淡青色のゴールド

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書評『推し、燃ゆ』で考えるNPOの応援することと応援されることの意味。

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書評『推し、燃ゆ』で考えるNPOの応援することと応援されることの意味。

こんにちは。書評ブログ「淡青色のゴールド」へようこそ。本記事は宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』の書評記事です。かなり話題になった本で、すでにプロの書評もたくさん出ている本です。通り一遍の書評は今更不要かと思いますので、ちょっと変わった切り口で、普段私が仕事で関わっているNPOセクターについて本作を元に考えてみたいと思います。

 

 

内容紹介

本作は宇佐見りんさんのデビュー第2作です。第164回芥川賞受賞作なのですが、デビューまもなくの受賞であり綿矢りささん、金原ひとみさんに次ぐ歴代三番目の若さでの受賞であることや、デビュー作である『かか』で第56回文藝賞、史上最年少で第33回三島由紀夫賞を受賞していること、そしてなによりそのタイトルのインパクトの強さもあり、多くの人の話題に登った作品です。

「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい」

という書き出しの一文の強力さは、数ある書き出しが有名な名作にもひけを取りません。アイドルを「推す」ファンの心理や「炎上」という題材も合わせて、今の時代の切り口を鮮やかに見せてくれる作品です。

Amazonの内容紹介から引用します。

推しが炎上した。ままならない人生を引きずり、祈るように推しを推す。そんなある日、推しがファンを殴った。

推し活・応援消費・ファンマーケティングとNPO

主人公は自分が応援するアイドルを「推す」ことを中心に生活をしています。アイドル等を応援する態度やその活動は一般に「推し活」と呼ばれます。また、近いところでは「オタ(ヲタ)活」と呼ばれる場合もあります。こちらの場合、アイドルや音楽アーティストなどだけではなく、アニメやゲームなどのコンテンツもその対象として含む広い言葉として使われているように感じます。どちらも新しい言葉ですし、実態の多様化や変動が大きく、固定化された定義はまだないかもしれません。ただ、それでも若者の中では趣味や友人との会話の中で当たり前に浸透した概念となっており、2020年に株式会社ジャストシステムが実施したインターネット調査によると

  • 「推し活」の認知度は48.3%(全年代平均)
  • 実際に「推し活をしている」人は20.7%で、年代別に見てみると、10代(37.7%)、20代(26.3%)、30代(13.1%)、40代(8.5%)

という結果が出ています。(詳しくは以下記事をご確認ください)

marketing-rc.com

こうした潮流はオタク的な分野だけに限った話ではありません。何かを応援するという消費の仕方(応援消費)自体が注目を集めるようになってきています。例えばクラウドファンディングも応援消費の一つの形であると言われることが多くあります。製品やサービス自体の特徴や新奇性などが注目されることももちろんありますが、クラウドファンディングにおいてはプロジェクトの実行者がその製品やサービスの立ち上げにかける想いやそれを応援する周囲のお祭り的な盛り上がりなども含めて”応援されるに値する”物語やストーリーが重要だと言われます。クラウドファンディングについてはNPO等の非営利セクターでも資金調達や支援者獲得のための施策として一般的になってきていますし、特に非営利型のプロジェクトにおいては返礼品を用意しない「寄付型」と呼ばれる形式でクラウドファンディングが実施されることも多く、応援によるストーリーの消費という観点はNPOセクターの方には分かりやすいのではないでしょうか。

応援することを含めてストーリーや体験が消費者に重視されるようになってくる中で企業の側も単純な製品やサービス自体のスペック的な価値だけではなく、ブランドイメージや消費にまつわるストーリー全体を含めて選んでもらい長く関係を続けていける「ファン」になってもらうためにファンマーケティングという言葉が使われることも増えてきています。NPOの資金調達を指すファンドレイジングにおいても、寄付者や会員を単に資金的な意味合いだけで捉えるのではなく組織が掲げるビジョンをともに実現する仲間として捉えていくためにファンドレイジングは単なる集金活動ではなくファン集めの活動であるという捉え方をする組織、担当者の方も増えています(私自身もファンドレイジングのコンサルティングや研修を実施する際にはこの文脈でのコミュニケーション施策の検討の重要性をお伝えするようにしています)

さて、少し前置きが長くなりましたが、NPOに関わる人に考えていただきたいのは、寄付者などの支援者がNPOを応援するファンと呼べる存在であり、寄付者の側も寄付という応援消費行為に価値を感じているとして、その価値の感じ方・団体(や団体が掲げるビジョン)との関係は本来団体が求めていた態度とどれくらい近しいものだろうかということです。

もっと突っ込んで言えば、NPO側としてはビジョンや事業・活動内容に共感し、一緒に社会課題の解決に懸命になってくれる仲間だと捉えていたり、徐々にそのような気持ちを高めて欲しいと願っていたとして、寄付者の側はそこまで求められるつもりで応援をしているのではないのではないか、寄付者とNPO側・スタッフ側との間には応援する側とされる側の埋められない壁があるのではないか、ということです。

例えば本作の主人公は「推しは私の背骨」と表現し、応援の対象であるアイドルを推すことが生きることの中心であると述べますし、推しの言葉や行動のすべてを解釈することを自らに課していますが、推しとの間に距離感があることにも意味があり、だからこそ安らぎや満ち足りた感覚があるといいます。

少し引用します。

携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。

アイドルを推すこととNPOを応援することを同列に語ること自体がナンセンスだと言われてしまえばそれまでなのですが、応援をするという態度として共通する要素もあると私は感じています。特に世界的に活動する大手国際NGOではなく、日本の中小のNPOをあえて選んでマンスリーサポーターとして支援する人の中には、団体を応援するという意識を強く持っている方も少なくありません。

応援する側と応援される側の間に壁や意識の違いがある事自体は考え方によっては当たり前のこととも言えますが、だとしたらそのことを認識した上で、応援者である寄付者に対してどのようなコミュニケーションを取っていくことが必要なのかを考えてみることも有意義なことではないでしょうか。

(団体に対してではなく「受益者」に対しての共感を求めて寄付者への訴求を行っている場合には、さらに応援する側とされる側の壁をどのように捉え、コミュニケーションを設計していくべきかを考える必要があるのではないかとも思います)

また、本作の主人公の視点には推しと”あたし”という二者間の関係をファンである主人公側の目線からのみ描いていますが、俯瞰してこの関係を見ればそこには偶像であるアイドルを作り出している「運営」が存在し、そうした人たちが推し活消費による利益を受け取っています。この関係はNPOのファンドレイジングにおいてはどのように考えるのが良いでしょうか。

社会課題解決に打ち込むNPOスタッフの精神性と推し活の共通点

ここまでは「推し活」とNPOの寄付者の共通性とNPOが考えるべきことについて述べてきましたが、次は少し視点を変えてNPOで働くスタッフについても考えてみたいと思います。『推し、燃ゆ』に表現される推しを推す態度には、NPO等の非営利組織で働く人材と共通する精神性があるのではないか、ということです。

『推し、燃ゆ』から一節を引用します。

体力やお金や時間、自分の持つものを切り捨てて何かに打ち込む。そのことが、自分自身を浄化するような気がすることがある。つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。

主人公は推しを推すためにアルバイトをし、その資金をすべて推し活に投じますし、推すことを中心とした生活は通常の社会生活とのズレも生じさせてきます。NPO等で働く人材が本作の主人公程に社会生活からズレているというつもりはまったくありませんが、”体力やお金や時間を切り捨てて打ち込む”という姿勢やそのことを通じて”自分自身を浄化する”という精神性にはNPOスタッフと共通する要素もあるのではないでしょうか。

日本に限らずですが、NPOを始めとした非営利セクターには高学歴で優秀な人材が多く集まっています。大企業から転職をしてくる人も少なくありませんが、特に日本においては非営利セクターの給与水準は非常に低い状態です。高学歴で優秀で、望めばもっと高給で雇われることも可能な人材が給与や営利セクターの中での高給や出世ではなく、社会課題の解決に関わることに価値を感じていたり、そうすることが自己実現につながると考えていたりします。

何かを切り捨てて打ち込み、そうすることに自分の価値を感じるという精神性が共通しているとして、では違いはあるのか、あるとしたらそれは何なのか。そこにはどのような意味があるのでしょうか。そんなことを考えてみるのも面白いかもしれません。

NPOの"競合"としての「推し活」「オタ活」という居場所

さて、次はまた違った視点を考えてみましょう。すでに多くの書評でも指摘されている通り『推し、燃ゆ』の主人公あかりは診断名こそはっきりと指摘されないものの、発達障害と思われる描写が多くあります。漢字や九九が覚えられなかったことやアルバイトの業務への適応などからは学習障害的な側面も見られますし、ADHDを匂わせるような描写もありますが、まぁ具体的な診断名が重要なわけではありません。

ポイントとなるのはあかり自身が、

「あたし普通じゃないんだよ」

という自己認識をしていることと、この台詞が家族に対して投げかけているものであるということです。つまりあかりの特性・性質は家族にはあまり受け入れられておらず、家族との関係が良い状態ではありません。そうした家族も含めた居心地の良くない環境で抑うつ的な状態にあるときにアイドルと出会い、推し活にのめり込んでいくことになります。「推しは私の背骨」という表現もなされる程に生活の中心となり、推しがあるから生きていける状態です。そして推し活をしている範囲ではブログの読者がいたり、SNS等を介したコミュニティに所属をすることができており、あかりにとってある種の居場所にもなっていると言えます。

NPOの中には各種の発達障害の方のケアや支援を行っている団体も多くあり、安心できる相談先や居場所たることを目指して活動されている団体も少なくありませんし、受益者の特性が発達障害でなくても、受益者にとって安心安全で価値ある場をつくることや、その価値を届けることに心を向けている方たちは多くいらっしゃいます。そうした(多くは対人支援の)NPOに関わる人たちに考えていただきたいのは「自分たちの活動にとっての競合は何か?」ということです。

マーケティングのフレームワーク等で自組織の事業の分析をしたことのある方であれば「競合」というカテゴリで情報収集や分析をしたことのある方もいらっしゃると思いますが、単に自組織と同様や類似の事業を提供している営利・非営利のサービスを調べているのみという場合が少なくありません。もちろんそうした他の事業者を調べることは必要ですが、それだけでは不十分で、「受益者にとって自組織のサービスと比較対象され得るものは何か?」「自組織がリーチできていない受益者は何に時間や関心を向けているのか?」という視点で広く捉えることが重要です。

本作の主人公あかりのようなアイドル等への「推し活」やあるいはゲームやアニメなどが自組織の受益者にとっての居場所になっているとして、NPOとしては何を学び、どのような方策を採るべきでしょうか。NPOが提供する居場所はあかりにとって推し活と比べてどのような魅力を持つものなのでしょうか。単純に推し活から顧客を奪うという発想ではなく、推し活が受益者に与えている影響や効果の良い面悪い面をきちんと考えた上で、連携すべきことや学ぶべきこととも合わせて検討ができると良いのではないでしょうか。

文学に表れる「生きにくさ」をNPOはどう受け止めるか

純文学には個人個人の、そしてその時代に生きる人間の感性が表現される部分があると考えています。特に芥川賞は主に若手向けの賞であることもあり、若い作家が受賞することも少なくありません。そこにはその時代の若者の感性や、作品によっては本作のように「生きにくさ」が描かれることも多くあります。個人的にはNPOに関わる人たちにはこうした文学に表れる「生きにくさ」をもっと感じ取り、今後の事業の方向性を考える材料にしていく姿勢がもっとあっても良いのではないかと感じています。

本記事で述べてきた通り本作の主人公あかりにとっては「推し活」が、発達障害的な自身の特性や、家族を始めとした周囲との馴染めなさの中で見出した生きる軸になっています。発達障害的な特性の有無に関わらず、本作の推し活の描写には何らかの推し活や広義のファン活動を行ったことのある人には覚えのある感覚や行動が表れており、推し活・オタ活等をする人が、どのような生きにくさを感じ、何を必要としているのか、その活動から何を得ているのかといったことを考える機会になります。

また、例えば同じく芥川賞受賞作の『コンビニ人間(村田沙耶香著)』の主人公や登場人物にも(『推し、燃ゆ』のあかり以上に発達障害としての分類は難しいし分類にこだわることにあまり意味がないと感じますが)発達障害やそのグレーゾーンと思われる描写があり、そうした人たちにとってのコンビニ的なマニュアル社会の意味が問われていたりします。

学術的専門性の知見を学び現場に活かすことももちろん大切ですし、本ばかり読むのではなく目の前の受益者自身の声にしっかり耳を向けることが大切なのは言うまでもありませんが、社会の中で既存のサービスやセーフティネットからこぼれてしまう人の存在に気づき、ともに歩んでいくNPOだからこそ、時代の中で、社会の中での生きにくさを感じ取るアンテナをたまには文学にも向けてみることは有意義なことではないかと思います。

『推し、燃ゆ』を読んだ人にオススメの本

最後に本書を読んだ方や興味を持った方にオススメの本をご紹介します。

宇佐見りん『かか』

宇佐見りんさんのデビュー作で第56回文藝賞、第33回三島由紀夫賞(史上最年少受賞)の受賞作です。多くの作家が気持ちや気分の描写を絶賛しています。人間の内面をあぶり出す描写の鮮烈さという点では初期のドストエフスキーにも通じるのではないかと思います。

東浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』

出版から20年程も経過していますが、推し活・オタ活の意味やその行動を理解する上で東浩紀が本書で提示している「データベース的消費」とその消費をひたすらに欲求する「動物的」態度という視点は欠かせないものと感じます。

佐藤尚之『ファンベース』

製品やサービスの開発側に関わる人で推し活を考えるのであれば、「ファン」という概念が昨今のマーケティング文脈の中でどのように扱われているのかについて本書を一度読んで考えてみることをオススメします。
書評を書いておりますので良ければお読みください。

 

daisuket-book.hatenablog.com

 


最後までお読みいただきありがとうございました。