こんにちは。書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。本記事は「キズキ共育塾」を運営する安田祐輔さんの『暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾をつくった理由』の書評記事です。
内容紹介・読んだきっかけ
内容紹介
Amazonの内容紹介より引用します。
発達障害による生きづらさ、父のDV、家庭不和、継母のいじめ、非行、居場所のない少年時代……悪循環に流され18歳を迎えたある日、父のうらぎりから心に宿った決意、「暗闇から抜け出すには大学に入って人生を変えるしかない」。偏差値30から猛勉強し一流大学へ。大企業へ入社するも、うつ・ひきこもりに。そこで多くの人と出会い生きる使命に気づく。やがて日本初の大規模な不登校中退者の進学塾を立ち上げるまでの感動実話
読んだきっかけ
元々「キズキ共育塾」や安田さんのことは知っており、事業内容やコンセプトに非常に共感してずっと応援をしていました。ブログもよく拝見していたのですが、その安田さんの本が出るらしいことを本人のTwitterで見かけてからずっと楽しみにしていました。2018年4月に発売されてすぐに購入しました。 とても良かったので、改めて書評記事を書いてご紹介したいと思いました。
社会起業家の本は大学の頃から何冊も読んでいて、どの方のストーリーも元気をもらえるのですが、安田さんの「物語」は特に爽やかな力強さを感じる本でした。安田さんの生い立ち含め書いてある内容自体は爽やかというよりはむしろ壮絶なものなのですが、それでも前向きでひたむきなエネルギーが伝わってきて、きっとこのエネルギーはキズキ共育塾という場所で子どもたちにも注がれているのだろうなと感じました。
「キズキ共育塾」とは
キズキ共育塾は不登校・中退・ひきこもりなどドロップアウトを経験を持った方たちを対象に「もう一度勉強したい人のための塾」として運営されています。
「キズキ」の名前には”自分の可能性に「気付き」、自分の将来を「築く」”の2つの意味が込められており、挫折を経験しても「何度でもやり直すことのできる社会」を目指して、学び直しをサポートするという安田さんたちの決意を表しています。
キズキ共育塾HP
私は現在コンサルタントや研修講師として働いており、NPO等のソーシャルセクターのクライアントも多いです。
私自身のソーシャルセクターへ関わり始めたきっかけが児童養護施設での学習指導の活動で、児童福祉や教育の領域には10年ほど関わってきました。その中で多くの学習に困難を抱える(学習だけではないですが)子どもに出会い、彼ら彼女らの「勉強の苦手さ」「勉強の嫌いさ」が本人の資質というよりも社会的な構造から発生してしまっていることや、それにも関わらず学習という分野は本人の資質や意欲の問題に還元されてしまいがちであること、そしてそのことがますます子どもたちの自尊心を傷つけてしまっていることをとても強く感じてきました。
そしてそうしたキツい環境にある子どもたちは施設だけでなく、不登校・中退・ひきこもりなどさまざまな困難な状況に陥ってしまっています。
困難な状況にある子どもたちは大人から、社会から裏切られたり、傷つけられた経験を持つ子も少なくありあせん。そんな中で、何度でも、どんなタイミングからでもやり直すことができると言ってくれる人がいること、支えてくれる人がいること、そうした人に出会えることはとてつもない力になります。
本来教育におけるこうした寄り添うスタンスは困難な状況の有無に関わらずに提供されるべきものであると私は考えています。少しずつキズキのような視点、想いをもった教育が広がっていくといいなと願っています。
「暗闇でも走る」安田さんの人生
長年安田さんのTwitterやブログを拝見してきたのでおこがましくも安田さんの経歴はそれなりに把握していたように思っていたのですが、表面的に表れる経歴とその人の歩んできた道には大きな隔たりがあるということを、当たり前のことですが改めて感じました。
壮絶な体験をいろいろとされている中で印象的だったのは、安田さんの物事の捉え方。安田さんを突き動かしている原動力の背景の考え方ってこういうところにあるのかな、と感じる箇所がいくつかありました。
例えば、以下の文章。
人から優しくされたことなど、人生でほとんど経験したことがなかった。全ての人たちに「復讐」してやりたかった。
「復讐」とは、誰よりも僕自身が立派な人間になることだと思った。
いつか僕が立派な人間になれた時、「お前らがバカにしてきた人間は、これだけの人間になれたんだぞ」といってやりたかった。
そして僕にとって立派な人間とは、誰よりも人の痛みのわかる人間のことだと思った。なぜなら、その頃までの僕はずっとそういう人を求めていたからだ。(P57)
「一発逆転」の大学受験を決意するまでの思考が描かれているこの前後の流れ がとても印象的。何度も確かめるように自分の行動の理由付けをしていく記述は、きっと当時の頭の中を表しているんだろう、と勝手に推測しました。人生の節目にいるときの思考ってぐるぐると同じようなことを何度も何度も考えて、だんだんと「これしかない」って決意するようなときもあると思うんです。そういう感じがすごく伝わってきました。
そして使っている言葉はときにけっこう強いですよね。「復讐」とか。そういう強くてある意味乱暴な言葉から「立派な人間になる」ということやそれは「人の痛みのわかる」人間である、というとても純粋で優しい言葉の吐露につながっていくのがとても印象的です。
その他にも
無駄に終わる努力が世の中にはたくさんあるかもしれないけれど、それでも「努力」をしなければ何も叶わないということを、僕は改めて知った。(P174)
という言葉も、シンプルだけど個人的な体験からも同じ信念を持っているのでとても共感しました。
その他、いくつか引用されている言葉たちも安田さんの考え方をつくっている大切な言葉なのだと感じました。例えば私自身も大好きなラインホルト・ニーバーの言葉も紹介されていました。
神よ
変えることのできるものについて
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ
変えることのできないものについては
それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ
そして変えることのできるものと、変えることのできないものとを
識別する知恵を与えたまえ
(『ニーバーの祈り』ラインホルト・ニーバー著)(P244)
”ラッキー”な物語
安田さんの行動の背景にあると感じたのは上記のような「努力」に対する冷静な信念ですが、一方で全編を通してキーワードとなっているな感じたのは「ラッキー」と「物語」です。
物語については以下のような言葉を自身の心の指針だという風におっしゃっています。
「『私は何を行うべきか』との問いに答えられるのは、『どんな物語の中で私は自分の役を見つけるべきか』という先立つ問いに答えを出せる場合だけである」(『美徳なき時代』アラスデア・マッキンタイア著)(P218)
苦しかった経験をしたこと自体が努力の原動力になったということ、そして苦しかった経験の一つ一つがいまの自身の仕事につながっているということ。だから人生は物語であると。人は自身の経験に意味や理由をつけて「物語」をつくりながら歩んでいくものであり、苦しい経験があればあるほど豊かな物語になる。だからいま悩んでいたり苦しんでいる人がいたとしてもそれらを物語の糧にして豊かな人生を歩んで欲しい、と。
なんて温かく力強い言葉なのでしょう。
不登校や中退、ひきこもり、あるいは非行など、さまざまな理由によって「ドロップアウト」する子どもがいますが、彼らがそういう状況に陥っているのは何も彼らのせいではなく、多くの社会課題や社会状況、人間関係の組み合わせなどにより社会的な構造により生み出されているというものが非常に多くあります。だから本来「ドロップアウト」なんていう言葉は失礼だと思うし、自己責任なんていう言葉は暴力以外の何物でもないと思うのだけど、だとしても、仮にそうした認識がしっかり社会に広まったとしてもそれで「ドロップアウト」した彼らの人生が急に開けるかというとそうではないと思います。
個人が自分の人生を受け止めて前に進んでいくためには社会的な構造の話なんてどうしようもなくて、必要なのは、なぜ自分がここにいて、どこに行くのか、どこに行けるのかという自分自身の意味であり、物語です。このことが教育方針の背景にある、キズキ共育塾という場ではきっと多くの「再生」の物語が生まれているのだろうと思います。
もう一つのキーワードは「ラッキー」。これも1つ目のキーワードである物語と関連したことですね。「自分はラッキーだった」という言葉が随所に登場します。安田さんが自身の物語をラッキーと捉えているということです。
安田さんの物語を客観的に捉えると「努力の物語」という捉え方をされる場合も少なくないのではないかと思いますが、安田さん自身はそれを「ラッキー」だと捉えます。
どういうことかというと、「努力ができること自体も幸運の産物である」ということ。
例えば安田さんの場合自分が受験をすることのできる環境にいたことや、助けとなる人と出会えたことなどがあって初めて努力をしようという意思を持ち、かつそれを行うことが可能になったということであり、それは幸運なことだった、と。
ひきこもりやニートの話題になると「努力が足りない」という言葉で切って捨ててしまう人がいるけれど、それはとても乱暴だと私は思います。私自身は努力は大切だと思っているし、真面目に努力できることが私自身の最大の強みだとも思っているけれど、それでもやはりその努力できる資質自体をもっていることは幸運だと思っています。
私の場合で言えば、小さなころから自分で物事を考えるように促してきた両親の育成方針や関わりに触れられたことが一番の幸運だろうし、浪人生活を経て第一志望の大学に行けたことは貧乏な家庭にはギリギリの選択だったのではないかと思うけれど、それでも意思を尊重してもらえたこと、そして何より私が大学進学して2年目に父が末期がんでなくなった。体が丈夫な故に末期になるまで気づくことすらできずに3ヶ月で亡くなった父だったけど、あのがんがもっと早期に発見され、例えば私が高校時代に発見され治療期間が長引いていたら、父はもっと長生きできていたかもしれないけれど、きっと私の浪人は難しかったのではないかと思う。これらを人がどう呼ぶのかはわからないけれど、少なくとも自分自身の主観として「幸運だ」と捉えることはとてもしっくり来ます。
私自身長く対人支援に関わってきているので、この「幸運」の捉え方はとても共感するし大切な考え方だと思います。自信を幸運だと捉える人は人にやさしくすることができるのです。
安田さんたちの子どもとの関わりにもそんな視点が見えます。
何があっても、目の前の生徒に寄り添い続けることが、キズキの講師たちに求められる資質だ。
キズキの講師は「ただ勉強を教えられる」だけでは不十分なのだ。(P178)
人を支援する時に、相手に「清く正しい行動を求めるべきではない」と考えるようになった(P181)
「頑張ればなんとかなる」と多くの人は言うかもしれないが、そもそも困難な状況にある人々は「頑張れない」ことに悩んでいるのだ。
だから支援の第一歩は、「頑張る」ための手助けをすることだと僕は思っている。(P201)
ちなみに、このように自分たちの支援観や教育観を突き詰めて考え、言葉にすることは組織を作る上でもとても大切です。本書でも採用基準をどのように考えていったのかという経緯が書いてありますが、対人支援だからこそ、ボランティアやアルバイトであってもどのようなスタンスで人と関わるべきであると考えているのかはしっかりと作った上で「断る勇気」を持つことがとても大切です。
他にも共感したところや考えたことがたくさんあるのですが、どこまでも長くなりそうなのでまとまりないですがこの辺で終えます。
キズキ共育塾と安田さんの今後の活動もとても楽しみにしています。
キズキでは現在、子どもたちを支えるための寄付会員制度「奨学金サポーター」の募集をしているそうです。共感される方はぜひ入会を!
『暗闇でも走る』を読んだ方にオススメの本
最後に本書を読んだ方や興味を持った方にオススメの本をご紹介します。
阿部彩『子どもの貧困Ⅱ 』
キズキさんが対象としているのは必ずしも「貧困」というキーワードだけに特化したものではないですが、現在この国の子どもや親子が直面する課題の多くに共通した根っことなってしまっているのが「子どもの貧困」です。背景や社会課題の解決策について考えるにはこちらの本がオススメです。 先日書評も書きました。