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書評『社会問題とは何か』誰が気づき、問題化し、解決されていくのか

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書評『社会問題とは何か』誰が気づき、問題化し、解決されていくのか

こんにちは。書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。本記事は『社会問題とは何か』の書評記事です。NPO等で社会課題の解決に取り組んでいる人はもちろんのこと、普段ニュースで目にする様々な社会課題に共通する構造について理解したいという方にオススメです。

 

 

内容紹介

本書はタイトルの通り社会問題について論じた本ですが、児童虐待や人種差別など特定の社会問題について詳細に掘り下げるのではなく、さまざまな社会問題に共通する構造を整理、理解することを目的としています。基本的には社会学の構築主義という立場から整理された本で、関連する先行研究を引用しながら汎用的なモデル構築を行っており、社会問題や構築主義に関する教科書的な位置づけのものです。

米国では2008年に第一版が出版され、やはり構築主義の教科書として多くの大学の授業等で取り上げられているそうです。

Amazonの内容紹介から引用します。

人種差別や犯罪、気候変動や性差別…。いかなる社会問題も、元から存在したのではない。「これは問題だ!」と声を上げる人が現れ、それに同意する人が出てくることで、初めて問題化されてゆく。こうした観点から、社会問題はなぜ、いかにして生じ、やがてなくなるのかを、六つの段階に分けて解説。日本の人文社会科学に多大な影響を与えた構築主義をリードしてきた社会学者による、決定的入門書。社会問題をきちんと考えたい人、批判的思考を身につけたい人、そして実践家にとって必読の書である。

本書の構成

本書は以下のような構成です。

第1章 社会問題過程(プロセス)
第2章 クレイム
第3章 クレイム申し立て者としての活動家
第4章 クレイム申し立て者としての専門家
第5章 メディアとクレイム
第6章 大衆の反応
第7章 政策形成
第8章 社会問題ワーク
第9章 政策の影響
第10章 時空をかけるクレイム
第11章 構築主義スタンスの使い方

第1章で社会問題が社会の中で構築されるプロセスの全体像を示した上で、第2章以降で具体的な過程・プロセスについて、そのプロセスに関わる主要なアクター(「活動家」「専門家」「メディア」など)の視点やあり方を掘り下げながら解説していきます。社会問題形成や課題解決になんらかの形で関わっている人であれば、自分の普段の関わりに近いプロセスは読みやすいと思いますし、それぞれの過程は個別独立したものではなく、相互に影響し合う一連の流れであるというのが本書の主要な主張でもあるので、普段自分が関連を意識できていないところにまで自分の仕事の(あるいは生活者、市民としての生活の)関わりが広がっていることを考えることができるでしょう。

オススメ度

★★★★★(5/5)

本書をオススメする人

本書は特に以下のような方にオススメです。

  • NPO関係者を始め社会問題解決に関わる人
  • 教員、医師など対人支援の現場で個別の社会問題ケースに関わる人
  • メディア関係者やメディアの問題に関心のある人

社会問題とは「特定の誰かの、特定の状況・状態のことではなく、人びとがある状態を問題であると認識すること」というのが本書の主張ですので、社会や政治、ニュースなどに普段から関心を持っている人は誰にでもオススメできますが、特に普段から仕事で「社会問題(の解決)」に関わっている人には、改めて本書を通して本書のタイトルにもなっている「社会問題とは何か」について考えていただきたいです。

『社会問題とは何か』の画像

350ページ程。なかなか分厚いですが記述は分かりやすく読みやすいです。

社会問題は客観的状態のことではなく「人びとがある状態を害悪だと考えていること」である

すでに何度か述べていますが、構築主義に関する教科書的な著作であり、社会課題に対する基本的な捉え方に特徴があります。

それは、社会問題とは社会の客観的状態を指すのではなく、「これは問題である」と人々が認識している問題のことを指す、というものです。

この捉え方に違和感を覚える人もいるかもしれません。例えば社会課題としての「子どもの貧困」問題では「7人に1人が相対的貧困状態にある」という言い方がなされます。相対的貧困というのは各世帯の可処分所得の中央値の半分に満たない人のことを指し、7人に1人というのはその状態に当てはまる子どもの割合を指しています。子どもの貧困という社会課題についてはこのように客観的状態としての課題として多くの人に認識されています。

構築主義のいう「客観的状態を指すのではない」というのは、相対的貧困状態にある子どもたちに対して「それは問題ではない」と言っている訳ではありません。そうではなく、社会課題とは「7人に1人が相対的貧困」という定義的な情報も含め多くの人が「子どもの貧困とは解決されるべき課題である」と認識するようになったことを重要視するということです。

「子どもの貧困」という言葉自体を皆さんはいつ頃から認識していたでしょうか。最近のことでしょうか、5年前でしょうか、10年前でしょうか。人によってさまざまかと思います。今でこそニュースなどでも当たり前のように使われるキーワードとなり、社会課題の一つとして多くの人に認識されていますが、昔からずっとそうだった訳ではありません。

特定のキーワードがどの程度インターネット上で検索されているかをグラフ化することで注目度の変遷を調べることのできるGoogleトレンドで「子どもの貧困」を調べてみると以下のようになりました。

Googleトレンド「子どもの貧困」

Googleトレンドで「子どもの貧困」を調べた結果

一番初めに検索されるようになった(人びとに認識され、検索されるようになった)のは2007年の2月です。その後は現在よりは低い状態での認知度が続いた後に2014年7月から大きく注目度が上がり、その後は高い水準での認知度が続いています。つまり構築主義の立場から言えば「子どもの貧困」という社会課題は2007年以前には存在しなかった、ということになります。もちろん相対的貧困の状態にある子ども自体は2007年以前にもいたはずですが、そうした客観的状態自体ではなく、人びとの認識を重視するのが構築主義ということです。

なぜ客観的状態自体ではなく、人びとの認識を重視するのか?

なぜこのような捉え方を重視するのかというと、客観的状態自体を重視する立場(構築主義に対して客観主義といいます)にはいくつものの問題があるからです。

第一の問題はまさに子どもの貧困問題について述べてきたように相対的貧困という有害な状態が存在していたとしてもそれが社会的には問題として認識されていない場合があるということにあります。社会的に注目を集めるようになった2007年以前と以降で相対的貧困状態にある子どもたちの辛さ自体が変化したわけではなく、あくまで変化したのは社会の側の認識であり、客観的状態だけでは何が問題で何が問題でないかを区別することはできません。

また、二つ目の問題としては同じ状態に対しても問題である理由はいくつも考えられうという点も挙げられます。想定的貧困という状態の何が問題かということもその人の価値観によって捉え方が変わり、他の子どもと経験や教育に差ができるという不公平さを問題だと捉える視点もあれば、貧困状態が連鎖することや社会保障の負担を増やしてしまうことなど社会全体の資源の視点で問題だという捉え方もあり、これらはどちらが間違っているということではなく、唯一の客観的な視点というものが存在しないといえます。

第三の問題は、社会問題にはさまざまな課題が含まれていて同じ尺度で測ることはできないというものです。例えば子どもの貧困と、地球温暖化を同じ尺度で定義することは非常に難しい問題となります。

これらの問題点に対して、構築主義では客観的状態や尺度からのアプローチではなく、どの社会課題にも共通している要素として「ある状態を害悪だと考えている」という視点を重視しています。

社会問題形成過程をモデル化して捉える

本書では社会問題形成の過程をモデル化して捉えており、まずこのモデルがシンプルで分かりやすいです。

社会問題形成過程は6つのステップから成ります。

①クレイム申し立て:人びとは、ある特徴、原因、解決をともなった社会問題が存在することについてクレイムを申し立てる(例)マーティン・ルーサー・キング・ジュニアのような公民権活動家は、合衆国南部の州の人種隔離政策を求めて、デモ行進を行う
②メディア報道:クレイムについてのニュースがより広く聴衆に届くために、メディアはクレイム申し立て者について報じる(例)新聞やテレビの記者は、公民権運動をめぐる対立について説明する
③大衆の反応:大衆の見解は、クレイム申し立て者によって認識される社会問題に焦点をあてる(例)人びとは人種隔離政策に関心を寄せて、反対のキャンペーンを支持するようになる
④政策形成:法律家や政策を形成する権力を持つ人びとは、問題に対応する新しい方法をつくり出す(例)連邦議会は公民権法と投票権法を可決する
⑤社会問題ワーク:政府機関は、さらなる変化を要求することを含めて、新しい政策を実行する(例)新しい連邦法のもとで、国家と地方自治体は人種隔離政策の公的な政策を終了させなくてはならない
⑥政策の影響:新しい構造に対して、さまざまな反応が見られる(例)人びとは、人種差別を減少させるためにさらなる変化を求める。それに加えて、女性や他の諸集団の権利を向上させるキャンペーンを要求する

これらのステップは必ずしも単線的なものではなく、各過程で各アクターが相互に影響し合うことが丁寧に解説されますが、基本的なモデルがシンプルなため非常に理解がしやすいです。

実際の社会問題の形成をこのモデルで理解する上で大切なポイントは、各アクター(「申し立て者」「メディア」など)は平等ではなく、権力、地位、接触、教育、資金などの各種の資源の有無が各過程に影響を及ぼすことを容易にする、競争的な過程であるということです。特定の状態を社会課題と認識してもらいたい人は大勢いるが、メディアの紙面や人びとが関心を払える範囲には限界があり、複数の問題のうち成功したものだけが、社会問題形成過程を進んでいくことができます。

例えば本記事で事例として取り上げた「子どもの貧困」問題は社会問題化することに成功した課題であるといえます。上述の通り2007年以降徐々にメディアにも取り上げられ、人びとの認知が広まりました。先に2014年7月以降に大きく注目度が上がったことを述べましたが、これは「子どもの貧困対策法」が施行されたのが2014年6月であり社会問題としての認識が格段に広がったタイミングだからです。

本書のモデルに当てはめるのであれば、以下のように捉えることができます。

2007年前後からクレイム申し立て者としての活動家の人たちがメディアに対しての働きかけに力を入れるようになり、メディア報道を受けた大衆側の反応として徐々に相対的異貧困が解決されるべき問題であるという認識が広まっていったといえます。(そもそも貧困といえば絶対的貧困を指すというのが以前の認識であり、相対的貧困とは何か、どのような辛さがありどのように問題なのかということがメディアで取り上げられるようになった)その反応を受けて政策形成が進み2013年に法律が成立しました。その後法律に基づいた社会問題ワークが進みます。具体的には各市町村に子どもの貧困対策計画を策定されることが求められたり、政策の影響として各地で子ども食堂などが多く展開されるようになりましたし、子ども食堂という場を通して地域内の別の課題に注目が集まるようなことも進んでいます。

NPOは「クレイム申し立て者」足り得ているか?

ここからは本書を読んで考えるべきポイントだと感じた点について述べていきます。まずひとつ目は日本のNPOについてです。

本書の社会問題形成過程モデルにおいては一番最初のステップが「クレイムの申し立て」です。つまり、ある状態を「問題である」と捉え、訴えるということから社会問題形成の過程が始まるということです。クレイムを申し立てる存在の代表例として本書では「活動家」と「専門家」が挙げられ、それぞれ一章ずつを割いて解説されています。NPOなどの非営利活動、市民活動を行っている人たちは「活動家」にあたります。

考えたいポイントは「日本のNPOはクレイム申し立て者としての自らの存在意義や価値をどれだけ認識できているだろうか」ということです。もちろんすべてのNPOがクレイム申し立て者であるべきという訳ではないと思います。本書のモデルで言えば社会問題ワーカーとして、すでに社会問題化された特定のテーマのケース対応などを中心に活動している場合も少なくありません(これについては次の節で検討します)。

一方で、社会問題ワークに従事しているのではなく、まだ社会問題として十分には認識されておらず認知の普及や啓発が必要なテーマに取り組んでいるNPOは果たして「クレイム申し立て」が本当に出来ているでしょうか。政策形成などを目指してメディアや政治家への働きかけを行う活動をアドボカシー(政策提言)と言ったりしますが、そのような活動を明確に事業に据えている団体や、あるいは市民に対しての普及啓発活動などを事業として展開している団体もありますが、そのような明確な事業・活動としての位置づけができていない場合、ほとんど実際的な「クレイム申し立て」ができていないのではないでしょうか。

すべてのテーマに取り組むすべての団体がアドボカシーや普及啓発活動を行うべきということではないとは思います。団体ごとの役割分担やネットワーク化などはあって然るべきですが、少なくともそうした特定テーマに取り組む「業界」としてどのように社会問題として認識してもらい、解決を目指していくのかという出口戦略がなければジリ貧になってしまうはずです。実際本書の中でもクレイム申し立て者にとって政策形成は政府から課題への対策のための資金や役割に公的な位置づけを得るという意味があることが指摘されていました。

日本のNPOの場合、社会問題形成過程への影響以前に組織としての基盤が弱すぎることも問題ですが、最近はコレクティブインパクトなどのキーワードで社会問題解決に取り組むケースも増えていますので、個別のNPOとして社会問題を形成し、解決するという過程にどのように関わっていくべきなのかを本書を通して改めて考えることには意義があると感じます。

対人支援の現場での一つ一つの判断が社会問題を形成している

個人的に考えるべきポイントだと感じた点の2つ目は「対人支援の現場での一つ一つの判断が社会問題を形成している」ということです。もっと言えば、そのことを対人支援者自身がどの程度認識しながら現場での業務を行っているだろうか、ということです。

例えば児童虐待の問題などは分かりやすい例だと思います。児童虐待という課題は本書のモデルでいえばすでに社会問題として認識されています。児童虐待防止法という法律も制定施行されており、私たち市民一人一人に児童虐待と疑わしいケースに対しての「通告義務」があります。通告はあらゆる場面でなされますが、特に児童虐待の発見の最前線とみなされることが多いのが「医師(検診など)」や「教員」という専門家です。また、通告がなされた場合にそのケースが児童虐待にあたるかどうかを判断し、対処を行うのが「児童相談所(の職員)」です。

児童虐待が通告され児童相談所が対応した件数は毎年増加しており、2019年度には19万件を超えています。(それだけ社会的な認知が進んだからこそ通告件数も増えているというあたりも構築主義プロセスとして捉えることができます)

現場で一つ一つのケースに対応している専門家は業務の中で「これは虐待である/虐待ではない」「これは心理的虐待である」「保護が必要だ/緊急性はない」などと判断を下しており、その判断の一つ一つが全体として19万件という数字を作っており、それが社会的にどのように認識されるかによって政策的な対応が変わるという影響の流れがあります。

また、一つ一つのケースというのは当然のこととして一人ひとりの人間にとって重大な問題です。専門家にとっては数ある事例(ケース)の一つであっても、当事者にとっては「対応する/しない」「どのような対応をするか」ということが唯一の重大な経験です。

対人支援の現場において、これらの問題はどのように扱われており、対人支援者育成過程で誰がどのように、どのような責任において扱っているのか、扱うべきなのか。分野によっても色々考えられると思うので、考えを深めてみたいところです。

「レトリック」としての社会的インパクト

続いてのポイントは近年ソーシャルセクターで重要視されている「社会的インパクト」についてです。

社会的インパクトというのは内閣府の定義によると「短期、長期の変化を含め、当該事業や活動の結果として生じた社会的、環境的なアウトカム」とされています。つまり、社会課題がどの程度、どのように改善されたのかを表すものであり、それを定量的に捉えて「社会的インパクト評価」を行うという潮流があります。(追記:社会的インパクトには「改善」だけでなくマイナスの効果・影響を捉える視点もあります。また、「評価」は必ずしも定量評価だけでなく、質的な評価も重要です。個人的には普段の仕事の場では”定量的”よりは”客観的”という言葉を使用することが多いです)

当事者にとっての害悪状態の解決を定量的に把握しようとする社会的インパクト評価は構築主義にとってどのような意味があるでしょうか。何度も述べてきたように構築主義に置いては社会問題とは「客観的状態のこと自体ではない」と認識しますので、社会的インパクトの文脈は構築主義とは相容れないとも考えられますが、個人的には構築主義で社会問題を捉える視点においても社会的インパクトは意味を持ちうるし、むしろ構築主義のプロセスの中でこそ大きな影響力を持つのではないかと感じます。

さまざまなテーマが競合する中で、あるトラブル状態が重要な問題であると多くの人に認識してもらうための方法論の一つとして本書では「レトリック」という要素が紹介されています。レトリックというのはトラブル状態を伝えやすく説得しやすくするために特定の事例や問題を再構築する方法であり、例えば代表的で劇的な「典型例」を提示することや、「子どもの貧困」など分かりやすい名称を与える「命名」、問題の範囲の大きさを示す「統計」などさまざまな方法があります。

社会的インパクトというのはこのレトリックの一つだと捉えることができるのではないでしょうか。そもそも社会的インパクト評価が求められるようになってきた背景の一つとして、リーマンショックなどを大きなきっかけとして社会問題市場に対しての大口ドナーの財布の紐が固くなったことが挙げられます。つまり社会問題としての競合性が高まったということです。その結果、それぞれの社会課題テーマは資源の投資に対してトラブル状態を改善するということの確からしさを示したり、実際に改善に向かっていることを客観的に評価するという新たなレトリックが影響力を増しているといえます。

大口ドナー(財団や企業など)や政策形成過程において社会的インパクトというレトリックが一定の影響力持つようになっている一方で、個人からの寄付や市民一人一人の反応(本書で言う「大衆の反応」)においてはまだまだ社会的インパクト以外のレトリックの方が大きな影響力を持っているようにも感じます。例えば国際協力分野の個人寄付集めにおいては「◯秒に1人子どもの命が失われています」「◯◯ちゃんの命はあと一週間です」といった劇的なケースへの注目を集めることにより共感を得る手法がいまだに主流ですし、そのような典型例を示すことのできる分野とそうでない分野(例えば「まちづくり活動」や「環境保護活動」など)では集められう寄付金額に大きな差があります。

社会的インパクトを大口ドナーや政策形成過程だけでなく、活動現場で活動者自身が活用していくことや市民に示し理解を広めていくためのものとしての活用を目指す取り組みも徐々に進んでいると感じますし、NPOに対するコンサルティングを行っている私としては特にそのような文脈での活用を切り開いていきたいと考えていますので、この辺りは今後も考えていきたい点です。

『社会問題とは何か』を読んだ人にオススメの本

最後に本書を読んだ方や興味を持った方にオススメの本をご紹介します。

赤川学『少子化問題の社会学』

『社会問題とは何か』の監訳者である赤川学氏による著作であり、構築主義のスタンスで「少子化」という代表的な社会課題の形成過程について解説する本です。『社会問題とは何か』は基本的に特定のテーマは深入りせずモデルとしての解説に集中している本ですので、具体的なテーマを元に理解したい方にはオススメです。

谷岡一郎『社会調査のウソ』

「社会調査」などの統計は『社会問題とは何か』の社会問題形成過程においてはレトリックとして各過程での説得力を増すために使われるものでした。実際に私たちが普段目にしている「社会調査」について解説する本なのですが、タイトルの通り「ウソ」が多いというのが基本的な視点です。統計に対する未熟さからくるものから意図的なごまかしまで、良くない社会調査が世にあふれており、私たちの社会問題に対する認識はもしかしたらそのような「ウソ」から形成されているかもしれません。メディア・リテラシーを高めたい方には必読の本です。

デイヴィッド・ピーター・ストロー『社会変革のためのシステム思考実践ガイド』

社会問題を捉え、解決していくための方法論として最近注目されつつあるコレクティブ・インパクトに関する解説書です。書評の中で考えるべきポイントとして取り上げた「社会的インパクト」も含めて、社会問題を認識し、問題として形成し、解決していくための実践的な流れをシステム思考を活用して捉えていくアプローチが解説されています。構築主義とは重なりあう視点が多くありますので、合わせて読むことで社会問題形成過程に対する理解や最近の潮流がつかみやすくなるでしょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。