淡青色のゴールド

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書評『彦左衛門外記』歴史の虚構性を暴く「まじめにいいかげん」な周五郎の異色作

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書評『彦左衛門外記』歴史の虚構性を暴く「まじめにいいかげん」な周五郎の異色作

こんにちは。書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。本記事は山本周五郎の『彦左衛門外記』の書評記事です。山本周五郎作品の中でもとびきりの異色作でありながら、だからこそ作家としての周五郎の”本音”が埋め込まれていると感じる作品です。

 

 

読んだきっかけと周五郎作品の読む順番

表紙の写真

周五郎の作品はほとんどすべて読んでいるのできっかけと言う程のきっかけがある訳ではないのですが、本書はとある年の年末に読んだことをよく覚えています。年末に読むものって選ぶの毎回迷うんですよね。なんとなく年明けには新年1冊目として切り良く始めたいという気持ちがあるので、年末は残りの日数を考えて年内に読み終わりそうなものを選びたくなります。当時周五郎作品の積読もたくさんあったのですが、手元にある中ではこの『彦左衛門外記』一番薄くてちょうど良いかなと思い選んだのでした。本作は短めの長編作であり、すぐに読めてしまう分量です。あらすじを読んだ感じ滑稽物のようで気軽に読めそうだったということも年末までに気軽に読み終えたいその時の私にぴったりでした。実際には面白すぎてあっと言う間に読んでしまい、もう一冊別の本を年末用として選ぶことになったのですが。 

周五郎作品は非常に数が多いので何から手にするか迷ってしまう方のために少しお伝えしておくと、周五郎作品の選び方としては「①長編作品を読むか、短編集を読むか」「②真面目な作品を読むか、滑稽物を読むか」あたりを意識しながら選ぶと良いかと思います。他にもいくつか軸はありますが、そこまで読む順序にこだわる必要はないと思いますので。

内容紹介:数ある山本周五郎作品の中でもとびきりの異色作

さて、という訳で内容というよりは本の厚さから選んだ本書でしたが、周五郎作品の中でも非常に特徴的な作品でした。私の手元にある版(昭和57年発行の四刷)の裏表紙のあらすじを引用します。

身分のちがいを理由に大名の姫から絶縁された旗本、五橋数馬は奇抜な方法で出世を試みる。失意のうちに市井に隠棲していた大伯父の大久保彦左衛門をおだてあげ、戦記を捏造し、なき家康のお墨付きを偽造して添加のご意見番にしたてあげてしまう。それを侍侠客、水野十郎左衛門たちが担ぎあげたために、大騒動がもちあがる。諷刺と虚構を存分に駆使した奇想天外、抱腹絶倒の異色作。

裏表紙

裏表紙のあらすじ

「奇想天外、抱腹絶倒の異色作」なんてなかなか特徴的な煽り文句ですよね。このあらすじを見て滑稽物なのだろうなと思って読み始めました。『樅ノ木は残った』や『虚空遍歴』『ながい坂』など有名な長編作では人の生きる姿勢を問いかけるような真面目な作品が多い山本周五郎ですが、実は短中編の中には風刺の効いた作品や笑えるような作品もかなり多いのです。本作は長編に分類されるとは思いますが、周五郎の他の長編に比べると短めであり、その短さからも重厚なテーマよりは面白みを強めた作品なのだろう、と。そのように読む前からだいぶ構えてはいたのですが、予想を超えたとびきりの異色作でした。

解説でも指摘がありました。(解説は奥野建男さん)

たぶん『彦左衛門外記』に接した多くの山本周五郎ファンは、おやっとはじめ思われたに違いない。これは自分が愛読し、なれ親しんで来た、いつもの山本周五郎とは違うと。

まさにその通りの感想でした。周五郎作品を読んでる人ほど感じるであろう違和感。ファンや世間のイメージを完全にぶち壊しにいく姿勢を感じます。イメージを逆手に取るような挑戦的とも言えるような作品を書く小説家はたまにいらしゃいますが、ファンの間でも評価が分かれたりする作品が多いですよね。本作もAmazonや他のレビューサイトなどの感想を眺めていると「作者は遊びすぎ」というような感想も見られる作品でした。

ただ、私はそのような挑戦的な作品が好きなことが多いです。醸成されたイメージを逆手に取ったり、挑戦したりする試みには作家の本音が表れるのではないかと感じるからです。この作品も違和感ありつつも楽しすぎて一気に読んでしまいましたし、異色な挑戦作に込めた作者の狙いを色々と考えを巡らすことができて楽しい作品でした。

本作を異色作足らしめている要素はいくつかあるのですが、大きな仕掛けは2つです。順に解説します。 

歴史の虚構性の指摘

まず一つ目が「歴史の虚構性の指摘」 です。本作のタイトル『彦左衛門外記』の彦左衛門とは大久保彦左衛門のこと。「天下のご意見番」というフレーズを聞いたことのある方もいらっしゃるかと思いますが、大久保彦左衛門その人が元ネタです。

徳川家康の直臣として仕えた旗本。戦国の徳川の歴戦で奮戦、勲功を上げた武将であり、一介の旗本武士にすぎないながら、家康からの信頼も篤く、生まれながらの将軍・3代家光にもしばしば意見をした、

という伝説的な人物です。

本作の主人公は彦左衛門の甥の数馬。一目惚れをした大名の娘・ちづか姫につりあう身分を目指すため立身出世を試みることにした彼は、戦国武士の生き残りであった伯父の彦左衛門に目をつけ、彼の歴戦獅子奮迅の戦記を捏造し、「天下のご意見番」としての家康のお墨付きを偽造するという手段を実行します。ちづか姫との結婚のためのみに実行した方策だったが、いつのまにか周囲を巻き込んだ大事になり、、、というのが大筋。すでにご紹介したあらすじにもある通りですね。

ただこれ、大筋というか、もう本当にそれだけのお話です。このドタバタした話の中で天下のご意見番という伝説的なエピソードを持つ人物は、どのようにして作り上げられたのかということを、相当に無茶苦茶なばかばかしいエピソードで暴露しにかかります。伝説的な人物は実はつまらない人間であったし、つまらない思いつきから簡単にできあがってしまうものである、と。 

何が真実かではなく、真実だと思いたいものに傾いてしまうこれは世の常人の常なのであって、当時の社会に対しての皮肉、風刺としての意味もあったのでしょう。そして同時に感じるのは、人生をいかに生きるべきかというような重厚なテーマを扱う作家として見られがちになっていた当時の世間が抱く周五郎イメージに対する皮肉という意味もあったのではないかということです。そのような視点で読んでみるとまた一層本作の面白みが増します。 

物語への侵入

歴史エピソードのトリックをあばく、という大胆なテーマを持つ本作品ですが、もう一つの仕掛けがあります。それは、作品内への作者の登場、です。

同じ歴史小説・時代小説家だと司馬遼太郎作品には作中に作者が登場することが有名ですね。タクシーの運転手とこんな会話をした、というような小説の舞台となっている場所を訪れた時の作者本人のエピソードを紀行文的に語るような形式です。

本作品における周五郎本人の登場はそれとは趣が異なります。一人の登場人物として物語の中に侵入し、登場人物たちと会話するのです。小説を書き進めていくための取材といった雰囲気でインタビューともつかないような会話やモノローグをしていきます。面白いのは、登場人物とのやりとりに腹を立てその登場人物の存在を消してやろうか、というような物騒なメタ発言まで飛び出すところ。ここまでのメタ的な描写は他の周五郎作品では見たことがありません。

こうしたメタな仕掛けの意図はなんでしょうか。それは、この作品は先に指摘した通り大久保彦左衛門という伝説的人物の虚構性をあばく作品でありながら、そのあばきの物語自身すらも物語である以上根本的に虚構であらざるを得ないという告白です。虚構であるということについての二段構えの暴露。ここまでギミック的な作品は周五郎作品の特に後期では珍しく、異色作と呼ばれる所以です。

江戸初期のカオスを表すいいかげんな登場人物たち

仕掛けの面白い小説ですが、登場人物たちもなかなか魅力的です。良い意味で雑な感じがして。雑というかいいかげんというか。だいたい立身出世の方策がお墨付き(公文書)偽造というあたりからしてかっこいい物語ではないし、ちづか姫との恋も、敵の陰謀も、どれもまじめになりきろうとしないのです。なんて適当な小説なんだ!と指摘することもできるでしょうが、むしろ時代背景を表すにはとてもよい方法なのではないかと考えます。

江戸時代も中後期になると文化的にも洗練されていきますが、江戸初期はまだまだ戦国の粗野で乱雑な雰囲気を引きずっているのですよね。徳川治世もまだ基盤ができあがっていないから町民の日々の暮らしも落ち着いていないし、にも関わらず太平的雰囲気はなんとなく醸成され始めている。武士は職業的アイデンティを失いつつあり不安の向け先を探しあぐねている、といった感じで社会全体になんとも言えないカオスがあったのだと思います。カオスだからこそ伝説的エピソードの入り込む余地もたくさんあったのだろうし、人々のカオスを表すにはこのぐらいいいかげんな登場人物たちが調度良いのだろうと思います。

まとめ

といううことで、だいぶぶっ飛んだ面白い小説でした。周五郎ファンはぜひ読むべし、です。周五郎をまだ読んだことない人は、この一冊だけ読んでももちろん面白いのですが、十分に楽しむためには"真面目な周五郎"を一冊でも二冊でも読んでからこの本を手にしたほうが良いでしょう。

 

『彦左衛門外記』を読んだ方にオススメの本

山本周五郎『虚空遍歴』

真面目な山本周五郎作品の中で私が特にオススメするのはこの『虚空遍歴』です。山本周五郎の三大長編にも数えられる作品で、人生を通して何を為そうとするか、そのためにどう生きるかという周五郎作品の重要テーマを非常に重厚に描いている作品です。書評も書いておりますので良ければご覧ください。

 

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フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』

少し視点を変えて、「歴史の虚構性」というものを実際の歴史の中でどのように意識すべきかという観点からオススメの本がこちらの『21世紀の貨幣論』。貨幣の歴史について一般に信じられている通説が「実際には存在しない虚構だ」と指摘するところから始まります。物々交換から徐々に規模が発展する中で利便性を高めるためのツールとして登場したという貨幣の歴史に疑問を投げかけます。当たり前のように捉えられている社会システムの歴史ですら誤解や間違いが入り込んでいるとしたら、歴史上の人物一人ひとりの解釈はどこまで正しいのだろうかと、そんなことを考えながら楽しむこともできると思います。