです。 

結局のところマラソンは、苦しい。

私が本書を読んだのは前述の通り人生2度目のフルマラソンへの挑戦に向けた練習をしている時期でした。初マラソンも完走自体はしていたものの、正直最初のフルマラソンが終わった時点では「もう2度と走りたくない」と考えていました。 ものすごく、苦しかったのです。そして走り終わった後は膝がボロボロでした。

毎年フルマラソンを走るようなランナーともなると、あんなに苦しくはないんだろうなと期待を込めて読み進めていったのですが、どうやらその期待はハズレのようです。 

前回の私のレースで苦しかったのは、32、3㎞地点ぐらいからの最後の10㎞ほど。後から確認すると走る速度はほとんど変わっていなかったのですが、とにかく苦しかった。全身が走るのを止めたがって悲鳴を上げているような状態だったのですが、何度走っても、どれだけ練習しても、一緒らしい。

やれやれ、もうこれ以上走らなくていいんだ。(P99)

最後に思うのはやっぱりこれなのか、と。人間の身体の構造上30㎞程度までが健康的に走れる限界なんじゃないかと思います。

結局のところ、苦しい。それでも走るのをやめようとは思わないんですよね。

でも「苦しい」というのは、こういうスポーツにとっては前提条件みたいなものである。もし苦痛というものがそこに関与しなかったら、いったい誰がわざわざトライアスロンやらフル・マラソンなんていう、手間と時間のかかるスポーツに挑むだろう?苦しいからこそ、その苦しさを通過していくことをあえて求めるからこそ、自分が生きているという確かな実感を、少なくともその一端を、僕らはその過程に見いだすことができるのだ。生きることのクオリティーは、成績や数字や順位といった固定的なものにではなく、行為そのものの中に流動的に内包されているのだという認識に(うまくいけばということだが)たどり着くこともできる。(P251)

たぶん、そういうことなんだろうと思います。

ちなみに、本記事を執筆している時点ではとっくに2度目のフルマラソンのチャレンジも終了しております。無事に完走し、タイムも30分縮めることができました。記録上はサブ4こそ達成できなかったものの、1kmごとのラップタイムではサブ4達成ペースで走ることができ、感覚としても苦しさもありつつも充実感や楽しさの方をよりたくさん感じながら走ることができました。(私が出場したのは東京マラソンで、日本のマラソン大会の中ではおそらく一番混雑した大会のではないかと思います。人を避けるために蛇行しながら走ることになるので42kmより2、3km長めに走ることになり、ギリギリの達成ペースだと記録上はサブ4にならないことが起こります)

「走り始める理由」と「走り続ける理由」

「なんで苦しいのに走るの?」というのももよく受ける質問の一つかと思いますし、走っている最中に自分で思うこともよくあります。「なんでこんな苦しい思いしてんだろ」と。やはりこれも村上春樹も同様のようです。

なんで走るのか。とくにフルマラソンなんて思い切り苦しいのに。理由は人によってさまざまあるのだろうけど、ざっくりといってしまえば「楽しいから」の一言に集約されるのではないかと思う。

そう、マラソン・レースは楽しんでこそ意味があるのだ。楽しくなれけば、どうして何万人もの人が42キロ・レースを走ったりするだろう。(P197) 

苦しいけれど、楽しい。 苦しさが楽しいわけではなく、苦しさもあるけれど楽しい、ということです。ただ、きっと「楽しさ」という単純化され集約された感情以外は人によってさまざまなのではないかと思います。

この「楽しさ」であり「さまざまな走る理由」をもう少し突き詰めると「走り始める理由」と「走り続ける理由」を考えることになるのではないでしょうか。

村上春樹の場合は、専業小説家になったときの体調の維持のためのスポーツとして仲間や道具の要らないマラソンは都合が良かった、というのが走り始めた理由であり、走り続けるのは、小説家として必要なものを走ることから学んだり、走ることによる「空白の獲得」や「生きているという実感」を得るためということです。

私の場合高1の終わりで運動部を止めギター部に転部したのを機に、自分で運動をする習慣を続けねばと思い一人で手軽にできることとして選んだのが走るでした。それに加えて、クソ真面目に育った高1の自分にとって「夜の街に一人で出る」ということ自体が楽しかったです。例えそれが遊びでなくて走ることだとしても。その後走り続けているのは、運動のためというのももちろんあるけれど、それ以上に本書の言葉でいえば「空白の獲得」や「生きているという実感」という部分が大きいなと感じます。

思うに、走り初める理由は本当に人によりさまざまだけど、その先走り続けている人というのはある程度似た感覚を共有し、それを理由に走っているのではないかと、この本を読んで春樹の描写するいろいろな感覚に強く共感しながら思いました。

 

おそらく走る習慣はこの先もずっと続けていくだろうと思うので、そのうちにまた読み返したい本です。

『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んだ人にオススメの本

最後に本書を読んだ方や興味を持った方にオススメの本をご紹介します。

村上春樹、和田誠『ポートレイト・イン・ジャズ』

記事中でも少し触れましたが、こちらもオススメのエッセイです。タイトルの通りジャズについてのエッセイです。『走ることについて語るときに僕の語ること』の中でもお音楽を聴きながら走ることについての描写があるのですが、村上春樹は走ることだけでなく音楽についても非常に詳しいです。本書はイラストレーター和田誠さんと村上春樹のコラボ作品で、和田誠さんが描いたジャズプレイヤーの肖像に対して村上春樹がエッセイを添えるという豪華な作品です。ジャズファンの方は村上春樹のジャズへの傾倒ぶりに共感する思いで楽しむことができると思いますし、これからジャズを知りたい人にとっては本書の中から聴くべきアルバム、ミュージシャンを選ぶことのできる豪華なジャズ名鑑として楽しむこともできます。

小出義雄『マラソンは毎日走っても完走できない』

こちらも記事中で触れましたが、ランニング習慣をつけたい方やマラソンレースに向けたトレーニングのモチベーションを維持したい方は合わせてこちらの本も手にすることがオススメです。『走ることについて語るときに僕の語ること』は気持ちの面を刺激してくれ、『マラソンは毎日走っても完走できない』は身体面に関する知識を補ってくれ、この二冊を踏まえて走ればマラソンに向けた心技体はすべて揃うのではないかと感じています。

先日書評記事も作成しておりますのでよければお読みください。

 

daisuket-book.hatenablog.com

 

メイソン・カリー 、金原瑞人、石田文子『天才たちの日課』

古今東西の作家や芸術家、哲学者、研究者などの偉人・著名人たちの「日課」に注目した作品。『走ることについて語るときに僕の語ること』の中では村上春樹が作家業をこなす日々の中にいかにランニングという習慣が組み込まれているのかが触れられていますが、同じようにどのようなルーティーンの習慣があるのかを楽しむことができます。村上春樹も紹介される作家の一人として取り上げられているのですが、彼のランニングのようにストイックな習慣を持っている人もいれば、どちらかというと退廃的というか破滅的な習慣を持った人もいてなかなか面白い発見の多い一冊です。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。