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書評『プレーンソング』無為で無敵な青春を、叙述する仕方の一つの極地

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書評『プレーンソング』無為で無敵な青春を、叙述する仕方の一つの極地

こんにちは。書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。本記事は保坂和志さんの『プレーンソング』の書評記事です。弟のオススメで読むことになった、保坂和志作品としては初読書です。

 

 

内容紹介

Amazonの内容紹介より引用します。

うっかり動作を中断してしまったその瞬間の子猫の頭のカラッポがそのまま顔と何よりも真ん丸の瞳にあらわれてしまい、世界もつられてうっかり時間の流れるのを忘れてしまったようになる…。猫と競馬と、四人の若者のゆっくりと過ぎる奇妙な共同生活。冬の終わりから初夏、そして真夏の、海へ行く日まで。

最初の一文が印象的ですが、あらすじとしては四人の若者による共同生活の日々が描かれる小説です。時代は1980年代。

四人の若者による共同生活を描くということで、描かれているのは青春なのですが、はたしてこの小説を「青春小説」と称することは正しいのだろうか。どちらかというと日常小説という方が正しいかもしれません。

 

プレーンソング:無伴奏歌

本書のタイトルは「プレーンソング」。読み終わってみてなんともこれ以上にこの小説を表す言葉もないだろうなと感じます。

 

Plain Song。日本語に訳せば「平坦な歌」。辞書で調べてみたところ無伴奏の単旋律聖歌をPlain Songと呼ぶとのこと。著者が聖歌のことを意識していたかどうかはよく分かりませんが、聖歌自体とはあんまり関係ないのではないかと思います。単純に無伴奏の平坦な歌、というところの意味合いが強そうです。

 

この小説が無伴奏で平坦であるというのは、いわゆる筋らしい筋がないから。著者の保坂和志さんの書く小説はその手の作品が多いらしいですね。

 

最高です。筋のない小説大好き。大きく派手な出来ごとが起こらないからこそ純粋に文章表現を楽しむことができるし、そこに表現された狙いを味わうことができます。音楽も歌に伴走をどんどんと重ねていけば重厚な作品を作り上げることでき、もちろんその魅力も大きいですが、一方でアカペラや斉唱ならではの力強さや力もありますよね。

 

筋がないだけでなく、細かな心理描写も重視されないですし、著者はあえてプレーンにすることで表現することを意図したのでしょう。

 

何も起こらない無為で無敵の青春と、その思い出の残り方

前述の通りこの小説は特に大きな事件の起こる話ではありません。ただひたすらに主人公と周囲の友人たちとの生活や、やりとりや、猫との距離感が描かれています。

 

そういうものと過ごす時間がただ過ぎて、過ぎていく。何も起こらない小説が苦手という人もいますが、この無為に無敵な時間を過ごすことの楽しさを知っている人は実は多いのではないかと思います。青春の思い出って、そういうものなんじゃないでしょうか


主人公の周りにいる人物たちはそれぞれに一癖二癖あるので、読みながら自分の身近な人物に重ね合わせる類の描写ではないけど、それでも彼らが主人公と交わすやりとりからはどこか懐かしさを感じます。

 

青春時代にはもちろん鮮烈な出来事やその思い出もあると思います。でも「青春時代の思い出」ってそういう劇的な瞬間のことだけではないですよね。むしろ大半は、何がどう印象に残っているというわけでもないのに、全体として、雰囲気として、強く印象に残っている時間。だからこそ「青春時代」と、「時代」をつけてラベリングされているのではないでしょうか。

 

そういうばくっとした青春感がこの小説には表れているように感じます。


特に、みんなで海に浮かびながら交わす会話の描写は秀逸。いつもの通り脈絡なくあっちにいったりこっちに言ったりする話が長く続くのですが、誰が何をしゃべっているかもよく分からない。内容もとくに頭には残らない。でも、みんなで海に浮かんでずーっとしゃべってた、というところは印象に残るわけです。青春時代の思い出の残り方とその描き方としてはなかなかこれ以上の書き方はないんじゃないかと感じる表現でした。

 

80年代の若者のズレ感

そんな若者たちのしばらくの生活の様子が描かれているんだけど、主人公含め誰一人生活の素性は明らかになりません。いったいどうやって生活してるんだろうとか思いますが、はっきりとは描かれないし、描かないところに意味があるんでしょう。それを掘り下げるのはこの小説においては余計な伴奏になる訳です。

 

写真であったり、映画であったり、主人公の周囲には芸術畑っぽい人間が複数登場します。ただ、あくまで「っぽい」です。「っぽい」といいますか、片足突っ込んはいるけど、それ以上踏み込むつもりはないというような中途半端な立ち位置です。主人公の会社の同僚についても同僚ではあっても、仕事上の話は一切なくひたすらに競馬に終始します。ある程度時代を反映した若者像なんでしょう。

 

解説によるとこの小説の舞台は1986年の冬から夏にかけて、とのことです。私は1986年の6月生まれなので、ちょうど私が生まれた頃のお話です。時代背景が明確には浮かばないですが、経済的には高度経済成長もほぼ終わりかけバブルの手前、政治状況的には学生運動からは一時代経ち、でも学生運動世代が親になる世代でもありません。尾崎豊が活躍していた時代ですし、社会問題的には行き過ぎた管理教その反発としての不良なども目立った時代なのだと思いますが、本作の登場人物たちにはそういったことはあまり関係がありません。

 

社会的に色々あったとしてもこういうふわふわした人も多かったのだろうと想像します。むしろそちらの方がマジョリティだったのかもしれません。インターネットもSNSもない時代にメディアにも取り上げられないマジョリティというものはどこにも描かれないのかもしれません。社会的、経済的、政治的なふわふわ。それを「ズレ」と言ってしまうのは失礼なのかもしれませんけどね。その時代に生まれその後育った世代としては、無自覚にズレて居ることのできた時代は少しうらやましく感じたりもします。
 
同じ「何も起こらない小説」でも、私自身の感覚により近いのは、2000年前後まで時代の進んだ吉田修一の『パーク・ライフ』です。何も起こらずに過ぎていく微妙な時間が描かれることは同じですが、それでもパーク・ライフの主人公の男女はもう少し仕事が生活に溶け込んでいます。その変化が良いものなのか悪いものなのかは分からないですが、20年の変化は確かにあるのだと思います。私が働き始めたのはちょうど2010年なので、今はまたちょっと違ってきているのだとも思います。同じように若者の時代を切り取る小説を見つけたら比較しながら考えてみたいところです。

 

ながーい文章

さて、保坂和志さん、この人の文章はとても長いです。1ページが2つか3つの文章だけで構成されてるところもあります。読み始めてすぐはかなり違和感がありましたが、慣れてくるとだんだん病みつきになります。まどろっこしさが。

いくつかおもしろくて良い文章があったのですが、やはりとびきりなのは内容紹介にも引用されてこの文でしょう。

うっかり動作を中断してしまったその瞬間の子猫の頭のカラッポがそのまま顔と何よりも真ん丸の瞳にあらわれてしまい、世界もつられてうっかり時間の流れるのを忘れてしまったようになる

長さとしてはそこまで長くはないですが、すごい文ですね。なんでこんな文が書けるんでしょう。この方の小説はだいたい猫が出てくるらしいので、他の作品にも色々面白い文章がありそうで楽しみになりますね。筋や登場人物たちだけでなく、文章表現自体にも独特の面白みのある作家さんというのはまた読みたくなりますよね。

 

『プレーンソング』を読んだ方にオススメの本

最後に本書を読んだ方や興味を持った方にオススメの本をご紹介します。

 

吉田修一『パーク・ライフ』

文中でもご紹介した吉田修一の『パーク・ライフ』。吉田修一の芥川賞受賞作です。『プレーンソング』と同じく筋らしい筋のない小説ですが、時代背景が1980年代から2000年代に移り若者の描かれ方も変わっているように思います。

 

太宰治『女生徒』

若者の日常を切り取った小説として思い浮かんだのがこちらの作品。主人公である14歳の女生徒のとある一日、朝起きてから寝るまでが、主人公目線で語られる小説です。プレーンソングとは異なり一人称で思春期の内面のゆらゆらをうまく描いています。

 

有川浩『阪急電車』

『プレーンソング』はわざとらしく何かを起こすことを排除した作品ですが、一方で電車に隣り合わせるという日常の出来事から「ちょっとした奇跡」が起こることを描いていくお話。