本から本へつながる書評ブログ『淡青色のゴールド』

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レビュー『犯罪小説集』犯罪や事件と私たちの「普通」の生活の紙一重さ

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レビュー『犯罪小説集』犯罪や事件と私たちの「普通」の生活の紙一重さ

内容紹介

犯罪小説集 (角川文庫)

犯罪小説集 (角川文庫)

  • 作者:吉田 修一
  • 発売日: 2018/11/22
  • メディア: 文庫
 

 

吉田修一による連作短編集であり、タイトルの通り「犯罪」にまつわる5つの話からなる作品です。

  

女児の行方不明事件を扱う「青田Y字路」
主婦の痴情にまつわる「万珠姫午睡」
経営者のギャンブルから起こる「百家楽餓鬼」
過疎集落の人間関係の難しさを描く「万屋善次郎」
プロスポーツ選手の社会的成功の裏表を描く「白球白蛇伝」

 

いずれも不気味なほどのリアリティがある話なのですが、実はこの5つの犯罪、事件はすべて実際の犯罪・事件を元にして作られた作品です。ニュースなどを普段からチェックしている方であれば実際に報道されていたニュースに覚えのある話がきっと含まれているのではないかと思います。

 

ワイドショー的に事件を消費する私たち

私たちの社会では毎日たくさんの犯罪・事件が発生しています。私たちはそのことを知っています。ただ、自分の生活実感とは別物として頭の中での常識的な理解として知っている、だけであることが多いのではないでしょうか。

 

なぜなら私たちは犯罪や事件を「ニュース」として知ることがほとんどだから。実際にはその犯罪や事件には犯人も被害者も、そしてその両者の周りにもたくさんの人がいて、そうした人たちは私たちと同じように社会で生活を送っている「普通の人」です。

 

ですが、一度ニュースとして報道されると、そして特にワイドショー的な扱われ方をすると、犯罪や事件の登場人物たちはまさに「ショー」の中の人物のようであり、私たち「普通の人」とは違ったものとして捉えてしまいがちです。犯人はいかに特殊で、異常で、おかしかったのか、そうした情報をおもしろおかしく消費することで、「私は違う」「私の周りにいる人達も大丈夫だ」と安心することができるのでしょうか。そうでもしないと私たちは安心して社会生活を送ることができないのかもしれません。

 

私たちが生活を送る「社会」とは不思議なもので、自分が直接知りはしない誰かと間接的な協力関係がつながることで、協力関係を信じられることで成り立っています。例えば青信号になっているのであれば車が突っ込んでくる心配をしないで道路を渡れるのが普通ですし、手紙をポストに出せばどこかの知らない誰かがしっかりと届けてくれます。知らない誰かも自分と同じような常識的な人間であり、同じような感覚を持って同じように行動していることを期待できる。そうして私たちの社会は成り立っています。

 

犯罪や事件というのはそうした「社会的に常識的な行動からの逸脱」が起こっているものといえます。だからこそ、そうした犯罪や事件を起こしたのは常識的な私たちとは違う、特殊な事例であったのだと、理由付けをすることで初めて安心して社会生活に戻れるのかもしれません。

 

でも、本当にそうなのでしょうか。犯罪や事件を起こすのは本当に私たちとは異なる普通ではない人なのでしょうか。

 

そうではない可能性があるということを、そして、その可能性がずっと大きいであろうことや、しかも実は私たちがその可能性に気づいているということをこの作品を読み進めていくことで強く感じます。

 

本作品の5つの犯罪・事件に関わるのはいずれも普通の人であり、普通の生活を送っています。そうした人たちが犯罪に踏み出していく一歩には極端な一歩というのはなく、誰しもが共感や理解をしうるものとして読めてしまい、だからこそ、読後にはざわっとした独特の不気味さややりきれなさが残ります。私たちが生活する社会を構成する普通の人とはんなんだろうか、と。

 

平成の日本を映す社会派小説

この小説を読みながら頭に浮かんだのは松本清張の作品でした。いわずと知れた昭和の大作家であり、社会派推理小説という分野を確立した方でもあります。それまでの推理小説が斬新なトリックを競うことだけに躍起になっていて、なぜその犯罪を犯すのかという動機や背景についての深堀りがなされていないことを指摘し、事件を起こす人の動機を重視し、動機を描くことで戦後日本社会の歪みを描き出すことに挑戦してきた方です。

 

社会を描くのに犯罪や事件をテーマとするのはなぜかというと、事件や犯罪というものが時代に翻弄された個人の感情や行動の極端な一面が垣間見える瞬間であると松本清張氏が考えていたからです。同じく犯罪や事件を題材としたこの『犯罪小説集』もやはり個人の感情や行動の極端な一面を描くことで、その極端さは誰しもが持ちうるものであり、社会的なものであることをあぶり出そうとしているように感じました。松本清張の作品が戦後の、昭和日本の社会を描いたものだとすれば、この『犯罪小説集』は平成日本の社会派小説と言えるのかもしれません。

 

松本清張の作品は推理小説であり、推理の課程でやむにやまれぬ個人のやりきれなさが描かれていくのですが、一方で本作品は推理小説ではありませんので動機や背景を丁寧に暴き、描くようなオチはありません。いずれの作品のラストも独特の終わり方で、私たちの日常生活への連続性を感じざるを得ません。事件が発覚し、報道されたとしても、そこで何かが終わるわけではなく、私たちの生活は続いていきます。そのとき私たちは何を感じ、どのように行動していくのでしょうか。

 

平成を過ぎ、令和に変わった日本社会。昨今はコロナの影響でまさに「非日常」となってしまっていますが、私たちが取り戻したい日常には楽しさだけでなく、辛かったり、疲れていたり、魔が差したり、哀しかったりといった色んな感情とともになりなっているし、事件や犯罪というのもそういうありきたりな感情の中から出てくるものでしかないかもしれません。

 

まとめと本作品を読んだ方・関心を持った方へのオススメの本

以上、本記事では吉田修一氏による『犯罪小説集』の感想をご紹介しました。
最後に、本作品を読んだ方、あるいは関心を持った方にオススメできる別の本をいくつかご紹介いたします。

 

吉田修一『パレード』 

パレード (幻冬舎文庫)

パレード (幻冬舎文庫)

  • 作者:吉田 修一
  • 発売日: 2004/04/01
  • メディア: 文庫
 

同じく吉田修一の作品。『犯罪小説集』は犯罪・事件というモチーフを使って「普通の生活」とそうでないところの境界線をあぶり出す作品でしたが、『パレード』はもう少し個人の内面に立ち入ります。男女4人の共同生活を描きながら「みんなに見せる自分」と「本当の自分」の境界について考えさせる作品。犯罪や事件という本作で言う極端な感情や行動の発露がないままに進行していくことでより一層私たちが生活の中で感じる不安感のようなものが表現されています。ラストが衝撃的。

 

吉田修一『横道世之介』

横道世之介 (文春文庫)

横道世之介 (文春文庫)

  • 作者:吉田 修一
  • 発売日: 2012/11/09
  • メディア: 文庫
 

 もう一つ吉田修一作品から。吉田修一の作品では本作『犯罪小説集』に限らず、映画化されている『怒り』『悪人』なども含めて犯罪や事件が描かれることも多いのですが、それらの作品とはガラッと世界観の異なる作品。横道世之介という不思議な魅力を持った主人公と、彼らと触れ合う周囲の人間関係が描かれていきます。こんな人物いないだろう、と思いつつも世之介の不思議な魅力に引き込まれ、そして自分の友人に会いたくなる、そんな作品です。

 

松本清張『ゼロの焦点』 

ゼロの焦点 (新潮文庫)

ゼロの焦点 (新潮文庫)

 

 書評中でも少し触れましたが、私は『犯罪小説集』を読む中で松本清張の社会派推理小説を連想しました。たくさん作品はあるのですが、『ゼロの焦点』をご紹介します。不思議な事件の背景が少しずつ明らかにされていく中で、犯人や被害者、彼らを取り巻く一人一人の感情や想いにつまされる作品です。

 

山本周五郎『五瓣の椿』

五瓣の椿 (新潮文庫)

五瓣の椿 (新潮文庫)

 

 時代小説からも一作紹介します。山本周五郎の『五瓣の椿』。周五郎としては珍しいミステリー調の作品です。復讐・仇討ちがテーマという作品は時代小説としては珍しくはないテーマですが、法や倫理のあり方を社会に問うような書きぶりもあり、犯罪や事件の背景にある辛さや悲しさを感じる点で本作『犯罪小説集』とも通じる部分があるように感じました。

 

山本譲司『累犯障害者』

累犯障害者 (新潮文庫)

累犯障害者 (新潮文庫)

 

 ノンフィクションからも一冊。『犯罪小説集』は普通の人による普通の生活との境界な曖昧さを表現される作品でしたが、一方の本作は障害者による犯罪がテーマです。しばしば普通の私たちとは違う人として扱われがちな、しかも罪を重ねてしまう障害者やその事件への取材を通して、障害者福祉という専門分野としてだけではなく私たちの社会が考えるべきことを問う作品です。