書評ブログ『淡青色のゴールド』

経営コンサルタントのdaisuketによる書評や読書についてのブログです

書評『宇宙(そら)へ』差別・多様性・弱さと向き合う宇宙開発歴史のif

スポンサーリンク

書評『宇宙(そら)へ』差別・多様性・弱さと向き合う宇宙開発歴史のif

こんにちは。書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。本記事はメアリ・ロビネット・コワルの作品『宇宙へ』の書評記事です。1950年代の宇宙開発に歴史のif(もしも)を取り入れた改変歴史SF作品です。

 

内容紹介

本作品はヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞主要SF3賞の受賞作品です。著者のメアリ・ロビネット・コワルは2013年にも『火星のレディ・アストロノート』でヒューゴー賞ノヴェレット部門を受賞しており、本作『宇宙へ』は同作品と同じ世界設定の作品です。<レディ・アストロノート>シリーズとして、同じ世界観の物語世界を続けており、他の作品も翻訳が進んでくることが楽しみです。(2022年5月時点で『宇宙へ』の続編作となる『火星へ』の翻訳版が出版済みです)

本作品は改変歴史SFと分類されています。1952年に巨大隕石が地球に衝突し、その影響で近い将来地球は人類が生存可能な環境ではなくなってしまうことが分かり、人類は存亡の危機をかけて宇宙開発に向き合わなくてはならないという、実際の歴史上に「もしも」の出来事を設定し、その世界線での物語世界を繰り広げていきます。このあらすじの通り宇宙開発が軸となっているのですが、主要なテーマは宇宙開発における技術的な側面よりもむしろ、元パイロットの女性主人公エルマが女性差別や人種差別に向き合いながら宇宙開発に臨んでいく姿や、エルマがパニック障害という特性も持っていることから差別や多様性といったテーマが扱われており、非常に現代的な感覚の小説です。主要SF三賞を受賞しているだけあって、エンタメとして非常にしっかりした出来になっておりますし、現代的な複数のテーマを考えさせる力も持っており、ぜひ多くの人に読んでほしい作品です。

Amazonの内容紹介から引用します。

1952年、巨大隕石が突如、ワシントンD.C.近海に落下した。衝撃波と津波によりアメリカ東海岸は壊滅する。第二次大戦に従軍した元パイロットで数学の博士号を持つエルマは、夫ナサニエルとともにこの厄災を生き延びた。だが、エルマの計算により、隕石落下に起因して、環境の激変が起こると判明する。人類が生き残るためには宇宙開発に乗りださなければならないが……。ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞受賞の傑作!

ハヤカワ文庫SF創刊50周年記念作品

計算尺で挑む宇宙移民計画×リアルな人間ドラマ。「SFは映画だけ」という方もきっと楽しめるはず。
――森岡浩之(作家)
宇宙進出か? 絶滅か? もう一つの「ロケットの夏」を描き、SF賞を総なめにした傑作、必読!
――堺 三保(評論家、本書解説者)

『宇宙へ』の表紙画像

上下巻の作品ですが一気に読み進められます。上下巻で組み合わせる表紙って良いですよね。

エンタメ作品で差別や多様性を”自然に”扱うことの難しさ

本作品の主人公エルマは元パイロットであり数学の博士号も所持しています。この属性だけ見ると、宇宙開発モノのSFにおける主人公としてこれ以上ない適正のようにも思えますが、舞台は1950年代のアメリカであり現代よりも差別は根強く残っていた社会です。エルマはロケット開発における数学的な計算を専門に行う「計算者(コンピュータ)」という仕事に就きながら女性宇宙飛行士の実現を目指していくことになります。本書のテーマ設定が良く出来ているなと感じるのは、女性主人公エルマが女性として女性差別の根強い人間関係の中でいかにその問題に向き合っていくかという女性差別の問題だけでなく、人種差別の問題やパニック障害、宗教の差異など複数の差別や多様性に関わるようなテーマを織り交ぜている点です。エルマは元パイロットであり、数学の博士号を持っており、レディアストロノートとしてメディアにおける有名人であるという社会的に「強い」特性を持っている一方で、女性でありユダヤ教徒でありパニック障害の特性を持っているという形で社会的な弱者やマイノリティの特性も持っています。また、エルマは自分自身が女性差別という問題に決然と向かっていく中で、自分自身も人種差別という問題も社会には存在していることに自覚すらしていなかった自分に気づいていくというように、差別や多様性といった問題の複雑性や重層的な構造をよく表しているように感じました。

さまざまなマイノリティ性の問題が随所に散りばめられた本作を読んで、人によっては「ポリティカル・コレクトネス的な意識が強すぎる」と感じる人もいるかもしれません。宇宙開発などストーリーの主要な軸に集中した方が良いと感じる方もいるでしょうし、物語を作り上げる上でそのように主要なテーマ以外を削ぎ落として筋肉質な物語い仕上げていく表現もあると思います。

ただ、本作のような主人公の複雑な属性設定やそれぞれの属性・特性の社会の中でのあり方にしっかりと向き合っていくという作品はポリティカル・コレクトネスへの配慮ということが意識されるようになるまではやはり少なかったですし、本来社会にいきる私たちは何か一つの属性や特性だけを持って生きているのではなく、複数の側面や特性を併せ持った存在として社会の中に生きているのですから、その点にそれらの特性自体を主要テーマとはしていないエンタメ作品の中に自然に同居させていく本作のようなアプローチはもっと取り入れられてしかるべきなのではないかと感じます。

”大きな危機”が迫る中で”小さな差別問題”を考えるとはどういうことか

本作品では巨大隕石の衝突により近い将来地球は人類が生存不可能な環境になってしまうことが分かり、それによって地球開発を急ピッチで進めていく必要に迫られているという非常に大きな人類共通の危機が存在する中で物語が進展していきます。

「男性だけでなく女性も宇宙へ出るべきだ」と主張する主人公エルマに対しマジョリティである男性社会からは「地球の危機という大きな問題を前にして、女性の問題などに関わる余裕はない」というような反発や否定がぶつけられるような場面があります。

これは複数の社会課題がある中での優先順位付けというものが社会的にどのようになされるのか、なされるべきなのか、という話であり私たちが生きる現実社会においてもしばしば見かける問題のように感じます。例えば、日本の子どもの貧困という社会課題の解決に対しての寄付を募っている団体に対して「世界にはもっと悲惨な状況におかれている子どもたちがいるのだから先にそちらを解決すべきだ」という声が投げかけられたり、あるいはまったく逆に国際協力の活動のために寄付を募っている団体に対して「日本にも困っている子どもがいるのに、なぜ海外の問題なんかに取り組む必要があるんだ」という声が挙がったりすることがあります。子ども支援というテーマ以外にも、環境問題であったり、障害者支援であったり、高齢者支援であったり、私たちが生きる社会には常に複数の社会問題が存在していますし、当事者それぞれにとってはその問題こそが自分の生において何よりも深刻な課題です。こうしたさまざまな問題に対し、社会的に優先順位をつけるということは現実的には不可能でしょう。しかし実際に例えば戦争の際には他の様々な問題の優先順位が下げられたり、最近では新型コロナウィルスの感染拡大対策の名のもとに個人の自由が制限されることに多くの人が特段の危機感を持たずに賛成をしたりといったことが実際に起っています。こうした点を私たちはどのように考えるべきでしょうか。

また、私たちは社会にはたくさんの社会課題が存在していることを頭では理解していますが、日々の社会生活を送る上でそれほど多くの社会課題に関心を払い続けるということは現実的にはできません。多くの人が共通して関心を払う問題だけが社会問題として認知され、解決のためのリソースも集まることになります。こうした社会的な関心によってどのように社会問題が構造化されていくのかという点は『社会問題とは何か』という書籍に詳しいので関心がある方はぜひ読んでみてください。

当ブログで書評も書いております。

 

daisuket-book.hatenablog.com

「地球の限界」を人類は一丸となって受け止めることはできるのか

社会問題を私たちが社会全体としてどのように認識するのかという点にさらに注目すると、本作品では宇宙開発が全国民・全地球市民の共通の課題となっているわけではなく、宇宙開発に反対する勢力の存在も描かれます。数学者である主人公エルマとともに物語を進んでいくことになる読者としては、地球が限界を迎えることは数学的に証明完了している問題であり、反対勢力の登場や地球の限界に対して危機感の薄い人物たちにはモヤモヤすることもあるでしょう。実際本作品への感想で「宇宙開発への関心や取り組みが弱い、のんきすぎる」といったものも見かけました。気持ちはとてもわかります。

ただ、「地球は近い将来限界であり今すぐ宇宙開発を進めなければ手遅れになってしまう」という実際に再現して見せるわけにもいかない危機は社会的に本当にすんなりと受け止められるのかという点は疑問です。実際私たちが生きている2020年代の地球では「気候変動問題を筆頭に地球の限界は明らかに示されており、今すぐに先進諸国の生活スタイルを改めなければ手遅れになってしまう」という説が唱えられていることを私たちの多くは知識としては知っていますが、実際にそれをどの程度真剣に受け止めて、生活を改めたり、社会的・政治的な変化を起こさなければならないと感じているでしょうか。これは構造としては『宇宙へ』の中で起こっていることとまったく同じであり、著者の現代社会への皮肉が込められているのではないかと感じます。みなさんはどのように感じるでしょうか。

大前提としてエンタメとしての出来が良い

ここまで述べてきたように本作品はさまざまなテーマを考えさせる力を持っている作品なのですが、作品全体として小難しい印象はまったくありませんし、社会問題が通奏低音となっているからと言って鬱屈とした雰囲気で展開される作品でもありません。宇宙開発にひたむきに向き合う主人公たちの奮闘がさわやかに描かれています。主人公の夫ナサニエルとの関係性や会話もさわやかな雰囲気を作る大きな要素となっています(特に二人の会話には若干の癖があるので、ウィットに富んでいると感じる方もいれば、苦手だと感じる方もいるかもしれませんが)

また、隕石衝突時や飛行機操縦中などの緊迫したシーンの描写も非常に力強くページをめくる手を止めさせない魅力を持っている点は、さすがにヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞受賞作品だと感じます。オススメです。

『宇宙へ』を読んだ人にオススメの本

最後に本書を読んだ方や興味を持った方にオススメの本をご紹介します。

ジョエル・ベスト『社会問題とはなにか』

本文中でもご紹介しましたが『宇宙へ』での社会問題の扱われ方と、現実社会における複数の問題の扱われ方とを考えてみたいという方は、社会構築主義の立場から社会問題の構造をわかりやすく解説した本書がオススメです。

メアリ・ロビネット・コワル『火星へ(上・下)』

『宇宙へ』の続編作品で、いよいよ火星へのコロニー建設が目指されることになります。主人公エルマが引き続き続投するレディアストロノートシリーズの正式続編です。

レイ・ブラッドベリ『火星年代記』

ロケット開発が進み、地球人類が火星への移住を進めていく様子が連作短編で描かれるブラッドベリの代表作。「火星」「ロケット」「地球からの移住」と『宇宙へ』とキーワード自体は共通していますが、雰囲気は大きく異る作品です。ブラッドベリは幻想作家とも呼ばれており、SFというよりはファンタジーのような雰囲気も強く、まったく違った宇宙開発の世界を味わうことができます。

フィリップ・K・ディック『高い城の男』

改変歴史SFを文学の有名テーマに押し上げた作品と言われています。第二次世界大戦でナチス・ドイツと大日本帝国が勝利していたら…という歴史設定の世界が描かれています。


最後までお読みいただきありがとうございました。