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大の本好きに育った私に親がしてくれた5つのこと

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大の本好きに育った私に親がしてくれた5つのこと

こんにちは。読書好きが高じてついに書評ブログを始めたdaisuketです。本日は「大の本好きに育った私に親がしてくれた5つのこと」と題して、私が本好きに育ったことに良い影響を与えてくれたなと感じる親の行動や子育て方針について紹介します。

 

子育て関連の記事では良く「子どもを本好きに育てるには?」という観点の記事をよく見かけますが、実際に本好きに育った人の体験談目線の記事はあまり見かけないのではないか、ということでかつて子どもだった一人として自分の経験を振り返りながら書いてみたいと思います。

 

 

私の読書遍歴と読書の効果

まずは私が子どもの頃から現在に至るまでどのように本や読書と付き合ってきたのかをご説明します。別の記事にも書きましたが、現在の私は年間70〜90冊程度の読書をしています。100冊を目標にしつつ毎年到達せずに終わっていますので、読書好きとしてはそこまで読書量が多い方ではないかと思いますが、週に1、2冊は読むペースを維持していますので少なくはないかとも思っております。

 

今現在30歳を超える年齢となりましたが、読書自体の習慣は子どものころから持っています。最初がいつのころだったのかはもう覚えていませんが、物心付く前から本に触れながら育ってきたことは確かです。

 

幼児期:絵本の読み聞かせ

絵本がものすごくたくさんありました。後に詳しく書きますが、読み聞かせをしてもらっていたので自分で読み書きできるようになる前から本に日常的に触れていたことになります。

 

小学生:図書室で絵本、小説

小学校に入るころにはもう自分から進んで本を読む子どもになっていました。家でも読みますし、学校の図書室もよく使っていました。休み時間は友達と外で遊ぶことが多かったので、今となってはどういう頻度で図書室利用をしていたのかははっきりと覚えていませんが、私の小学校では当時借りた本の題名や時期を記入するカードがあり、記入し終えると2枚目、3枚目がもらえる、という仕組みでカードをいっぱい貰っている人は読書家として認識されていました。そして私も毎年ではないですが、特に低学年の頃は複数枚のカードを手にしていました。図書室だけで数十冊の本を毎年読んでいたことになります。お小遣いをもらう高学年になるころには図書室ではなく、自分で購入して読む本が増えていきました。『ドリトル先生物語』や『ズッコケ三人組』などのメジャーどころや、名作と呼ばれるもの、マイナーなものなど色々手にとってました。

 

中学、高校生:小説いろいろ。親の小説にも手を出すように。

小学校高学年に続いて自分でどんどんと本を買うようになりました。ほとんどが小説です。また、この頃になると、親が所有している小説も読めるようになってきたのでそちらに手を出すことも増えました。歴史が好きだったところから司馬遼太郎の小説を手にしてみたり、宮部みゆきの作品にはまって親が新刊を買ってくるのを楽しみにしたり、母がたくさん持っていた太宰治の作品も読み込みました。高校生当時自分でよく買っていたのは石田衣良のIWGPシリーズなんかですね。あとはライトノベルなんかもよく読んでました。富士見ファンタジア文庫とか角川スニーカー文庫とか。

 

大学生:小説に加えて、新書、(専攻分野の)学術書。哲学・思想にも手を出す。

大学に入ると、読書の幅は一気に広まりましたし量も増えました。これまでの小説に加えて、専攻していた社会科学系の学術書を教科書以外にも自分で買ったり借りたりして読むようになりましたし、いろいろなジャンルについて知ることのできる新書でさまざまな知見を採り入れるということにも面白さを感じていました。また、政治思想など専攻分野からの派生で哲学や思想なども本を読み、さまざまなことを考えるようになりました。さまざまなジャンルの本を読むようになると読書レベルもあがったのか、分厚い本や難しい本に対しての抵抗感も薄れるというか、自分から挑戦してみたくなるような感覚で小説についても幅が広がりました。それまであまり好んでいなかった翻訳物の海外文学にも手を出してみることが増えました。ドストエフスキー『罪と罰』に初めて手を出したのは大学2年のころだったかと。その頃はロシア人って名前長い!くらいの印象しかありませんでしたが笑

 

社会人〜現在:ノンフィクション、他分野の学術書、仕事に関連する技術書やビジネス本など。小説のジャンルも広がり何でも読むように。

某東証一部上場のネット企業に新卒入社して、忙しくなりましたが、趣味の読書は続きました。学生のころに比べると時間がないので一時期読書量自体は減りましたが、ここ数年は先にも書いた通り年間70〜90冊程度ということでそれなりの読書量を維持しています。そして読書のジャンル幅ということでは社会人になってから一気に広がり、ほとんどどんな分野の本でも楽しめるというようになったのはわりと最近のような気がしています。社会に出ていろいろなことを知って、興味を持てる範囲が広がったということもあると思いますし、子ども時代からの読書歴が積み重なって、少しずつ難易度の高い本も読めるようになってきたということもあると思います。現在では自分の専門以外の分野の学術書を読むこともありますし、仕事に関連する本を勉強用に読むこともあれば、小説についても今まで読んでいなかったジャンルに手を出そう、ということでSF小説に少しずつ手を出していたりします。

 

本好きと勉強好き

「子どもを読書好きに育てたい」という多くの記事の背景には、読書の先に「勉強が好きになって欲しい」「勉強ができるようになって欲しい」という願望もセットになっていることもあるかと思います。この点について自分で言うのもどうかとは思うのですが、いちおう参考までに私の個人的な所感を述べておきます。

読書と勉強や学力自体の相関について個人的な実感がある訳ではないですが、私個人は勉強自体は嫌いではありませんでしたし、苦に感じることも少なかったです。受験勉強などはもちろんそれなりに苦でしたが、関東の片田舎の貧乏家庭に育ち、塾などにも手厚く通っていたわけではないですが、成績はずっとよかったですし、大学も旧帝大グループの国立に進学することができました。

読書で価値観が広がりまくったおかげか、一流大学にいき一部上場企業に就職というルート自体に対する価値もまったくなくなり、30を手前にして会社を辞めベンチャーコンサルファームへの転職を経て、現在はフリーのコンサルタントとして独立しています。「頭がいい」というのは何を指すのかによって難しいので深入りしませんが、少なくとも私は「勉強が要領よくできる」タイプではありました。いわゆる認知的能力は比較的高く、勉強することや考えることが好きだからこそコンサルタントなんていう考えるのが仕事のような職業を選ぶことにもなったのだと思います。

そして、そうしたことの背景として読書による言語力や読解力の向上効果というのはそれなりにあったのだろう、というのが私個人の感覚です。さらに非認知能力に関してもたくさんの小説を読み、たくさんの人物の考えや気持ちを知る経験をしてきたことはその能力の向上にも一役買っているのでは、というのが個人的な見解です。読書と非認知能力の関連についてはまだ学術的にもはっきりとしたことはわかっていないようですが、少なくとも個人の実感としてそのように感じます。

地元の友人達と比べるといろいろずれた道を歩んでいる自覚はありますが、自分が歩んできた道を後悔したことはありませんし、こうした選択をしてこれた背景には読書で培った価値観や思考力というものがあると個人的には感じているし、読書が最も大きな影響を与えてくれたとも思っているので、本好きに育ててくれた親には感謝しています。

 

本好きに育った私に親がしてくれた5つのこと

さて、少し前置きが長くなりましたが、ここからは本好きに育った私に対して親がしてくれたことの中で、特に効果が大きかったと感じるものについてご説明していきます。

①親自身が本好きで本を読む。

まず一つ目は「親自身が本が好きで、本を読む」ということです。これが何を置いても一番大切だと考えています。

私の親は両親ともに本が好きで、子どもの本だけでなく母の本棚、父の本棚もそれぞれの部屋にありましたし、居間にもつねにたくさんの本が置かれていました。休みの日などには親が本を読んでいる姿も日常的なもので、本を読むというのは我が家では食事をするぐらい当たり前のことでした。

自分が好きでもないし読みもしないものを子どもに読ませよう、とするのはなかなか無理がありますよね。まずは親自身が本を好きであるというのは欠かせない要因だと考えます。

また、居間に本があると書きましたが、居間にある本というのはきれいに陳列されていたり、教育的に考えられた本が置いてある、ということである必要は特になく、我が家の場合、狭く雑然とした部屋の中に、親が読み終えた本や読みかけの本が雑誌や新聞と友適当に置いてあるという形でした。親が意図したわけではないでしょうが、その中には私や弟が興味を持ち勝手に読み始めるものもありました。

本好きの親の元で本好きに育つ、というのは子どもにとっても幸せなことだと私は思います。詳しくは後述する通り読み聞かせしてもらったり、本を比較的自由に買ってもらったりできたのも、親自身が本好きだというのが大きいと感じています。そしてそんな親のもとで育った私はいまでも親と会ったときには最近読んだ面白い本の話をすることが多いですし、実家に帰るたびにすでに亡くなった父の本棚の本から読みたい本を持ってくるということをしています。本を通して親との関わりがいつまでもあるというのはありがたいことだと感じています。

②毎日の読み聞かせ

幼児期の経験でも書きましたが、小さな頃は母が読み聞かせをしてくれていました。始まりがいつ頃だったのかは覚えていませんが、最後は弟が小1か小2のころまでは続いていたので私の小4か小5の頃にあたります。11歳までほとんど毎日、しかも弟と二人部屋で、私と弟がそれぞれ一冊ずつ選んだものを読んでもらっていたので毎晩2冊ですね。弟が小学校に入る前には母も家計の補助に働き始め共働き状態だったので、自分が働くようになった今考えてみると親の姿勢には頭が上がりません。

うちにはたくさんの本がありましたが、それでも絵本の数には限りがあるので本当にどの本も何度も何度も読みました。大好きな絵本もいくつかあり、大人になって一人暮らしになってから懐かしくなってわざわざ書い直して今でも手元に置いてある本もあるぐらいです。

本の楽しさ、読んでいくことの楽しさを知るという意味では、親の読み聞かせによる経験は非常に大きかったと感じています。

中には絵本を読みながら母が涙するような本もありました。子どもの私にとっては悲しい絵本であっても感動で涙を流すことはなかったのですが、それでも本を読んで感動する姿、というものを知っていたというのは大切なことだったと思います。

親の読み聞かせの習慣が終わった後も夜寝る前に、自分の好きな本を読むというのは今でも続く私と弟の大切な習慣であり、それは今でも続いています。

③漫画もOK

私と弟は本のたくさんある家で、たくさんの読み聞かせもしてもらいながら育ちましたので二人とも文字が読めるようになると自分で本を読むようにもなっていましたが、我が家の読書には本と漫画の区別はありませんでした。

物心がついてから友人と話をする中で「漫画を禁止されている」「親があまり良い顔をしない」という家が少なからずあるということを知って衝撃を受けました。漫画を読んではいけない家があるなんて!

我が家ではそのようなことは一切なく、私も弟も好きなだけ漫画を読んでいましたし、小説などの本も同じように読んでいました。私にとっては本を読むことも漫画を読むこともあまり変わらず、どちらも大好きなお話を読む楽しい時間でした。もちろん漫画の方が気楽だったり、派手でスピーディな話は多いので、漫画だけが読みたい時間もたくさんあったのですが、それを親からどうこう言われることはありませんでした。

と言うよりも、我が家では両親も漫画を嗜むのが当たり前の姿でした。1つ目に「親が本好きで本を読む」と書きましたが、より正確に言うなら「両親ともに本も漫画も好きで何でも読む」という感じでした。

居間には親の読みかけの本に混ざって漫画も置いてありました。特に両親が読んでいたビッグコミックオリジナルの雑誌は無造作に置いてあり、私も弟も小学生の頃から読んでいました。「釣りバカ日誌」のサラリーマン生活も釣りも小学生当時の私には意味が分からないし、それほど面白みを感じていた訳ではないのですが、読める漫画があれば自然と手は伸びるのです。情操教育的にどうなのかなとも思うのですが、個人的には早くから大人の世界を知ることができていたことは良かったのではないかと勝手に解釈しています。

このようにして育ったので、私は今でも漫画も本も何でも読みます。小説についても純文学も読む一方でいまだにライトノベル的な本も楽しみますし、「小説家になろう」の小説も読んだりします。楽しめるものが多いというのは人生を豊かにします。漫画も本も、素晴らしい。

④好きな本を買ってくれる

4つ目は親が「好きな本を買ってくれる」ということ。たまに親とデパートにいったり、お出かけをした際には本屋に寄るというのが我が家の習慣でした。本好きの親子にとっては本屋というのは何よりも楽しい買い物スポットです。

あまり裕福ではない、というよりどちらかというと貧乏家庭寄りだった我が家ですが、たまのお出かけの際には私と弟に好きな本に好きな本を一冊ずつ買ってくれることが多くありました。

本を買ってあげるということ自体が大切なことだと思いますが、さらにもう一つ重要だと考えているのが「好きな」本を買ってくれるということ。親がどんな本を買ってくれたか、という点も教育方針が現れるポイントのようで、友人の話を聞くと「漫画はダメ」だとか「ゲームブックはダメ」だとかいったいろいろなルールが課された上での選択肢である場合や、さらに厳しいと世界名作劇場的な「良さげな本」を親が推薦してきたり選んで買ってくるという場合もあるようです。それでは楽しくないでしょう。楽しくなければ、読みません。

3つ目の理由として「漫画もOK」と書きましたが、この買い物の際も「漫画もOK」ルールは当然適用されていたので、漫画を買うこともありました。というよりも割合としては漫画を買ってもらったことの方が多いと思います。当時単行本を集めていた『ドラゴンボール』や『ダイの大冒険』なんかを弟と分担して一冊ずつ買ってもらう、ということを繰り返してやっとの思いでそろえたりしていました。でもだからといって漫画だけだった訳ではなく、小説を選ぶことも多くありましたし、親に最初の一冊を買ってもらった作品が面白く、その後のシリーズ作品は自分のお小遣いで買うようになった作品などもいくつもありました。

親からしたら「なんでそんな本選ぶの」というような選択も時にはあったかと思いますが、子どもの興味の向くままに本と関わる機会を提供するということが大切かと思います。

⑤読んでなくても読めと言わない

最後、5つ目は本を読んでいないことがあったとしてもそれを咎めたり、本を読むことを強制したりしない、ということです。

私は小さな頃から本好きに順調に育った自覚がありますが、365日毎日ずっと本を読むことを続けてきたわけではありません。本を読まない日もありますし、それが何日も続くこともあります。気分が乗らない日や、本を読むよりもやりたいことが別にある日もたくさんあるのです。そういうときに、心配をする必要はありません。どうしても心配であれば親自身が本を楽しんでいる姿を見せたりすればいいのです。親が楽しそうにしていたらそこに気持ちが向かうこともあるかもしれません。でも、それがわざとらしかったりすれば子どもはすぐに見抜きますのでご注意を。

④で書いた通り私は親から本を買ってもらうこともありましたし、その時の本は必ず私自身が選んでいる本なのです。そんな本であったとしても、購入後読む気分にならないときもあれば、あるいは読み始めたけどあまり面白くなかったということもあります。せっかく買った本なのだから最後まで読みなさい、と言いたくなるかもしれませんが、私はそのようには言われたことはありません

誕生日になると祖母からのプレゼントで『トム・ソーヤーの冒険』だったり『15少年漂流記』といったいわゆる昔からの名作の本が贈られてきたことがありました。小学校低学年か中学年頃だったと思います。が、残念ながら当時の私にはそれらが面白そうには感じられず本を開くことさえせずに時間が過ぎていきました。買ったりもらったりした新しい本の感想は親と話すこともあったので、祖母からもらった本を私が読んでいないことはきっと親も気づいていたと思うのですが、このときも特に何も言われることはありませんでした。

放って置いてくれたからか、それらの本は数年後には興味を感じるようになり、読み込んで、いまでも私の大切な読書体験の中に記憶されています。読まないときもあるかもしれないけれど、慌てず騒がず本とともに生活をしていれば大丈夫、なのだと思います。

 

 

以上、本記事では「本好きに育った私に親がしてくれた5つのこと」と題して、私自身の子どもの頃の経験を振り返りながら、私自身が本好きに育ってきた要因として親の行動や振る舞いとして嬉しかったものや好影響を与えていたと感じるものをご紹介しました。

ご自身の子どもに本好き、読書好きに育って欲しいと感じるような方がもしいらっしゃれば参考にしていただけると幸いです。

お読みいただきありがとうございました。