本から本へつながる書評ブログ『淡青色のゴールド』

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書評『阿房列車―内田百閒集成〈1〉』行けども、行く。ただただ行く。列車旅の魅力。

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書評『阿房列車―内田百閒集成〈1〉』行けども、行く。ただただ行く。列車旅の魅力。

こんにちは。書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。本記事は内田百閒の『阿房列車』の書評記事です。内田百閒の作品を読むのはこの作品が初めてでした。 実家に帰った際に私以上に読書好きの弟の本棚から借りてきて読んだ本です。

 

 

内容紹介

『内田百閒集成』とは

ちくま文庫から出版されている本書は、内田百閒の作品を集めた集成(全集ではない)で全部で24冊からなるシリーズの最初の一冊です。24冊それぞれには色々な作品が収められていますので、お好きなところから読んで大丈夫なのですが、やはりシリーズ最初の一冊ということで内田百閒を読むなら抑えておきたい一冊です。

ちくま文庫の『内田百けん集成』は内田百閒作品を新字仮名遣いで編集し直した作品集というコンセプトです。過去に出ている他の全集などは旧仮名遣いのものが多くなっているため、非常に読みやすく内田百閒の世界観に浸ることができるシリーズです。

阿房列車シリーズ全3巻からの抜粋

『阿房列車』という作品は、内田百閒が1950年から5年間に渡って執筆したシリーズ物の作品で、新潮文庫から『第一阿房列車』から『第三阿房列車』まで出版されています。ちくま文庫から出版されている本書は集成シリーズ化する最初の一冊を『阿房列車』として刊行するために、全3巻から抜粋して収められているものです。内容については詳しくは後ほど解説しますが、列車旅を題材にした紀行文です。ただ、純粋なエッセイ(随筆)というよりは小説に近い作品でもあります。

どれから読むべきか?

内田百閒の色々な作品を味わってみたいという方は、本書から初めてそのまま集成シリーズを2巻、3巻と読み進めていくことがオススメです。

そうではなく、あくまで『阿房列車』を読みたい、楽しみたいんだ!と最初から目的がはっきりしている方は最初から新潮文庫版を手にするのがオススメです。分量でいうとちくま文庫版は阿房列車シリーズ全体の4割程度の抜粋のようです。

 

夏目漱石の門下生

内田百閒を初めて読むという方のために少し著者についても触れておきます。1889年生まれで1971年没の小説家・随筆家でユーモアをまじえた作風が特徴的です。作家としては東京大学在学中に夏目漱石の門下生となったことからそのキャリアがスタートしています。

夏目漱石は徒弟制度のような形で指導・育成を行った訳ではありませんが、教員時代の教え子や近しい若手文筆家、文化人などが集ってさまざまな議論を行っていた会(木曜に開催されていたため木曜会と呼ばれます)を開いており、そこに集っていた面々を中心として漱石門下生とされることがあります。(漱石門下生の定義もいろいろですが)

例えば以下のような方が門下生として名を連ねています。

小宮豊隆・鈴木三重吉・森田草平・赤木桁平・阿部次郎・安倍能成・岩波茂雄・内田百閒・寺田寅彦・野上豊一郎・松根東洋城・中勘助・江口渙・和辻哲郎、滝田樗陰・芥川龍之・久米正雄・松岡譲

小説家だけでなく、文化人や学者も名を連ねているところが面白いですね。彼らは同じ場を共有することで一種の漱石文化のようなものを共有していたとも言われていますので、そのような観点から読み比べをしてみるのも面白いかもしれません。

紀行文の極地阿房列車

さて、阿房列車の内容についれも触れていきましょう。タイトルの通り、列車にまつわるお話です。いわゆる紀行文といえます。紀行文といえば文学における一大ジャンルです。旅行記だとか道中記とも言ったりしますが要は、旅行の道中で何々があったよだとか、どこそこではあれを見たよ、これを食べたよなどといった、旅行中の体験を記す文学です。

個人的にこの紀行文というジャンルが面白いと感じる点は、ただ単純に個人の"日記の旅行編"といった枠だけにはおさまりきらない色々な試みがなされているところです。旅行にまつわるという点のみでカテゴライズされるという側面が強いこのジャンルには、小説でもないし随筆でもないといったような型にはまらない独特な作品が多いように感じるのです。

例えば、「男もすなる日記といふものを女もしてみんとてするなり」という超有名な一文から始まる『土佐日記』。この作品こそ我が国最初の紀行文なのですが、最初の作品からして女性の立場になって書いてみるという冒険をしているジャンルですので、もう伝統的なものなのかもしれません。

阿房列車とは?

「縛り」が旅の魅力を高めるということで、そんな我が国の偉大な紀行文の歴史に堂々と立ち並ぶこの『阿房列車』も、なかなかに強烈なユニークさを持っています。阿房列車とは、単なる列車旅のことではありません。厳格なルールがあります。それは「用事もなく列車に乗って出かける」ということ。行き先に何かを求めたり、誰かと会ったり、物を食べたり、というような一般的に旅行の目的とされるものは阿房列車においては重要視されません。重要視されないというよりもむしろ、積極的に回避を図るほど。何しろ、帰り道には「家に帰り着く」という目的が発生してしまうので厳密には阿房列車と呼べるのは行きの道だけ、という徹底ぶりです。

変わった旅行だな、とは思いますが、旅に一風変わった「縛り」のルールを設定すること自体は特に珍しいことではないのも確かです。例えばヒッチハイクによる旅行や青春18切符を使った電車旅なんかは移動手段に縛りを入れた旅の定番ですし、田舎に泊まろう的な地元の人との交流や文化体験を重視する旅行もあります。旅先で必ずジョギングをするというルールを持っていたり、どこかに行く度に決まって買うものを決めていたり、などなど。このように何かしら旅にまつわる個人ルールを持っている人は多いのではないでしょうか。

そして「移動そのものを目的に」するという旅行の捉え方は個人的にはとても共感します。私自身が大学時代には何度か一人で車旅行をしました。オンボロのワゴンRで最長半月ぐらい走り回る旅です。それほど車自体がが好きな訳でも、車に詳しいわけでもなくて、ただひたすら運転していることが好きで1日10時間ぐらいも運転し続ける旅行を繰り返していました。移動の行程そのものにこそ意味を求めるというのは、ある意味では旅行の極地とも言えるのではないでしょうか

内田百閒氏の場合は、その手段が列車なのでしょう。列車で移動するというただそれだけのことをこれだけ語れる(何しろ列車旅の紀行文なのに美しい風景の描写などはほとんどないのです)のは百閒先生にしかできない芸当だと思いますが、その背景にあるのはもうただ単純に列車が好きで好きでたまらないという強烈な愛情に尽きるのだと思います。

 "阿房"という大人の余裕

さて、そんな愚直な列車旅の自称は『阿房列車』。愚直というか「阿房」だそう。列車移動のみを目的とする一途さをもって「阿房」と言っているのですが、それ以外にも色々と「阿房」を演出する大人の余裕によって構成されているのが本書の魅力です。

大人の余裕というととても良い言い方ですが、有り体に言ってしまえば全体にまどろっこしいのです。まずすごいのは、出発しないこと。移動のみを目的とした列車旅なのに、全然出発しないのです。切符の手配に始まり、切符を購入するためのお金の無心やら、列車に乗る前の食事を気にしてみたり、見送りに来ただれそれとのやりとりであったりといったことが、つらつらと書き連ねられていき、出発までもだいぶ長い道のりです。

毎回の旅程には、同行者ヒマラヤ山系君がいるのですが、彼との会話がまた中身がないというかはりあいがないというか。それもまた本書の大きな魅力の一つなのですが、百閒先生が何をいっても「はあ」と返すだけの退屈な会話なのに、妙に面白いのです。

そして、なんといっても洗練された周りくどい言い回しの一文一文が本書最大のまどろっこしさです。少し引用してみると、

一人になって大分長い間ぼんやりしていた。さて一服して考えてみると、私はまだ起きてから顔を洗っていない。何十年来同じ顔を洗っているけれど、別に綺麗にもならず段々古くなった計りである。無駄かもしれないが、今日突然羇旅の鹿児島でその習慣を廃すれば心的衝動の因となる恐れがある。だからタオルを持って洗面所へいった。

洗面所へ顔を洗いに行くための描写がこれです。この無駄無駄しい文章の引きこむ力は半端ありません。

何を買おうとしているかと云えば、白雪糕のお菓子である。私は白雪糕が好きで、塩釜では名物だそうだから、買っていこうと思い立った。そう思った時は塩釜がこんなに雨が降っているとは知らなかったのだから、是非買わなければならないわけもないし、その為に山形や盛岡のおみやげの包みがびしょ濡れになってしまう。よせばいいと思うけれど、雨が降っていないならよしてもいいが、雨が降ってこんなに困っている今となっては、よすわけには行かない。やけ気味で、無闇にトラックの通る街をうろついて、二人とも川から上がった様な雫を引きながら、やっとそのお菓子屋へ這入った。

雨が振っていればこんな調子。気を抜いていると意味のないトートロジーのようにも感じてしまいかねないあやうい、でも計算されつくした回りくどさがあります。真似しようと思ってもできません。このまどろっこしい雰囲気が好きになれるかどうかが本書の楽しみの分岐点といえます。私は憧れるくらいに好きでしたが、おそらく苦手な人もいらっしゃるでしょう。 あなたはどうでしょうか。

列車のいま・むかし

周りくどい文章で進んでいくお話の主眼はやはり列車です。淡々とローテンションで書き進めながら、ふとした瞬間に切り取る景色の描写が目に浮かぶほどの力を持っていてハッとすることもあります(風景描写自体が中心なわけではないですが)。車窓から見る景色の感慨深さというものは、時代が進み見える景色が移り変わっていても、大きくは変わらない列車旅の醍醐味の一つでしょう。

一方で、いまの列車しか知らない私にはなかなか想像の難しい昔の列車ならではの姿にも興味を覚えました。例えば、一等、二等、三等という客室の区別。今でもグリーン車なんかはありますけど、今のものとは席はもちろんのこと、乗客の様子なんかもだいぶ違っていたのだろうなと思います。

夜行列車での旅も何度か登場します。最近日本では寝台列車がどんどんと少なくなって寂しいですよね。阿房列車の時代は今よりもっともっと夜行列車が多かった時代です。どんな姿で、どんな人たちが乗っていたんでしょう。

トンネルや山道を走るために、汽車と電車の車両の付け替えが行われるだとか、昔の汽車には電灯がなかったからトンネルの手前の駅で駅員さんが屋根に登って頭の上にどしどし足音をさせて歩きながら、石油ランプを天井から差し込んだだとか、今はもうなくなってしまった電車内の姿もあり、いろいろと想像しながら読むのが楽しかったです。

まとめ

現代の電車旅とはいろいろ勝手が違うだろうなとは思いますが、それでも共感できる電車旅の魅力というか、雰囲気というかはあるんですよね。なかなか旅行にも行きにくい昨今ではありますが、本書を読みながらゆったりと移動することを楽しむ旅行に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

『阿房列車』を読んだ方にオススメの本

最後に本書を読んだ方や興味を持った方にオススメの本をご紹介します。

吉田修一『空の冒険』

列車ではなく「空の旅」を題材にした吉田修一によるエッセイ集。『阿房列車』が書かれた際には存在しなかった飛行機による旅が一般化したことにより私たちは新たにどんな楽しみを得ることができるのでしょうか。海外旅行に行きたくなるエッセイです。

沢木耕太郎『深夜特急』

鉄道文学といえばこの作品を思い浮かべる人も多いのではないかという有名作品。旅行好きの友人にはこの作品を読んで旅に出ることに憧れたという人が何人もいます。遙かなるユーラシアの旅へ。 

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

言わずとしれた宮沢賢治の有名作品。「列車」という乗り物は私たちを空想の世界の旅へも連れて行ってくれます。  

 

最後までお読みいただきありがとうございました。